ベイルートダイアリー第5回 ローチェスター編

▼バックナンバー 一覧 2010 年 5 月 10 日 大瀬 二郎

雪国に遅い春が訪れた。
 
日陰で隠れん坊をしていた雪がついに溶け、立ち並ぶ「春の雪(Spring Snow)」と呼ばれる木に、雪粒のような小さく真っ白い花が一斉に咲き始める。冬に逆戻りしたかのような光景だ。刈られたばかりの芝生からたちのぼる匂いに我知らずお茶の香りを重ねてみたり、桜の花を見て気持ちが落ち着くのはやはり日本人だからだろうか。
 
ここはニューヨーク州北西部に位置するローチェスター市。ニューヨークと聞くとマンハッタンの摩天楼を思い浮かべる人が多いと思うが、ニューヨーク州は北西部のナイアガラの滝でカナダと国境を接している。ローチェスター市は五大湖の一つ、オンタリオ湖に面している。湖から吹いてくる湿った空気のため、冬にはどっさりと雪が降り積もる。コダックの本社があり、コダックタウンとも呼ばれるこの都市は妻の故郷だ。二人の子供をお腹に抱えた彼女と共に飛行機を乗り継いで出産のためにベイルートから帰郷した。
 
私は父親になる。
 
それを初めて実感したのは妻の出産が間近に迫ったつい最近のことだった。子供が、しかも一度に二人もできるとわかってからは、必要な書類やべビー用品のリサーチ、ローチェスターに帰るための航空券の手配など、事務的に対応してきただけで、父親になるという心の準備はできていなかった。あるいは父親になることに戸惑い、それを後回しにしていたのかもしれない。ローチェスターに到着後、父親教室のプログラムをあれこれ慌てて受けはじめる。その一つが幼児を対象にした応急処置のクラスだった。授業中に人工呼吸の実習のために赤ん坊のモデルを渡され、それを生きている本当の赤ん坊のように恐る恐る抱えた瞬間、まったく初めての、しかし言い表しようのない気持ちが胸を満たした。まばたきのできない人形の瞳を見て懸命に息を吹き込みながら、つかみどころのない気持ちの置き場所を探した。
 
もうひとつ、父親になるという現実の重みを痛感させられたのは出産医療費だった。双子なので未熟児になる可能性が高い。もしものことを考え、ベイルートよりも医療施設が整い未熟児の生存率が高いアメリカで出産することに決めた。費用はベイルートよりもかなり高くなるだろうとは予想していたが、実際の数字を見て仰天する。例えば、もし子供が未熟児で新生児集中治療室に入ることになると一日3000ドル(約28万円)かかる。もちろん一人あたりの金額だ。幸いにも妻の勤め先のUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)を通して加入していた健康保険によって、医療費の80パーセントはカバーされることになっている。だがベイルートでの勤務期間の終了後、新たな契約が結ばれなければ健康保険も途切れることになる。そんな最悪のシナリオを考えた時、どうやって出産費用とその後の医療費をまかなえばいいのだろうかと考えて眠れない夜もあった。
 
一人あたりの医療費が世界で最高のアメリカ。医療保険に加入するためには、ほとんどの場合民間の保険会社から保険商品を買う必要がある。しかし我々のように“Pre-existing condition(潜在する病状:妻の場合は妊娠)”があれば加入を拒否されたり、契約できても巨額の保険料を払わされる。先進国のなかでも唯一、国民皆医療保険制度の無いアメリカ。ここでの医療サービスのほとんどは、患者、医者や病院、そして政府ではなく民間の保険会社、つまり営利企業によってコントロールされている。会社員の場合、一般的には企業側が医療保険料の多くを負担していた。ところが、サブプライム問題以後の経済不況や医療費急増で、企業は医療保険料の負担に耐えきれず、保険の適用範囲を減らす、もしくは削減するケースが目立ってきた。このためアメリカ国民の15パーセントは医療保険を持っていない。
 
ドライブウェイに車が2,3台止まった一戸建てが連なるローチェスター郊外の並木通り。高い生活水準を達成したアメリカンドリームを象徴するような風景だ。そんな物静かな並木通りをジョギングしていると、「For Sale(購買者募集)」と書かれた不動産会社や銀行の看板が家の前庭の芝生に立てられているのをよく見かける。アメリカでは高齢者や貧困線以下で暮らす人たちに対しては政府からの医療費援助はあるが、中間層への社会保障は手薄だ。この層の人たちの多くは、突然大病を患うと、無保険か、あるいは保険に加入していても適用範囲が限定されているため、自宅を担保にお金を借りて医療費に充てる。しかし借りたお金を返すことができず、破産し、家を失ってしまう。そうして途方にくれる家族が急増しているのが現実だ。アメリカの破産宣言のうち、60パーセント以上は高額の医療費をまかないきれないことが原因になっている。私たち夫婦がローチェスターに到着後、様々な妊娠の検査のために病院を訪れ、受付に歩み寄るたびに「あなたは医療保険をもっていますか?」と必ず先に質問される。その次の質問は決まって、「どこの保険会社で適用範囲はどのようなものですか」だ。
 
そう尋ねられる度に不快感が湧き上がった。それと同時に頭に浮かんだのが遠き国、コンゴだった。
 
コンゴの病院では、まずお金が無いと医者に診てもらえない。コンゴとアメリカを比較するのは極端かもしれないが、両国ともお金が無ければ医療施設にアクセスできないのだ。世界でもっともパワフルでお金持ちのアメリカの医療システムは崩壊してしまい、コンゴなどの後進国の仲間入りをしているのではないだろうか? もちろん日本など他の先進国でも急増する医療費が大きな問題になっていることは確かだ。しかしアメリカでは利益獲得のみが目的で社会的責任を放棄した超資本主義(Super Capitalism)が独走し、工業化を達成した民主主義国ではRights(権利)のはずの医療へのアクセスが、Privilege(特権)になってしまっている。さらに世界最高の医療費は値段相応のケアーには結びつかず、保険会社や薬剤会社の金庫に流れ込む。WHO(世界保健機関)によると、アメリカの医療機関は、世界ランキングでなんと37位だ(ちなみに日本は10位、1位はフランス)。医学生は給料の高い専門、外科医学の道に進みたがり、一番大切な健康維持、予防の第一線に携わる医師不足は深刻だ。
 
アメリカの膨大な富をシェアし、医療費を公平にマネージすることができれば国民全員が基本的な医療にアクセスできることは明らかだ。しかし、個人、法人のどん欲がそれを妨げている。ブッシュ政権下で金融業界の規制緩和が立て続けに行われたことが引き金になった世界的な金融危機の最中、お互い助け合うという基本的、道徳的な価値観が置き去りにされ埃をかぶった。
 
ベイルートダイアリー第4弾で、金儲けだけが目的の利己主義で醜い二重人格のハイド氏のような要素がアメリカを乗っ取り、私の好きだった自由で寛大、独創性とエネルギーがあふれる移民の国アメリカが姿を消してしまったと書いた。だが金融、医療、外交の泥沼にはまったアメリカは2008年11月、歴史上初の黒人の大統領を選出する。それは世界をわくわくさせる革命的な出来事であり、一度は失望させられたアメリカに私は驚嘆させられた。
 
さらに3月23日、米下院で可決されたPatient Protection and Affordable Care Act(医療保険制度改革法)に、オバマ大統領が署名、この法律によって国民皆保険制度を達成できると宣言した。クリントン政権をはじめ、過去、数々の政権が成し遂げることができなかった医療保険制度改革がついに実現されたのだ。医療、金融制度改正に反対し、Status Quo(現状維持)によって利益獲得の継続を目的にするパワフルな保険、製薬業界とそのロビイスト、そしてそれに後押しされた保守派の政治家たちは、今回の医療改革はアメリカの価値観の大黒柱とも言える個人の権利と自由を尊重するIndivisualism(個人主義)を危険にさらし、アメリカ人がアレルギーのように反応する社会主義、共産主義に引きずりこんでいると大衆の感情を煽った。
 
医療制度改革に反対する勢力は、以下のような論法で脅しにかかった。医療制度改革は政府が医療を乗っ取るための手段である。アメリカの個人主義を、多種多様な商品から好きな物を選べるという程度の自由にまで矮小化させ、医師、病院、そして治療方法を選ぶ自由を失うぞ、共産主義下の旧ソビエトでパンの配給の長い列に並ぶような羽目になるぞ、と。
 
アメリカの新聞社で働いていた頃に加入していた医療保険は、私により多くの選択をもたらしてくれると思っていた。しかし現実は違った。保険会社が契約している病院やクリニックのネットワーク以外の医師の診察を受けることができなかったのだ。幸いにも大病はしなかったが、医師が入院や手術を必要だと認めても、まずたいていは保険会社から難色を示されるという話を同僚から聞いた。入院や手術は、医療費を支払わねばならない保険会社の利益を損なうからだ。
 
余談になるが、ローチェスターに到着後、妻の出産に備えて紙おむつをそろえる必要があった。だがそれを買いそろえることができるところは大手チェーン店のドラッグストアかディスカウントストアだけ。店舗にズラーッと並ぶおむつの種類に戸惑うが、よく見てみるとそのほとんどは3つの大会社によって製造されている。製品の名前と機能を少し変えることで種類が多いように錯覚をさせられているのだと思う。
 
「選択の自由」とは何なのか。
 
短いが波乱の歴史にもまれながらも生き残ってきたアメリカンドリームが姿を消した。能力があれば、汗を流し一生懸命努力すれば成功するチャンスは全ての国民に平等に与えられているというアメリカの信条のようなものが失われたのだ。代わりに、アメリカのもう一つの顔である資本主義がせり出し、利己主義と手をつないで暴走し、貧富の差が拡大していった。2007年の統計では1パーセントの人間が全米の金融資産のうち43パーセントを所有しているという。まとまった資金、社会的地位、コネがないと成功できないという、歴史の時計の針を巻き戻した君主制のようなものが復活し始めたように思えた。アメリカンドリームはオアシスのようのぼんやりと地平線に見えるが、いつまでたっても、どれだけ歩いても辿り着くことのできない蜃気楼のようなものに変わってしまった。
 
だが幸いにもパワーを失った人々にはまだ選挙権という、リッチでパワフルな人間が一番恐れる武器が残っていた。オバマ大統領が当選し医療制度改革法案が可決されたのも、利己主義を個人主義にすり替えた一握りの人間がもたらした大惨事によって、職、医療保険、そして住まいを失った多くのアメリカ人たちが目を覚まし始めたからではないだろうか。現状を覆す革命のようなものがアメリカで起こり始めたのかもしれない。
 
私は、去年一月のオバマ大統領就任式の生中継をベイルートのバーで聞いていた。ここ数年、アメリカが犯した誤りを認め他国と手を握ってやり直したい、アメリカを再生したいと、アメリカ市民に、世界の人々に誠実に訴えたオバマ大統領の就任スピーチを聞いた時、私が好きだったアメリカの姿が見えはじめ、何か暖かいもの、希望の明りのようなものが胸の奥に灯ったような気がした。もちろんブッシュ政権が8年間にわたってアメリカに負わせたダメージを修復することは至難の業だろう。民主党が持っている合衆国議会における過半数は11月に行われる中間選挙で覆され、オバマ政権の方針を大きく妨げられる可能性も十分ある。だがアメリカは、長い冬の後、自らを再生、再発見する絶好のチャンスを射止めた。私はこの勢いを失わず前進し続けると信じたい。これからアメリカ:世界市民として生まれてくるわが子たちのためにも。
 

写真について

弱り切った栄養失調の女の子を宥めようとする母親。コンゴ(民)東部ゲティー村の難民キャンプで2006年7月に撮影。政府軍と民兵との衝突を逃れた人たちは、食物、飲料水へのアクセスを断ち切られ、特に子供、妊娠中の女性、そしてお年寄りは下痢や栄養失調や風邪などで命を落とした。

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