現代の言葉第5回 日本の復興

▼バックナンバー 一覧 2012 年 9 月 1 日 東郷 和彦

 3・11、未曾有の規模の災害が東北地方を襲った。死者・行方不明者の数は3万人近くに迫り、福島原発を制御しうるかはいまだ予断を許さず、喫緊の被災者支援のための課題は山積し、政府により計上された直接的な被害額16兆~25兆円は、単に最初の試算にすぎない。

 この未曾有の震災は、その哀しみがあまりにも深く、その悲惨が言語に絶し、その規模が計り知れないがゆえに、私たち一人一人に語りかける。日本民族の持てる総力を結集してあたらなければ、これを乗り越えることは、できないと。

 しかし、このことは、この震災が、まったく別の意義を持っていることを示唆する。東北の復興に、日本がもつ最良の知恵と力と富をかたむけることによって、日本民族は、民族全体としての本当の復興をなしとげられるかもしれない。平成二十年の漂流から抜け出し、民族の力を糾合するために、この震災は、天が日本にあたえた試練なのかもしれない。そういう視点にたつとき、目下喫緊の課題実施は当然のこととして、同時に、時を移さずになさねばならないことが、三つあると思う。

 第一に、破壊された地域の再興のための大計画(グランドデザイン)を造ることである。防災・インフラ復興・産業再開発を統合した大計画が必要になる。その大計画では、太古よりうけついできた自然を再興しこれを敬い、そこに調和した集落と街並みを復興し、そこに自然と産業を調和させた新しい空間をつくる。そこで建設される新しい空間には、隈研吾氏のような、21世紀を代表する建築家のセンスと構想力を生かす。最終的に再興された暁には、「東北日本」は、21世紀の世界文明の源になるような個性を持った新しい「桃源郷」となってほしいと思うのである。

  第二に、それでは誰がそういう復興の担い手になるのか。大構想は、まずなによりも、現場と地方から、つくりあげねばならない。そこに住む人たちが、納得し満足し生きがいを感じる場所でなくして、なんの「桃源郷」か。これだけの辛苦をなめて立ち上がる以上、二十一世紀の「桃源郷」をめざすという壮大な思いは、まず現場から生まれてきていただければと思う。その思いを構想として具体化するのは地方、ないし、県の役割であろう。それを最終的に担保し、国の予算をかたむけ、日本全国からこの大構想実現のための力をあつめてくるのは、国ということになる。そうやって、日本中からあつまるボランティアが、数年なりともその建設に参加する。

 第三に、そういう国の再興は、日本人だけの力でなしとげられるか。今回の震災では、アメリカを始めとして、アジア、ヨーロッパほか世界中の国からの多数の支援が到着し、また、全体として、日本人の平静さと忍耐と助け合いの力は世界中で絶賛された。被災地は、世界の人たちの暖かい思いの対象となった。今後の復興には、世界の英知と力を活用していくことが、21世紀をリードする日本の復興のために、真の力となろう。

(2011年3月31日 『京都新聞夕刊』)

 

<現在の視座>

 3・11とその後の国民的な興奮状態、その中で書かれた、この記事を読み直していると、なんとも言葉がでないのである。

 一言で言えば、日本は、私が述べた世界文明の範たる「21世紀の桃源郷」をつくることために動き出すことに失敗した。本当の国家の危機において、国全体を大きな目標に向かって、果断に、遅滞無く、時には超法規的に、絶対ださねばならない結果をだしていく、説明は後からついていく、そういう有事の指導力を日本国はうみだすことに失敗した。

 五百旗部(五百旗頭真、東日本大震災復興構想会議議長)レポートはそういう中で、大きなビジョンを産み出す基礎として、精いっぱいのものだったと思う。それをフォローしようとして政府は必死に巨額の予算措置とそれを執行するメカニズムをつくろうとしたように見える。

 しかし、結果において殆どすべての側面で、それは平時行政への回帰であり、現場での仕事と住居の創出、そこから生まれる希望を基礎とする復興への長期ビジョンの創出にいたらなかった。

 平時のコンセンサス方式でおきる、現下の日本の病を浴びながら、にもかかわらず、復旧と復興はすすめられねばならない。

 その過程が、少しでも、日本の凋落に手をかすのではなく、日本の発展にプラスになるように祈りながら、自分のできることを最大限やっていこうと思うのみである。

(2012年8月30日)