戦後日本が失ったもの:新しいアイデンティティを求めて第六回:家路を求めて

▼バックナンバー 一覧 2009 年 8 月 12 日 東郷 和彦

 2008年初め、私は、日本に居を移した。6年の海外生活の後、———家路を求めて。
『犬と鬼』の最後にアレックス・カーが日本について書いた、「家路を求める———これが今世紀の課題だ」という件も、もちろん、心の中の大きな課題だった。
 日本の風景は、今どうなっているのか。
 自然と伝統の再興、そういう問題意識をもって、ハイテクを駆使し、投資を呼び込み、日本はともあれ変わってきているのだろうか。
 もしも可能なら、机の前でPCをたたき、資料を読み込む生活は、しばらく中止して、日本中を隈なく旅行して、久方ぶりの日本を味わいながら、こういうテーマについて、実地で考えてみたかった。
 残念ながら、現実には、とてもそういう余裕はなかった。
 先ずは、テンプル大学ジャパンキャンパスで教えることになった。
 2003年オランダで開催した東アジアのナショナリズムのセミナーに参加した、ロンドン大学の中国部長フィル・ディーンズが、その後縁あって、東京のテンプル大学で学長代理をしていた。
「とにかく教えに来ませんか」
 温かい提案をお受けして、2007年末にソウル大学での授業が終わってから、間をおかずに、6年ぶりの日本での生活が始まった。
 新しい日本の生活では、またまたそのほとんどを、机の前で過ごすことになったのである。

 そうはいっても、ここは日本である。
 東京の街並みを見るだけでも、新聞を読んだり、テレビを観るだけでも、たくさんの情報が入ってくる。時には、東京を離れることもあるし、会合に出ていれば、日本の風景についての議論がでることもある。
 さて、ここで、ちょっと嬉しい、驚きがあった。
 私と同じ問題意識をもって、すでに日本で活躍している方々が、実にたくさんいるようなのである。
 例えば、今私がこの原稿を書いている8月3日の朝日新聞の夕刊を見てみよう。まったくの、偶然である。しかし、そういう偶然をここに書いても、真実とはさほど違わないほどに、こういうケースは多いのである。
 一面の下に、「ふるさと元気通信」という連載があり、この日は「癒しの里 闘士のバトン」という記事がのっていた。
 主に、由布院温泉をつくった人たちについての記事である。
 由布院温泉の話は、何回も聞いたことがある。
 なにか、希望の星のような、物語だった。
 温泉全体が、風景との調和を考えながら、すべての建物の外観に自己規制を加え、全体が一つの調和をつくってきたという話だった。
 記事は、今日の由布院をつくった三人の人たちが、1970年、動植物が住む湿原を守るためにゴルフ場設置計画に反対した後、単なる自然保護でよいのか疑問をいだき、欧州を訪ねたことから始まっている。
「南ドイツの温泉地。森の中に温泉と音楽ホールがあり、自動車の通行を制限していた。ホテルの経営者に言われた。『大切なのは、緑と静けさと空間だ。君たちは何をするんだい?』。これだ! 帰国した三人は、サファリパークや大型ホテルの進出を阻止した」
 1970年、私は、イギリスで研修中であり、ロンドン大学でソ連事情を勉強していた。翌年には、ベーコンスフィールドの陸軍教育学校にもどり、イギリス田園の真っ只中のクッカム・ディーンで、半年の滞在をした。文明が到達したところとは、こういう所かと思ったときである。
 そうなのだ。
 まったく、その通りなのである。
「森と静けさと空間」なのだ。
 私が、その後、北方領土交渉に人生の大半を費やしていた時、この三人の先達は、文字通り、新しい由布院の創出に人生の大半を費やしてこられたのである。
 最近実際に訪れた人からは、現在の湯布院は、「森と静けさと空間」の中に点在する見事な温泉旅館がいくつもあるけれども、そういう旅館がとりまく池の反対側には、商業主義に妥協した不似合いなお店も点在する、いささか中途半端な場所になってしまったというコメントを聞いたこともある。
 けれども、総じて、「建物の外観は公共財」という視点をもって、辛抱強い町興しが行われてきたことは、間違いないようである。
 実に、日本中に、こういった自覚を持ち、現実に日本を変えようと努力して来た人たちが、たくさん、いるようではないか!
 今年の3月16日、フォーラム神保町の「戦後ニッポンが失ったもの」の会合に、月尾嘉男先生にお越しいただいた。建築工学にコンピューターを活用する先駆者であり、日本中を旅しながら、地域の活性化を通じて日本に元気をつける活動を展開している先生は、息を呑むような講演をしてくださった。
 日本の国力があらゆる面で後退していることを縷々述べられた後、むしろ、困難は「絶望ではなく機会である」として、産業発展指数の低い「地方」にこそ、今後の活性化の鍵がある」と喝破。地方の活性化の一つの柱として、「歴史環境の再生」があると強調され、その成功例を、以下の七つのパワーポイントの画面から紹介された。
 一つ一つの例が、街並みを再興し、生活空間の中に歴史環境をいかにしてとりくむかの、血のにじむような努力の結晶のように見えた。
 滋賀県長浜市
 岐阜県古川町(現・飛騨市)
 長野県小布施町
 静岡県掛川市
 島根県松江市
 北海道小樽市
 北海道函館市
 大きな本屋に行ってみると、この印象は更に強くなってくる。
 私は、時々、東京駅の八重洲ブックセンターを訪れる。
 2006年、退官後日本に帰り、久しぶりにここにきて、政治や外交の本を見て回った後、係りの人に聞いた。
「景観関係の本ありますか?」
 たちどころに、案内された本棚の前に行って、驚いた。
 二つほどの棚が、景観関係の本で充満していたのである。
 2008年、日本に居を移してから、再び、八重洲ブックセンターに行ってみた。
 今度は、
「観光関係の本ありますか?」
 と聞いてみた。
 案内された本棚は、四棚か、五棚か、全て観光関係の本で溢れかえっていた。
 もちろん、いわゆる観光案内の本ではない。観光を通じて、どうやって地域を活性化するか。そのためには地域の生活に根ざした村興し、町興しが必要になる。そのための、行政や市民の指南書や、成功した温泉例や、欧州各国の観光のありかたの紹介や、観光開発のあらゆる種類の本がでているようであり、大筋皆正しい方向を向いているようだった。
 実は、本屋に行くまでもないのかもしれない。
 インターネットのamazon.co.jpで、「景観」と「観光」をそれぞれクリックするだけで、何十冊の本があっという間に検出される。
 そういう機会に買い求めてきた、素晴らしい本を、参考までにあげてみる。
『失われた景観—戦後日本が築いたもの』松原隆一郎、PHP新書
『まちづくりと景観』田村明、岩波新書
『日本の景観—ふるさとの原型』樋口忠彦、ちくま学芸文庫
『美しい日本を創る』美しい日本を創る会編著、彰国社
『日本の風景を殺したのはだれだ?』船瀬俊介、彩流社
『観光振興と魅力あるまちづくり』佐々木一成、学芸出版社
『観光まちづくり』西村幸夫(編)、学芸出版社
『歴史を未来につなぐ まちづくり・みちづくり』新谷洋二、学芸出版社
『日本で最も美しい村』佐伯剛正、岩波書店
『黒川温泉のドン 後藤哲也の再生の法則』後藤哲也、朝日新聞出版
『観光革命 スペインに学ぶ地域活性化』額賀信、日刊工業新聞社

 こういう運動は、更に、一種の国民運動的な色彩をもってきている。
「ふるさとテレビ」というNPO(非営利団体)がある。
 私は、この会の副理事長をしておられる角廣志氏に、外務省欧亜局長をしているころ、知己をえた。日ロ関係についてした講演会の一つに出席しておられ、その後、お便りを頂戴し、オランダへの転出、外務省退官のあとも、温かい連絡を取り続けていただいた。
2006年に退官後初めて帰国しておめにかかったさい、「ふるさとテレビ」の活動について御紹介をいただいた。http://www.furusatotv.jp/を開いていただければ、一目瞭然であるが、2005年7月に設立されたこの団体は、インターネットを通じて、地方の活動を活性化することを目的とする。
「活性化の根本は、観光と物産です」
 角氏は、断言する。
 活動の一環として、定期的に、講演が開催されている。
 2008年の秋から、できるだけこの講演会に出席してみた。
 十月は、月尾嘉男先生。この時うかがったお話が余りにも興味深かったので、半年後に、フォーラム神保町に、お招きすることになった。
 十一月は、ANA最高顧問の野村吉三郎氏。日本と世界の観光データを詳細に比較しながら、日本の観光が十分に伸びていないことを詳細に説明され、観光の真の発展のためには、「行って見るに値する」ものを持たねばならない、それには、歴史環境と自然環境を生かした地方独自の生活が大切だという点を強調された。佐々木一成氏の書かれた『観光振興と魅力あるまちづくり』を紹介されたので、早速我が家の本棚に加えた次第である。
 十二月には、JTBの取締相談役船山龍二氏。日本政府がどうやって観光にとりくんできたかを、明治維新のころより説明され、現在の観光が直面している問題点を提起、「人が来たくなる生活をつくること」が、問題点解決の最大の課題だと諄々と説かれた。必読書として、アレックス・カーの『犬と鬼』をあげられたのである。
 もう一つ、早稲田環境塾という組織がある。
 塾長は、早稲田大学太平洋研究科教授の原剛先生である。
 2008年の秋に、さる国際問題に関する討論会でのパネリストとして出席しておられた先生の話を聞いた。
 塾の目標は、「環境を自然環境、人間環境、文化環境の三要素の統合体として認識し、環境と調和した社会発展の原型を、地域社会の現場から探求する」ことにあるとのお話であった。
 環境を、空気がきれいだとか、有害物質が食物に入っていないとか、そういう単なる外的な要因でとらえるのではなく、「人間と文化」という観点を加え、長い目で見て、どういう生活環境が人の心を幸せにするかという研究の視点は、強烈に胸をうつものがあった。
 その後、お便りをさしあげるようになり、12月22日早稲田大学にある先生のオフィスに伺って、長時間お話を伺った。
 私より七歳年長の原剛先生は、毎日新聞記者として、日本の公害問題を長い間フォローしてきた、いわば、たたき上げの環境ジャーナリストであった。1998年からは早稲田大学で教鞭をとられ、2008年「早稲田環境塾」を開設された。
 日本の公害がいかにひどいものであり、それを乗り越えるために、市民運動がいかに重要な役割を果たしてきたかについてのお話は、粛然として、襟を正さずには聞けなかった。
 第五講座(2009年3月)は、神道・仏教に内在する自然・環境保護思想と近代行政制度を研究するために、鞍馬寺から貴船神社を訪問するなど、環境塾の具体的な講座内容についての御話しは、興味通津であった。
 更に、先生の該博なお話は、私にとっては、さながら新しい世界が開かれていくようであった。
——明治34年、夏目漱石が、西欧における内発型の近代化と、東洋における外発型の近代化の間にある相克について述べ、外発型の近代化では、どうしても、「エイヤッ」と、飛ばなければならない所がでる、それが、日本で風景の問題を考える端緒になっていること。
——日本の風景論は、日清・日露・太平洋戦争の三つの大戦争の前に盛り上がった歴史をもつこと。
——そういう背景をふまえて、戦後の日本の風景論は、約20年前、経済発展の中から、環境論的な風景論として始まり、地域にねざした市民運動として今発展してきていること。
 最後に、先生は、分厚い電話帳のようなものを持ってこられた。
「これ、なんだか解りますか?
「いやー、ちょっと」
「各ページ、見て御覧なさい。環境関係NPOのリストです」
 仰天した。
 概ね一ページに二つ、日本全国に作られた、様々なタイプの環境保護団体について、主なデータを記載した総括リストが、この電話帳だった。
なんと、巨大なエネルギーが、まったく正しい方向にむかって、噴出しているではないか!

 アレックス・カーがあれほど批判した、中央政府の官僚からも、一定の動きがとられている。
 最近の法律の中では、先ず、2003年1月から施行された、自然再生推進法が注目される。
 2004年6月に、「景観法」が制定され、2006年12月には、観光立国推進基本法が成立、2008年5月には、国土交通省設置法の一部改正法の成立によって「観光庁」が設けられた経緯は、すでに書いた。
 地方分権が進む中で、知事たちの動きもめざましい。
 田中康夫長野県知事が、2001年2月20日に発表した、脱ダム宣言は記憶に新しい。最近では、淀川水系の大戸川ダムについて、大阪、京都、滋賀、三重の四つの県知事が、国土交通省近畿地方局の河川整備計画案について、「計画に位置づける必要はない」とする共同意見を発表、国側の見直し必死と報ぜられている(2008年11月11日、朝日新聞)。

 こう列挙してくると、『犬と鬼』で述べられた日本の姿とは、まったく別の日本が生まれているようにみえる。
 本当に、日本の風景は、蘇りつつあるのだろうか。

(第六回:終了)