わき道をゆく第112回 「保守っぽいもの」を束ねた力

▼バックナンバー 一覧 2017 年 4 月 17 日 魚住 昭

 安倍政権の黒幕とも噂される日本会議は、さまざまな宗教右翼の統一戦線である、という話を前回書いた。
 その統一戦線の事務局を担うのが日本青年協議会(=日青協)で、生長の家の創始者・谷口雅春(1893~1985年)に心酔する右翼団体だということもご説明した。
 が、とすると、新たな謎が浮かび上がる。それは、教義も信仰対象も歴史もバラバラな各種教団が、なぜ、日青協の主導の下で歩調をそろえて動いているのかという疑問である。
 谷口雅春は天皇を現人神と崇めた。「一切は天皇より出でて天皇に帰るなり」と 説き、戦時中、聖戦完遂を唱えた。 戦後は「敗戦した日本などない」、敗れたのは「偽の日本」で天皇中心の真の日本ではないとして明治憲法の復元を訴えた。これは相当極端な皇国思想である。
 一方、菅野完さんの『日本会議の研究』(扶桑社新書)によれば、日本会議にかかわる教団には、皇室崇敬に重きを置かない教団もあれば、教育勅語にしか興味のない教団もある。さらには改憲を最重要課題としない教団もある。すべての教団が「保守」や「右翼」といった範疇に入るわけではないという。
 つまり、思想的に種々雑多で利害関係も異なる教団がウルトラ右翼の日青協によって仕切られている。右派の論客である西尾幹二氏に言わせると、日青協が「後ろに隠れて日本会議を操作している」のだという。
 なぜ、そんな奇妙なこと が起きるのか。日青協のどこにそれほどの吸引力があるのだろうか。と、首をひねっていたら『日本会議の研究』の中にその謎を解くヒントが見つかった。
 一昨年11月、日本会議の別働団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」主催の「今こそ憲法改正を!武道館一万人大会」が開かれた。菅野さんは〈その整然たる様は目をみはるものがあった〉と述べ、興味深い大会リポートをつづっている。
 何十台もの観光バスが駐車場に横づけされる。バスから吐き出される人並みを、駅からの徒歩参加者や政治家たちのハイヤーの間を縫って、現場の誘導員たちがスムーズに誘導する。
 誘導員の圧倒的多数はガードマンでもイベント会社の人でもない。スーツを着た日本会議関係者だ。彼らは過去にたび たび 武道館で「一万人大会」を開催してきた。そのたびにノウハウを蓄積してきたのだろう。実に慣れていて無駄がない。
 会場には高齢者の姿が目立った。だがスタッフは若い。大学生にしか思えない男女もいる。彼らは30~40代と思しき管理者たちから指示を受けている。
 着慣れないスーツで黙々と作業をこなす彼らの姿は「学生による社会運動」というより「インターン生」や「社会人体験」と言ったほうが実態に近い。
 人数も相当多い。5つある、どのゲートでも7~8人が受付や誘導に当たっている。会場内外での警備やゲスト誘導などで同程度の人員がいた。スタッフの総数は、ざっと100人前後か。その1人に確かめたら日青協の一員だと認めたという。
 菅野さんが5つのゲートご との入場者を推計してみたら全体で1万人超。大会の中で発表された参加者数は1万1300人だった。つまりこの大会は日本会議が〈「1万人集める」と公言し、その数をきっちり公言通りに叩き出した集会というべきなのだ〉と菅野さんは言う。
 何たるマネージメント能力!しかも日本会議は、それを利害の大幅に異なる各宗教団体などを束ねる形で実現しているとして菅野さんはつづける。
〈この能力は、選挙においても発揮される。/選挙に際して公言した通りの数字を確実に出す。/これほど、政治家にとって魅力的なこともあるまい。(略)この魅力こそが、政治家たちを「改憲」の道に向かわせる原動力なのだ〉。
 断定しすぎるきらいはあるが、鋭い着眼だ。日青協が日本会議を仕切るこ とができる第一の理由は 、彼らが長年かけて習得・蓄積してきた実務能力と運動のノウハウだろう。
 第二の理由も大会リポートを読み進むと、明らかになっていく。各教団からの大量動員が主なためか、2時間ほどの大会に熱狂や興奮はあまりなかった。ただ「会場の一体感」が生まれた瞬間が3度あった。1つは国歌斉唱のときだ。
〈この「国歌斉唱におけるグルーブ感(=高揚感)の発生」こそが、日本会議を理解するカギの一つだ。(中略)多種多様な人々が「なんとなく保守っぽい」という極めて曖昧な共通項だけでゆるやかに同居しているのが「日本会議」だともいえる。そして「国歌斉唱」は「なんとなく保守っぽい」だけで集まる人々を束ねる数少ない要素の一つなのだ〉
 菅野さんはそう述べ、他の2つの瞬間に ついても触れる。1つは、「日本国憲法を作った国・アメリカ出身です」と自己紹介したタレントのケント・ギルバート氏が「(9条を堅持するのは)怪しい新興宗教の教義です」と発言したときだ。
 もう1つは、大会当日に予告編が初上映された改憲プロパガンダ映画のプロデューサーだという作家・百田尚樹氏が「(日本人の目をくらますのは)朝日新聞、あ、言ってしまった」と発言したときである。
 両氏の発言は「9条遵守派」や「朝日新聞」という「なんとなくリベラルっぽい」とされるものを揶揄の対象とする。そしてその瞬間にこそ国歌斉唱のときと同じ、一体感が生まれた。
 菅野さんは言う。
〈日本会議事務方が行っているのは、「国歌斉唱」と「リベラル揶揄」という極めて幼稚 な糾合点を軸に「なんとなく保守っぽい」有象無象の各種教団・各種団体を取りまとめ、「数」として顕在化させ、その「数」を見事にコントロールする管理能力をを誇示し、政治に対する圧力に変えていく作業なのだ〉
 日青協=有能なテクノクラート集団というわけだ。では、日青協の神髄である谷口の皇国思想はどうなったか。彼らはそれを封印したのだろうか。(了)
(編集者注・これは昨年の週刊現代連載「わき道をゆく」の再録です。参考・『週刊金曜日』5月27日号。)