わき道をゆく第104回 思いが残り、伝わるということ

▼バックナンバー 一覧 2016 年 10 月 21 日 魚住 昭

 柳田国男の古典的名著『遠野物語』には、明治29(1896)年6月の三陸大津波にまつわる話が書き留められている。
 ―岩手県の盆地・遠野から田の浜という海辺の村に婿入りした男がいた。名を福二という。
 福二は、田の浜に押し寄せた津波に妻と子と屋敷をさらわれた。その後、生き残った二人の子とともに、以前、屋敷のあった場所に小屋をかけて1年ばかり暮らしていた。
 夏の初めの月夜、福二は用足しのため起きた。便所は小屋から離れた所にあり、そこへ行く道も波のよせる渚にあった。
 その夜は霧が出ていた。福二は、途中で霧の中から 男女二人が現れてくるのを見た。女はまさしく亡くなった妻だった。
 福二は思わず二人の跡をつけた。はるばると船越村のほうへ行く 岬の洞穴の前まで追って行き、そこで妻の名を呼んだ。妻は振り返り、ニコッと笑った。
 もう一方の男を見ると、同じ田の浜出身で、津波に呑まれて死んだ者である。福二が婿入りする前、妻と互いに心を深く通わせていたという男だった。
 妻は「今はこの人と夫婦になっています」と言った。福二は「子供は可愛くないのか」と訊いた。妻は少し顔の色を変えて泣いた。福二は死んだ人と話しているということを忘れ、まるで現実のように悲しく切なくなり、うなだれて足元を見た。
 その間に、妻と男は足早に立ち去り、山の陰に隠れて見えなくなった。福二は追いかけようとしたが、二人は死んだのだと気づいて思い止まった。それから福二は夜明けまで道でずっと考え込み、朝になって家に帰っ た。その後、福二は長い間、悩み苦しんだという―。
 哀切な話である。とうてい作り話とは思えぬリアリティがある。おそらく福二は夢うつつの状態で、実際にこうした心的体験をしたのだろう。妻の霊が本当に現れたのかどうかは問題ではない。110年前の津波が人々の心に残した傷の深さを私たちが実感できればそれでいい。
 では、5年前の3・11の津波は何を残したろう。『震災編集者―東北の小さな出版社〈荒蝦夷〉の5年間』(土方正志著・河出書房新社刊)にこんな話が載っているのを見つけた。
〈三陸沿岸のある町。町といってももはやそこにはなにもない。津波に呑まれた見渡す限りの荒野である。高台に仮設の住宅があり、商店がある。その仮設住宅に、幽霊が現れるのだという 。この 町に暮らして津波に呑まれたおばあちゃんの幽霊だ〉
 その幽霊は仮設の知人を訪ねてくる。お茶と漬け物でもてなす。このあたりで「お茶っこ飲み」という。近所同士が集まっての茶飲み話だ。おばあちゃんが「さて」と立ち去ってみれば、座布団がじっとり濡れている。
 ああ、そういえば「あのおばあちゃん、津波で死んだんだっけな」……。一軒だけではないそうだ。おばあちゃんは知り合いの仮設にたびたび現れる。
 著者の土方さんはこの話をしてくれた人に「それで、おばあちゃんを招じ入れた仮設の人たちは何て言ってるの?」と聞いたそうだ。答えはこうだった。
「いやあ、あのおばあちゃん、自分が死んだってわかってないんだべな。まだ生きてるつもりでお茶っこ飲みさ来るんだべ 。あんたもう死んでんだよってわざわざ教えるのもなあ。んだから、何ごともなかったようにお茶っこ飲ませて帰してやってんだ。そのうち自分でわかるべ」
 まるで『遠野物語』の一篇のような話である。こんな話が被災地ではいくらも語られているそうだ。次も土方さんが聞いた、三陸沿岸のある町の話だ。
〈歩道橋がある。歩道橋の上に逃れた人たちはかろうじて助かった。荒野と化した交差点に、歩道橋だけがぽつりと残る。この歩道橋に、ある時間になると「鈴木さん」が立っているのだという。鈴木さんは、あの津波で生命を落とした。最後に目撃されたのは、津波から逃れようと歩道橋に向かって走る姿だった。その甲斐もなく、鈴木さんは亡くなった〉
 近所の人たちは言う。
「鈴木さん 、あの歩道橋までたどり着けばって走ったんだべ。だけど、間に合わなかった。どうしても歩道橋までって死んじまったから、その鈴木さんの思いがあそこに残ってしまって、んで立ってるんだべ」
 皆は今日も「歩道橋に鈴木さんがいたよ」と話す。不特定の「幽霊」や「お化け」ではない。あえかな人影は、あくまでもあの「鈴木さん」なのである。
 他にも土方さんがあちこちで耳にする話がある。津波で生まれたばかりの子を失くした。自殺を考え、立ち直れないと思った。そこに新たな子を得た。この子はあの子の生まれ変わりではないか。この子を立派に育てることが、あの子の供養になるのではないか…吹っ切れたように語る若い父が、母がいる。
 これとは別に「ウニ―カニだったりタコだ ったりもするが―を食べたら髪の毛が―あるいは人体の欠片が―出てきた」などの都市伝説めいた話もある。
 土方さんは言う。〈まことしやかに語られるこんな話をしたところ、ある海辺の住人がいい放った。「だったら、そのウニを食べてやるのも供養だべ。人間の死体だろうとなんだろうと、ウニもカニもタコも生きるために食べた。それをオレたちがまた食べて生きていくんだ。これだって供養だべ」〉と。
 どうやら東北では死者と生者との距離が近いらしい。それはたぶん110年前の福二の時代から変わらない。なぜか?
 土方さんは、東北の〈海や山や川や、詰まるところは自然への畏怖や畏敬がベースなのかもしれない。人間も自然の裡にあると感得した上での生と死の近さ。この感覚 が、もしかすると東北の文化の、東北人の精神の基底に確かにある〉という。
 言われてみれば、たしかに東北には出羽三山の即身仏や、イタコの口寄せ(死者の声を伝える)文化がある、ザシキワラシ、カッパ、オシラサマもいる。起きるはずのないことが起きる、人間の心の不可思議さを想う。

(編集者注・これは週刊現代連載「わき道をゆく」の再録です)