わき道をゆく第113回 日本会議が持つ「宗教」の顔

▼バックナンバー 一覧 2017 年 4 月 28 日 魚住 昭

 日本会議の話をつづけたい。組織の核・日本青年協議会(日青協)は谷口雅春の教えを封印したのか?という疑問にぶつかったところで前回は終わった。
 日青協の母体だった生長の家は約30年前の代替わりで谷口の「明治憲法復元論」を封印しリベラル路線に舵を切った。日青協はこれに応じず、教団を離れて独自の活動をしてきた。
 が、今の日青協のHPには谷口の名や「明治憲法復元論」は見当たらない。普通の右派の主張があるだけだ。時の流れとと もに、さすがの日青協も穏健な保守に変質したのだろうか。そうであっても不自然ではない。
 ところが、である。菅野完さんの『日本会議の研究』(扶桑社新書) に登場する早瀬善彦さん(33歳。同志社大の嘱託講師)の証言によると、真相はどうやらそうではないらしい。
 彼が日青協と出合ったのは大学受験で浪人中の01年。小泉純一郎首相が8月15日の靖国神社参拝を公約していた。早瀬さんは雑誌で『小泉首相と一緒に靖国神社に参拝しよう』という広告を見て申し込んだ。
 結局、小泉首相は公約より2日早い13日に参拝するのだが、早瀬さんは予定通り、関西から上京し、15日に靖国神社へ行った。以下は彼の証言。
〈「行ったらですね、学生、2~3人しかおらんのですよ。あとは大人ばっかり。で、どんな団体なんですか?って聞いたら『自主的に集まった団体です』って答える。しつこく聞いたら、ようやくそこで『日本青年協議会』を名 乗りました」〉
 早瀬さんは帰り際「僕たちの仲間は関西でもサークル活動しているから、大学受かったら探して参加すればいいよ」と言われ、サークル名を教えられた。『全日本学生文化会議』。日青協の学生組織である。
 翌春、同志社大に入学。学生文化会議に入り「京都に来る天皇陛下をお迎えに行こう」と誘われた。車列の通る沿道に日の丸の小旗を持つ市民が集まっていて「あの小旗の配布は僕たちがやってるんだ」と言われた。
 菅野さんによれば、」この話は他の関係者の証言と一致する。全国どこでも大抵、あの小旗を配るのは日本会議/日青協だ。早瀬さんはそれを知って「学生文化会議は歴史も伝統もあるすごい団体なんだな」と思ったという。
 以来、彼は学習会に何度も参加し た。が、語られるのは情念だけで論理性がない。左翼を批判するならマルクスも読みたいと思っていた早瀬さんは、精神論先行の体質に「なんかここ、変だな」と違和感を覚えた。
 ある日の学習会後、早瀬さんは某幹部から「これは、中に入った人にしか教えないんだけどね」と前置きして「四先生の教え」なるものを聞かされた。
 四先生とは谷口雅春、三島由紀夫、小田村寅二郎(元亜細亜大教授)、葦津珍彦(保守系思想家)のことだ。それを「誰にも口外してはいけない」とも言われたので奇異に思った。
 夏休み、富士山の合宿にも行った。話の内容は「東南アジアの人々は日本に感謝している」といった類ばかり。その後の反省会で「内観」をさせられた。2人1組で瞑想し、自分自身を反芻 して観察する作業だった。
 早瀬さんが 言う。〈「で、そのあと、不思議な儀式が始まりました。神職の方が来て、なんかえらい神職の人だという触れ込みでしたが、その人が、神道の儀式をするんです。ヒトガタ(註:神道ではカタシロともいう)を作ってね、それに息吹きかけさせられたり」〉
 早瀬さんは、その儀式を見て初めて「ああ、これは宗教なんだな」と気づき始めたという。
 03年1月の東京合宿では目黒区の日本会議/日青協の本部に案内された。同じフロアに仕切りもなく、両団体が同居しているので「日本青年協議会が結局実質、全部事務やってるんですね?」と訊ねたら「秘密だけどね」と言われたという。
 この東京合宿で早瀬さんは「早稲田国史研」というサークルのメンバーに出会う。読書と批判的思考を通じて 保守運動に参画しようとする人たちだった。次も早瀬さんの証言である。
〈早稲田のメンバーといろいろしゃべってたら『ここ生長の家でしょ?』とか言ってきて『え?そうなの』となったわけです。『宗教団体なんですか?って聞いたら『そうだよ』と。え…と愕然となったんです〉
 早稲田国史研のメンバーたちはその後、サークル部屋に残っていた古い資料を調べ、『ダミーサークルでしかなく学内の規定に準拠していない』という理由で国史研をつぶした。
 だが、早瀬さんは学生文化会議との関係を断ち切れずにいた。最後に参加した京都合宿では「常に天皇陛下がどう考えておられるか考えながら行動しろ」「大御心がどのようなものか想いながら生きろ」という話ばかりを聞かされ、辟易した 。
 彼らの内部文書を見たら、そこには「1年目には四先生の教えを徹底させる。二年目には天皇信仰を徹底させる。三年目には総仕上げとして谷口雅春の教えを最後に植え付ける」という裏カリキュラムが記されていた。
 我慢の限界を超えた早瀬さんは、日ごろから天皇天皇とうるさい先輩に「天皇陛下がサリン撒けっていうたらサリン撒くんですか?」と聞いた。その先輩は「うー」と唸りながら頭を抱え、2時間ほど悩んでいた。この爆弾質問は組織で問題になり、早瀬さんは学生文化会議から追放された。彼が回想する。
〈「本当に、カルトなんですよ連中は。谷口雅春の名前はことあるごとに出てくる。しかし『内緒だよ』とか『他の人に言ってはいけないよ』とか口止めするん です。つまり隠してるんですよね。隠さなければいいと思うんですよ。信教の自由ですよ。(略)しかし連中は隠す。それに連中の場合は、生長の家を批判しようにも、今は、本体の『生長の家』とも違う。だからなおさら正体が掴めない」〉
 そう。日本会議の最大の問題点はここにある。組織の構造が二重、三重になっていて、その核心部が外部の視線から遮断されていることである。(了)
(編集者注・これは週刊現代に連載した「わき道をゆく」の再録です)