わき道をゆく第108回 「被災地」となった故郷を訪ねて

▼バックナンバー 一覧 2017 年 1 月 20 日 魚住 昭

以下は、昨年の熊本地震の後、週刊現代の連載「わき道をゆく」に書いた文章の再録です。

-GW前、郷里の熊本に帰った。5年前に父が死んで以来のことだ。母は父の2年前に逝った。2人の墓はどうなったろう。余震はいつ収まるのだろうか。
 熊本空港からまず鹿児島との県境にある水俣に向かった。熊本市内のホテルがどこも満員だったからだ。熊本―新水俣間は新幹線で二十数分(実際には徐行運転のため40分余りかかったが)の距離だ。なので最初の2日間は水俣に宿をとり、そこを拠点に動くこと にした。
 前から水俣に行きたかったので、いい機会だった。水俣は強い磁力のある町で、日本の近代を映す鏡だ。わが故郷のキーストーンでもあるのだが、その理由は追々明らかにしていく。
 水俣で2泊した後、新幹線で熊本駅に着いた。改札口で1つ 違いの兄が待っていた。兄は最近、親から継いだ鏡町(熊本市の南約30㎞)の電器店をたたんだ。そして熊本市郊外の一軒家で長女夫婦と同居している。
 兄は若いころから病弱だった。店の負債にも苦しんだ。が、60代半ばになって商売の煩わしさから解放されたのが幸いしたらしく見違えるほど元気になった。地震直前に届いた兄の手紙にこんなくだりがあった。
「こちら熊本に来てからは社交ダンスをしたり、孫たちと遊んだり、本を読んだり、音楽を聴いたり、今までやりたかったことをしています。そして、親父さんやお袋さんが教えたかったことを少しでもわかろうと、今からでも間に合うと思って、日々生活しています」
 今からでも間に合う!ホントにその通りだと私は喜んだ。苦労つ づきだった兄の人生にも希望の光が差し込んできた。そう思った矢先の震度7である。
 4月14日夜9時の前震のとき、兄の長女(つまり私の姪)の夫は風呂に入っていて溺れそうになった。だから今も風呂に入ると動悸がする。それほど激しい揺れだったらしい。
 つづく16日未明の本震で屋根瓦のあちこちが壊れた。地震保険の査定を受けると「半壊」と言われた。でも、当面住みつづけることはできそうだ。何より姪の夫婦と息子2人、兄夫婦が無傷だった。不幸中の幸いと言わねばならぬだろう。
 熊本駅では姪も車で待機していてくれた。私は東京を発つ前、兄に「最も被害の大きな益城町に車で案内してくれないか」と頼んだ。でも熊本―益城町の主要道は大混雑している。抜け道や迂回路 を知らないと、渋滞で身動きがとれなくなる。
「父は益城町への抜け道をよう知りませんけん、私が運転していきます」と姪が言った。
 彼女は熊本日日新聞の記者である。地震発生以来、夜も寝ずに取材に駆けずり回ったはずだ。なのに私のため休暇を取り、運転手役をつとめるという。
 私は兄に案内を頼んだことを悔やんだ。だが、こうなったら厚意に甘えるほかない。
 車は市街地を抜け、青い麦畑や野菜畑の広がる田園地帯に入った。いたるところピンクのレンゲ畑がある。うっすら霞のかかった青空に春の風が吹く。屋根をブルーシートで覆った農家が点在していなかったら、平和そのものの風景である。
 車は人気のない農道をすいすい駆ける。時々車体がガクンと揺れる。地震で入っ た亀裂をアスファルトで山なりに覆い、応急処置した跡なのだという。
 問わず語りに姪が話した。
「今度の地震で一番思うたのは、被災した者が同じ被災者を取材するのがどんなに大変なことだったか、ということでした」
 そうだろうなと思う。大災害が起きると、記者は東京などの外部から取材に投入される。被災者の痛みはいわば他人事である。だからこそ客観的な眼で記事を書けるのだが、被災者の心の奥底は理解できない。
 ところが姪は4月14日夜以降、記者であると同時に被災家族の母であり、妻であり、娘であるという立場にいきなり追い込まれた。「私だけじゃありまっせん。(同僚は)みんな同じですけん。しかも、余震がつづいて夜は眠れんでしょ。それでも、昼間は取材して 回らんといけんですから」と姪は言った。
 益城町に入った。屋根瓦が雪崩となって建物を押しつぶしている。土台から引きはがされて転がった一戸建てもある。造成地の石垣が崩落し、床下から家の中がのぞける住宅群もある。斜めに傾いだアパートや、外壁がひび割れた商店は数えようがない。まるで巨大な鷲が舞い降りて、乱暴狼藉の限りを尽くして飛び去った跡のようだった。
 もう十分だ。これ以上いても呆然とするばかりだろう。私は姪に頼んで熊本に引き返してもらった。その日のうちに行かねばならぬところがあった。両親の墓のある鏡町である。
 熊本駅から在来線で約30分。鹿児島本線有佐駅から歩いて約20分のところに両親の墓はある。途中、昔かよった小学校の前を通った。楠 の古木のある神社もあった。そうして田畑と住宅地の境にある墓地にたどり着いたとき、大きな夕日が不知火海に落ちかけていた。
 両親の墓は墓地の後ろの北東角にあったはずだがと、おぼろげな記憶を頼りに探したら、あった。父母の名を刻んだ墓石は真後ろに倒れ、小さな農具入れの庇にもたれかかっていた。赤い夕陽が御影石の墓石に当たってキラキラと跳ね返った。
 本音をいうと、私は墓に深い思い入れはない。死者は生者の記憶の中にしかいない。だからわざわざ東京から墓参りにくる必要もないと考える親不孝者だ。でも、倒れた墓石を見たとたん、体から力が抜けた。
 墓石の底の縁が2、3カ所欠けていた。倒れる前にゴトゴト揺れ、土台の石と激しくぶつかり合ったのだろう。
「あ あ、こぎゃんこつになってしもぅて(=こんなことになってしまって)」。この2週間、私の胸に降り積もってきた思いが口をついて出た。
 地震でズタズタになった私の故郷・熊本。故郷はなぜ私の心を揺さぶるのか。次号ではもう少し落ち着いて考えてみたい。(了)