戦後日本が失ったもの:新しいアイデンティティを求めて第五回:犬と鬼とゆでガエル

▼バックナンバー 一覧 2009 年 7 月 25 日 東郷 和彦

 オランダ大使館の現地職員の中に、広報文化班で永年勤めてきたエリザベス・ヴァン・デルウィンドという女性がいる。積年広報文化を通じてオランダ社会にくいこんでいるだけではなく、夫君は陸軍の要職にあり、そういう背景も手伝ってオランダの王室から政界の要路に幅広い人脈を持っている。元来はカナダ人で英語がネーティヴ、私の大使時代には、オランダ社会との接触拡大の知恵袋でもあり、また、スピーチ・ライターの役割も果たしてくれていた。
 偶然にも、ヴァン・デルウィンド家はライデンに住んでおり、退官後最初にライデンに戻ってきた時以降、ライデン生活での生活設計を含めて、誠に親身な配慮を続けくれ、今に至るまで、私にとってはオランダでの恩人の一人として、かけがえのない友人である。
 2002年の秋、エリザベスから、「時のオランダの駐日大使のE・F・ヤッコブス氏が一時帰朝でヘーグに帰ってきており、オランダに私がもどっていることを聞いて、昼食でもどうかと言っている」というメール連絡がきた。
 ちょうど日本商工会のメンバーが、昼食会をしてくださった頃だったと思う。ライデン大学でようやく日本外交についての執筆が軌道に乗り始めた時でもあり、有り難くお受けすることにして、ヘーグの王宮のそばにある「ホテル・インディア」という古いホテルで、日曜日のブランチを一緒にとることにした。
 日曜日の昼ということで、家族連れがあちこちのテーブルをおさえている中、少し早めについて、ヤッコブス大使の到着を待った。
 初対面ではあったが、共通の話題はたくさんあった。オムレツに魚かお肉がついたような、ちょっとヘビーなお任せブランチを摂りながら、日蘭関係とか、欧州統合とか、小泉総理の靖国訪問とかで、話ははずんだ。そのうちに、話題が日本社会に及び、私は、自然と、日本商工会の方々に語ったような、日本における景観の崩壊とその底における日本人の魂の崩壊のようなことについて、話し始めていた。
「トーゴーさん、それなら、絶対お勧めの本がありますよ」
「はあ〜。どんな本ですか?」
「去年出版された本なんですが、今、東京に赴任する外交官必読の書になっていて、日本研究者の間の、隠れたベストセラーになっている本です」
「そんな本があるんですか?」
「はい。Alex KerrのDogs and Demons: The Fall of Modern Japanという本です。私も読みましたが、あなたが、言っていることと、ぴったりの分析をしています」
「アレックス・カーですか?」
「日本にもう何十年も住んでいて、ビジネスやコンサルティングやジャーナリズムをやっている人で、その永年の日本観察を最近本にしたんです。日本にほれ込んでいるけれど、同時に、戦後の日本が造って来たことに、強烈な批判もしている本ですよ」
「そうですか。では、早速買ってみます」
「確か、日本語の訳も最近でていたたと思います。アマゾンで調べたらすぐ解ると思いますよ」

 本は、間もなく、発注した。日本語の本も、講談社から「犬と鬼:知られざる日本の肖像」という名で、2002年4月25日に第一刷が発行されており、両方とも、我が家の本棚の中に納まった。
 けれども、ヤッコブス大使との懇談から、実際にこの本を通読するまでに、三年余りの時間があっという間にたってしまったのである。
 外交という仕事を離れて、教えることと研究することに、ほとんどすべてのエネルギーを切り替えてきた時である。日本外交史、日ロ関係、国際関係論、日本の歴史問題、東アジア戦略思考などなど、当面すぐにやらなくてはいけない勉強と研究に、瞬く間に時間が過ぎてしまった。
「とにかく、この本をきちんと、通読しよう」と思ったのは、2006年6月に、佐藤優氏の裁判へ弁護側証人として、帰国のうえ、出廷して証言をする決意を固め始めたころだった。
 春から夏へ、桜からハナミズキからレンギョウへと、季節の変わり目が眼を楽しませるプリンストンの居間で、日本語訳の方を手にして読み始めた。いったん読み始めると手放せずに、ほとんど、一晩で読んでしまった。衝撃的だった。なにか、永年自分の頭のなかで、もやもやと考えていたことを、晴天白日、一挙に世界の前に明らかにされたようだった。
 今再び、ポストイットが折り込まれ、無数の傍線の引かれたこの本を手元におき、そのエッセンスを要約しようとすると、最初に受けた衝撃の一つ一つが蘇ってくる。引用をしようとすると、引用したい場所が多すぎて、どう作業を進めてよいかわからない。
 ともあれ、第一章「国土—土建国家」の第一ページ、この本は、僕が一番恐れていること、一番言わねばならないと感じていることから、始まっていた。

「そこ(現代の日本)に見えてくるのは、ひょっとすれば世界で最も醜いかもしれない国土である。京の名勝や富士山の美しい景色を夢見ている読者には、かなりショッキングなセリフかもしれない。しかし、百聞は一見に如かず、素直になれば見えてくる。たとえば山では、自然林が伐採され建材用の杉植林、川にはダム、丘は切り崩され海岸を埋めたてる土砂に化け、海岸はコンクリートで塗りつぶされる。山村には無用とも思える林道が網の目のように走り、ひなびた孤島は産業廃棄物の墓場と化す。
 もちろん、多くの国家でも多少似たようなことが言えるかもしれないが、日本で起きている事態は、どう見ても他の国と比較にならない。ここには信じがたい異質なものが出現している。国は栄えても、山河は瀕死の状態だ」(21ページ)。

 太平洋戦争で国土が廃塵に帰そうとしたとき、多くの日本人は、「国敗れて山河あり」、民族が古来から受けついてきたこの国土、この山河を守り、そこから民族の力を結集すれば、必ずや、また、日本は立ち直ると思った。そう考えたにちがいない。
 そして、実際に、私の祖父、父、そして私たち、それよりも若い幾多の世代は、国家再興(そういう言葉で観念しなかったにせよ)を念じて、必死に、身を粉にして働いた。
 そして、見事に我々はそれをやりとげた。やりとげるはずだった。
 だが、どこかで、歯車が狂ってしまった。
 どこかで、例えようもない、「行き過ぎ」が起きてしまったのである。
 私たちは、この日本を「世界で最も醜いかもしれない国土」と言われるようなものにしてしまったのある。

「ここで一番不思議なことは、日本はすべてを手に入れておきながら、いったいなぜ落とし穴にはまったのかという疑問である。瑞々しく青々とした山々、エメラルド色をした岩の上を流れる清流など、世界でも有数の美しい自然環境。東アジアのあらゆる芸術的財産を受け入れ、何世紀もの間日本特有の感性でさらに練り磨いた、アジアで最も豊かな文化遺産。先進国でも屈指の優秀な教育制度や、高度なテクノロジーを誇る日本。工業分野の成長は各国の賞賛を浴び、その過程で得た利益で、ひょっとすれば世界で最も裕福な国になったかもしれない」(6ページ)。

 日本民族が陥ってしまった、この間隙。それを説明するために、カー氏は、「韓非子」の古事に習い、「犬と鬼」の比喩で説明する。

「古代中国の哲学書『韓非子』に、皇帝が「描くに最も難しいもの、最もやさしいものは何か」と尋ねたところ、絵師が答えて「犬馬は難く、鬼魅は易し」と答えたという。つまり、そのあたりにいくらでもいる単純でありふれたもの———犬や馬など———をきちんと描くのはむずかしいが、奇怪な想像物なら誰にでも描けるという意味である。どの分野を見ても、官僚は「犬」———長期的・根本的な問題———に取り組まず、「鬼」———豪華なモニュメント———ばかり考え出す」(147ページ)。

 本書で描かれる「鬼」、結局それは、戦後の日本がひたすらつくってきた、コンクリートと鉄とガラスと技術による、「近代文明」のことである。造りやすい、目に見える、コンクリートと箱物。それが、日本が古来から受け継いできた一番良いもの、日本の山河、日本の海、山、川、林、そういう自然を壊し、そこに、自然との調和とは無縁な、モニュメントを造ってきた。
 しかも、台風と河川の氾濫から、自然を守り、生活を守る、生活を豊かにするために箱物をつくるという、金科玉条の大目的のために、人間の力による自然の屈服と、本当の豊かさにつながらない可視的な虚像を、ひたすら造りあげてきた。

——「国土交通省河川局は、一三三の河川のうち、三つを除くすべてにダム建設や流路変更を行っている。—–一九九〇年以降、全米で七〇を越す大規模ダムが壊され、更に何十ものダムが撤去される予定という。ところが日本は、すでに二八〇〇を越すダムがあるというのに、さらに五〇〇も造ろうとしている」(22ページ)。
——「九三年には、全海岸線の五五パーセントが完全にコンクリートブロックやテトラポットで覆われた。—–この海岸線は、二一世紀に入って六〇パーセント以上に増えた。距離にして数千キロである。日本の海岸はある日急に浸食が激しくなり、海岸線の六〇パーセント以上をコンクリートで固めねばならない理由があったのだろうか」(24〜25ページ)。
——「一九四七年に設立された林野庁は、自然林を伐採して用材杉を植える計画に乗り出した。—–このプロジェクトに何兆円もの資金がつぎ込まれ、現在で全森林の約四五パーセントが杉と檜に植え替えられ、単純林に変わっている。—–今ではどこへ行っても、日本特有の自然林の明るく繊細な緑は少なく、—–杉の単純林は多くの野生動物を死滅させている。—–杉を植林した土地は侵食が激しく、それが崖崩れや川への土砂の流入につながり、—–七〇年代までほとんど知られていなかった杉花粉症というアレルギー性疾患が蔓延し、全国民の一〇パーセントが花粉症に悩んでいる」(58ページ)。

 これらの統計がどこまで正確か、私には直ちに判断できない。ダムにも、テトラポットにも、杉の林にも、それなりのロジックがあることを否定するつもりもない。しかし、ここで指摘されているのは、「鬼」の跋扈する圧倒的な量なのだ。日本民族の優秀さが、私たちの中にある何かが、このとめどもない、極端な量を生み出しているということなのだ。
 そういう視点で、カー氏は、彼が言うところの、「モニュメント」、日本人にとって本質的に重要であったはずの、生の肌で触れる自然とそこで培われてきた世界に類稀な伝統とは程遠い、「箱物」の山を紹介する。東京の「テレポートタウン」(148ページ)、岐阜の「手賀沼の噴水」(149ページ)、新潟の「ほくほく線」(149ページ)、博多の「福岡市沖の干潟のコンテナ埠頭」(149ページ)、全国九箇所の野菜専用空港(150ページ)などを歴訪する。
 そして、問いかける。
 自然を壊し、実需を伴わない経済プロジェクトに、なぜ、信じがたい巨額の投資が続けられるのか。
 それが、「犬」の問題である。
 カー氏の指摘は辛辣を極める。
「犬」とはなにか。それは、見えにくいもの。
 見えにくい、地味な投資と文化と自然と環境の保護。国民の生活と精神に本当に必要なものはなにかを見極め、無駄で有害なものから柔軟に撤退し、真に必要なものに迅速に投資する、進取と柔軟性を持った対応。これが、真の犬の姿なのであろう。
 正に、戦後の日本では、この「犬」が、存在しないくらいに、見えないのである。Japan has a serious problem of  dogs and demons. (英文146ページ)といわれるゆえんである。

「多額の資金が使われながら、生活向上にあまり役立たないということは、現代の開発の理解に苦しむ点である。送電線や電話線の埋設(ほとんど存在しない)、下水道の施設(日本では総世帯の三〇パーセント以上がまだ実現していない)、高品質の公立病院や教育機関の設備(欧米の基準で言えば、快適さも最新設備も不足している)、安価で効率的な航空輸送の開発(国内航空運賃は世界で最も高く、東京の成田空港は利用者によるアンケートでは、世界の四三の國際空港のうち四二位にランクされている)———これらはすべて火急の優先事項である」(151ページ)。

 なぜ、「犬」が見えないのか。
なぜ、一度始めた国家の事業が際限なく続き、国の大本にとって本当に必要なところに、国家の冨と投資が柔軟に展開しないのか。なぜ、韓非子をして、描くのが難しいと言わしめた「犬」が、今の日本でその役割を果たせないのか。
 それは、完膚なき敗戦で魂を失った日本が、「富国平和」という国民的な目標と「民主主義」という錦の御旗をえて、全国産業開発型の近代化に国民をあげて取り組んでいく中で、どこかで、ストッパーが利かなくなってしまったからではないか。
 しかも、実は、この問題を、私たちは、近代史の前半で、すでに体験したのではなかったか。
 アジア諸国の中で唯一欧米列強に伍し、文明開化する大国となった日本は、軍事と経済と国民精神に依拠した世界の一等国として、ついにアジアに覇を唱え、欧米に比肩する文明圏を造ろうとした。そのどこかで、大日本帝国は、歯止めが利かなくなった。歯止めが利かなくなったのが、満州事変にあったのか、支那事変にあったのか、三国同盟にあったのか、真珠湾の攻撃にあったのか、ミドウェー海戦の敗戦処理にあったのか、それとも、もっと以前にあったのか、それは、本稿の問うところではない。
 しかし、どこかで、ストッパーの利かなくなった大日本帝国は、ついに、明治以降積み上げてきたもののほとんどを失った。
 それと同じ状況が、戦後の日本で起きてしまったのではないか。
それが、あまたの成功した先進工業国の中で、日本だけを、特別に醜い国にしてしまったのではないか。
 このストッパー欠如現象、日本の「犬」の持つ本質的問題点を、カー氏は、日本の中に根付いた「官僚制」の中に見る。

「本書のもう一つのテーマは、『極端状態の日本』というものである。—–不思議なことにリーダーが不在でも、どうにか「日本株式会社」はスムーズに機能している。—–しかし専門家はエンジンが効率良く作動していることに驚くばかりで、実際は船が岩礁に向かって進んでいたことに気づかなかった。日本の器用に組み立てられた「行政」という名の機械は、致命的に重要な部品が一つかけている。それはブレーキだ。いったん進路をとり始めると、他の国々では考えられないほどの過剰次元に行きつくまで、継続する傾向にある」(13ページ)。
「—–無数の官僚制度は日本の最大の問題である。どの国でも官僚は本質的に慣性で動く。放っておけば、十年一日同じことをくりかえそうとする。日本では、行政はほとんど国民の監視を受けず、これでは官僚の慣性を止める力はない。行政の世界は、だれも止めかたを知らない恐ろしい機械のように動き続ける。「オン」のボタンはあっても「オフ」はない」(28ページ)。

 外務省は、権限がなく国益と言う抽象的な権益に依存するという意味では、他の官僚組織とは、随分趣を異にする。それでも、官僚のやることがすべて悪だと決め付けられると、いささか納得できない。
 けれども、戦後政治の現実と現下の日本の状況を見ると、カー氏の指摘の重みに首をたれざるを得ない。
第六章の「官僚制———特別扱い」は、広く言われている、日本の官僚制の欠陥を厳しく指摘している。

 たぶん、1945年8月、これまで一度も経験したことのない敗戦、国土の荒廃、外国による占領を喫したことにより、日本人の多くの心の中で、それまで誰も疑わずにいた「原風景」が壊れてしまったのだろう。
今の日本から、日本の「原風景」が完全になくなってしまったというのではない。しかし、本来、それが一番強く残っていなくてはならない、私たち自身が住んでいる、正にその街並みと村の生活の中から、日本人は「原風景」を汲み取り、育て、文明の域に達成させる鍵を失ったのではないか。
官僚たちがブレーキのきかないコンクリート化と箱物造りに暴走すると同時に、日本人の圧倒的多数が、伝統は「古くてきたない」という観念に固着し、古いものを破壊し、利便性と快適性を最も安価な形で求める、そういう生活形態が蔓延していったのであろう。

「東アジアに起きたことを理解するには、アジアの美しい伝統的な家屋は、優雅で魅力にあふれてはいても、実際には不潔で暗くて不便だという事実を認めなければならない。—–そんな家から住人が次々と逃げ出すには、それなりの現実的な理由がある。—–ここに悲劇がある。ほんとうは、古いアジアの家屋は改善修理ができないわけではない。比較的安価に小路はできる。—–夏は涼しく冬は暖かく、照明の行き届いた室内でススやチリに悩まされずに暮らし、テレビを観たりインターネットに接続したりできる。要するに、古いものと新しいものは共存できるのだ。—–六〇年代に凝り固まった『古い=汚い』というイメージががっちり根を下ろしている。以来、設計士も都市計画者も、古い建物は安っぽい修繕だけで済ませてきたから、いまだに本当に住みにくい不便な建物のままだ。—–『テクノロジーの固定化』の結果、日本は『古い=不便』と『新しい=味気ない』という両極端の間で引き裂かれている。」(175−178ページ)。

 このことに、日本人は気がつかなかった。気がつくのが遅すぎた。いや、気がついた時に、それを有効に止める、ブレーキが作動しなかった。
第八章の「古都—京都と観光業」は、ブレーキが利かなくなった街並みの破壊が、どのように破局的に進行したかについての、痛恨の叙述である。余りにも悲痛で、今の私には、詳しく紹介する気力が生まれてこない。今年の四月から、京都産業大学で教鞭をとり始めた私としては、当面、京都のことを他の人から悪く言われたくないのである。けれども、大戦の最後に米軍が、人類の遺産として原爆投下のリストからはずしたこの古都が、神社仏閣という「点」は別として、古の文化を伝える街並みと、人々が生活をいとなむ場としての「面」を、いかに無残に壊していったか。本書は、その点を指摘して余りがない。
 いったい何人の日本人が、戦争のあとしばらくは、世界に冠たるほんものの街並みとしての文化が残っていたことを、知っているのだろうか。

「以前、アートコレクターのディヴィド・キッドになぜ日本に住むことにしたのか尋ねたら、一九五二年に京都に来た時のことを話してくれた。クリスマスイブで、雪が一面の屋根瓦に降り積もっていたという。夜の街は夢のようにシーンとし、墨絵を見ているようだった、と。」(166ページ)

 しかも、伝統の持つほんものの良さに「原風景」を感受する感性を失った戦後の日本は、本物と偽物、本当に見えているものと「見えている」と自己暗示をかけているもの、しっかりと実感する「実質」とそのシンボルとしての「象徴」との区別ができなくなってしまった。これが、カー氏が指摘する、もう一つの恐ろしい真実である。

「四季の移ろい、自然を愛でる伝統的な日本の心は、ありとあらゆる機会にあの手この手で宣伝されている。日本で暮らしていると、紙やビニールやプラスチックやネオンなどの形で自然のシンボルが氾濫しているから、秋の紅葉、春の花、川の流れ、浜の松原を思い出さずには一日も過ごすことができない。その一方で、自然そのものは、何ヶ月でも見ないですごせる。
 松竹梅の美しい幕が裏の悲劇を隠し、プロパガンダは太鼓を鳴らし、大衆はものを言わず、役所は自動操縦にゆだね、戦車の列は歩み続ける。川や海岸をコンクリートで埋め、森を植え替え、有害廃棄物を投棄し、すべてが永遠に終わることなく極限まで推し進められるだろう」(75ページ)。
「京都の街が破壊されたのは、—–むしろ、—–国民一人あたりの所得がアメリカを超え、経済的に成熟した国家となった九〇年代に入ってからのことだ。—–ただし、もちろん「犬と鬼」のタッチはある。フェイクな「文化」が真の文化に取って代わっている。観光客は街に出ずとも桜舞い散る古都のイメージを、光のショーを売り物にする喫茶店で味わえる。「シアター1200」は、一二〇〇の歴史を『第一級のハイテク娯楽』と称するミュージカルに作り替えた。ショーを楽しんだあとは、イタリアレストランで食事ができる。レストランを飾るフレスコ画には、ラファエロの『アテネの学園』の模写まである」(169〜170ページ)。
「『歓迎』のためには、新しいモニュメントを大量に建てよう、コンクリート打ち見学ツアーに出かけようと言われるが、京都、奈良、鎌倉といった街は、東アジアの文化の宝庫である。たくさんの本物があるのに、まがい物の観光施設をどうして造る必要があるのだろう。現代日本をおおう不安の根は、まがい物と本物が区別できないという、まさにその点にあるのだ」(186ページ)。

 本書には、環境、金融・財政・経済、教育、外国人の受け入れなど、まだまだ、痛切な指摘が展開されている。
 しかし、今回のまとめは、とりあえずここで終わりにして、結論に移ろう。
 カー氏の言葉を聴いてみよう。

「現在の苦境を表現するのにぴったりの言葉は『中途半端』である。美しい自然景観は存在するが、真の感動が得られることはめったにない。視野のどこかに、建設省が建てた醜く不要なものが必ず目に入ってくる。京都は何百という寺院や石庭を保存しているが、録音されたアナウンスがその瞑想的な静けさを乱しているし、苔むした門を一歩出れば、そこにはゴミゴミとした都市がひろがっている。—–どこを見てもこうした矛盾が目に入り、そこそこうまく行っているが、目ざましい成功はほとんどない———まさしく中途半端だ」(370ページ)。
「『ゆでガエル症候群』という説がある。沸騰するお湯に放り込まれたら、カエルはすぐに飛び出して命は助かる。しかし、ぬるま湯に入れると居心地がよいものだから、ゆっくりと水温が上っていっても、何が起きているか気づかない。そのうちにカエルはゆだってしまうのだ。
 金融界では飛ばしのようなテクニックがぬるま湯を保ち、失敗を覆い隠している。—–海や川や山、そして町や都市の景観の悲しむべき状況の陰にあるのも、やはりゆでガエル症候群である。でたらめな開発、モニュメント、奇怪な公共工事が、国の文化財産を台無しにしている。しかし、熱さは火傷するほどではない。なぜなら『古い文化』と『自然を愛する心』という子守唄が国民をうっとりとさせているのだ」(369ページ)。

 日本はいったいなぜこうなってしまったのか。カー氏は、ある華道家が言った、現代の日本文化に「実がない」という意見に賛意を表明している。

「華道家のコメントは問題の核心をつくものであった。というのも、『実』がないというのは現代日本のすべての事柄にも言える。土木工事(目的もなくすすめる)、建造物(周りの環境とニーズに無関係)、教育(歴史や方程式を暗記させ、独自の創造力や分析力を教えない)、街並み(古きを壊す)、—–国際化(世界を締め出す)、官僚制(真のニーズに関係ないところで金を使う)—–———体系全体に『実』がないのだ。—–
 文化の問題は立ち上がりにくいが、打開する道はある。それは『実』を持つことだ。日本が立ち戻らなくてはならない『実』とは、必ずしも西洋で見られる真実ではないかもしれない。日本独自の精神といったものであろう。—–
 『実』との戦いの結末は、日本文化の中で最も大事なものを引き裂き、そして消滅させる結果となってしまった。日本が本来の姿からかけ離れたこと———それが日本人が憂えていることだ。
 過去の二世紀に、日本の課題は鎖国から脱却し、世界で活躍することだった。それにみごとに成功し、最も力のある国になった。しかし、この成功はその裏に途方もなく大きい代償を伴ったものであった。日本は日本でなくなった。
 家路を求める———これが今世紀の課題だ。The challenge of this century will be how to find a way home.」(380〜383ページ。英文385ページ)

(第五回:終了)