現代の言葉第6回 復興と民主主義

▼バックナンバー 一覧 2012 年 9 月 2 日 東郷 和彦

 東日本大震災の復旧・復興を通じ、戦後日本の民主主義の意味が問われている。

 災害発生以来、被災者の間に生まれた相互扶助と忍耐の姿は、世界の讃嘆を呼び続けている。日本全国からよせられた無数の善意と支援は、日本社会の中に、他者へのおもいやりの気持ちが生き続けてきたことをよく示している。

 けれども、日本社会の真価が問われるのは、これからである。

 被災地を単に元にもどすのではなく、より安全で、より豊かで、より住みやすい新天地として復興させたいという思いは、多くの国民の願いだと思う。そのためには、新たなゾーニングと、活力ある産業配置と、自然との共生と調和ある住宅空間をつくる景観規制が不可欠になる。しかし、そのような、「二十一世紀文明の理想郷」へのビジョンに対し、もし一人の住人が、自分が所有する土地に住み続けることをもって不退転の権利とのみ主張するなら、新しい日本の文明は築けなくなる。

 更に、そのような文明創造のための資金をだすのは、国民一人一人のほかはない。被災者への善意の発露を越えた、国民それぞれの立場から、歯を食いしばって働き、新たに生まれる付加価値を東北の復興に回すという、厳しい覚悟が不可欠になる。もし自分がつらい思いをすることによって新しい東北をつくる覚悟がないなら、日本を本当によくする復興は、できるはずもない。

 私たちにとって、戦後の民主主義とはなんであったか。民主主義は、戦争に向かって日本をつきうごかしてきた全体主義に対するアンチテーゼであった。その根本は、自由を核とする基本的人権の尊重と、代議制を核とする国民主権であった。昭和期の経済大国化という国家目標は、この戦後民主主義を基礎としてかちとられた。

 けれども、それでは今の日本は、本当に、一番よい社会をつくってきたか。平成以来、日本は、内外政ともに、二十年をこえる漂流を続けてきた。その原因の一つに、戦後民主主義の「欠落」部分があったと私は思う。戦後日本の民主主義は、個人の自由と権利が前面に押し出された結果、それをこえる社会全体の価値への視点が欠落していった。

 それは、戦後民主主義の理念を教導したアメリカの民主主義が、実は、キリスト教とアメリカ連邦という、個人を超える大きな価値を基礎としていることを理解しなかった私たちの浅薄さによるのかもしれない。あるいはまた、敗戦ショックによる戦前の全否定により、五箇条の御誓文、明治期の自由民権運動、大正デモクラシーなど、社会全体の価値のなかで民主主義を育てようとした民族の記憶を失わんとした、私たちの浅薄さによるのかもしれない。

 いま、漂流する日本に歯止めをかけ、新しい国の力を糾合するために、天が日本に与えた試練が、3・11のあとの東北の復興である。そのために、戦後民主主義に欠けていた、日本にとっての「公」を見出すことができるか。日本民族の浮沈は、いまそこにかかっていると思う。

(2011年5月30日 『京都新聞夕刊』)

 

<現在の視座>

 言葉に出して言うのも悲しいが、3・11のあと、日本の民主主義は、全体として新たなる凋落の方向に行っていると思う。

 もちろんいい話が全くないわけではない。主に草の根レベルで、個人の活動が原点となるたくさんのNPOや自発的なグループの活動によって、強い靭帯と公共を目指す活動が以前より遥かに深く広く行われていると思う。

 しかし、日本社会全体は、平時の住民エゴを基調とする社会にもどりつつある。2011年秋からいまだに尾をひき、もはや、ニュースにもならない日本全国における瓦礫の受け入れ拒否の話が、一つの例である。

 自民党から提出された「国家強靭化法案」がもうひとつの例といってよいと思う。3・11被災地の復旧・復興が絶望的に遅れることによって、逆説的に、平時の基準が物事を決める決定要因になっていった。他方において、大地震・大災害の到来という予測は民心を不安にする。ここから、公共事業中心主義、そのための各省庁の予算拡大、民心の公共事業への依存、など旧来の陋習が一気に噴出してきたように見える。「国家強靭化法案」は、日本の最良の要因である風景とそれに見合った新しい公共倫理を持った社会を作るということとは、まったくちがった方向のように見える。

(2012年8月31日)