わき道をゆく第120回 「それは公然の秘密であった」

▼バックナンバー 一覧 2017 年 10 月 27 日 魚住 昭

 先週号の最後にほんの少しだけご披露した文書について、もう少し詳しくお話ししたい。
 この文書は、終戦翌年の1946年5月、中国の南京高等法院からGHQ(連合国軍総司令部)に送られ、東京裁判の検察側証拠の一つになったものだ。
 日中戦争の開始以来、日本が中国を占領支配するのにアヘンをどう利用したか。その実態を南京政府(汪兆銘政権。日本の傀儡だった)の元幹部である梅思平(同年9月、死刑)らの供述などに基づいて告発している。
 その核心部をこれからご紹介しよう。なお、原 文の片仮名表記は、読みやすくするために平仮名に変えてあることをあらかじ めお断りしておく。
〈中国に於ける阿片取引は二つの理由によつて、日本政府の系統的政策であつた。第一に、内蒙古占領に続いて日本人により立てられたる傀儡組織であつたところの蒙彊自治政府は、罌粟の栽培を習慣としている内蒙古で阿片を購ふ事に依つて財政的不足を解決せんと努力した〉
 要するに、満州につづいて日本軍が占領支配した蒙彊(現在の内モンゴル自治区)政権の財政は、アヘンの売り上げで賄われていたということだ。これは1980年代、江口圭一・愛知大名誉教授(故人)が発見した日本側資料によって裏付けられた客観的な事実である。
 文書は、第二に日本政府自身も〈戦争に依る経済的困難〉を切り抜ける道としてアヘンに頼ったと指摘している。そのうえで〈阿片購 入用として指定せられたる蒙彊傀儡政府の貸附金〉はまず東京の大蔵省に送られねばならず〈そこで全額の幾分かは保留された〉と記している。
 正直言って、私にはこの「貸附金」が具体的に何を指すのかわからない。可能性として①蒙彊政権→農民がケシから採取したアヘンを集める業者団体への貸付②蒙彊政権→南京政府への貸付③南京政府→蒙彊政権への貸付などが考えられるが、いずれとも判断がつかない。
 しかし〈全額の幾分かは保留された〉というくだりは、アヘン購入資金が融資される段階で東京の大蔵省に利益をピンはねされたという意味であることは想像できる。文書はつづく。
〈他方では上海並びに中国の都市に於て売られた阿片の売上金の大部分は東条内閣の補助資金、及議員へ の 補助金に割当てられる為東京に送られた。それは公然の秘密であり、そして幾らかの本国内の日本人も又この東条内閣の名うての政策に反対して居た事は周知の事であつた〉
 問題はこの〈東条内閣の補助資金〉や〈議員への補助金〉が何を指すかだが、簿外の内閣機密費や国会議員に配る裏金の類と考えるのが普通だろう。
 ただ、梅思平ら「南京傀儡政府」旧幹部も金の行く先を特定する資料は持っていないらしく〈(宏済善堂の会計簿を捜索すれば、略々其の痕跡を発見し得べし)〉と付け加えている。
 宏済善堂とは、上海の「阿片王」里見甫が運営していたアヘン取引のための会社である。次に登場する盛文頤は、その里見のアヘン取引の中国側パートナーだ。文書はさらに興味深い事実を明らか にしていく。
〈盛文頤の言に依れば、利益支配の状況は極秘にして、東京と直接の来往に依つたのであると。即ち在華日本側機関も又、其の詳細を知る由が無かつた。維新政府(=汪兆銘政権ができる前の日本の傀儡政権)は税款(=税金)の極小を得るのみ〉
 つまり文書が言わんとするのは、金の行く先はすべて東京で決められ、旧南京政府がアヘンで受けた利益は〈極小〉に過ぎなかったということだ。
 こうして中国のアヘン問題は1943年冬にいたるまでまったく改善されなかった。が、同年12月、南京、上海、杭州そのほかの都市で学生たちがアヘンを売る店やアヘン窟を打ち壊す示威運動を起こした。それを契機に中国国民の日本のアヘン政策に対する反発も強まった。
 文書は、この ときの日本軍の対応をこう述べている。
〈しかし日本の軍隊は敢へて之に干渉しなかつた。結果として、日本政府は、南京政府が、”阿片の利益は蒙彊自治政府の主なる財源である”といふ事実を考慮する条件の下に於ては、もし中国が戦前の阿片禁止法案を回復することを望むならば、中国を助けるといふ意思を表示して経済顧問を南京政府へ派した〉
 要約すると、アヘンの利益で蒙彊政権の財源分だけ確保できるなら、中国側がアヘンの取り締まりを厳しくするのをサポートするというふうに日本側の態度が変わったということだ。
 文書はこの〈急変〉について〈三つの事実らしき理由が発見された〉としてこう述べる。
〈第一に、東条内閣は秘密の目的又は政治的目的に阿片の利益を使用した 事について、日本国内外の国民に依つて攻撃された。第二に、日本政府は中国国民の嫌悪を減少せんとした。第三の最も重要なる事実は当時の日本は中国の物資統制によつて阿片取引の十倍の収入を得ていた〉
 そのため政治的・軍事的支出の支払いのための基金に困ることはなかったというのである。
 以上のような経過をたどって上海や南京のアヘン禍は次第におさまっていくのだが、ここで留意しておかねばならないのは、主な陳述者である梅思平が置かれた立場だ。彼は当時、日本に中国を売り渡した漢奸として責任を追及されていた。
 アヘン問題で東条内閣が行った悪事を強調すればするほど彼の責任は軽くなる。そういう事情があるから、彼の陳述を何の裏づけもなく、すべて信用するわけに は いかない。
 そこで東条政権とアヘンの関係について日本側で言及した文献はないかと探してみたら、あった。近衛文麿元首相の女婿で、秘書官でもあった細川護貞(細川護熙元首相の父)の『細川日記』(中公文庫)である。
 細川は戦時中、陸海軍や政界の要人らから集めた情報をこの日記に綴っていた。その記述を追っていくと、東条はむろんのこと、彼の内閣の一員だった岸信介の金脈に関する極秘情報に遭遇することになる。(了)


【編集者注・これは週刊現代に連載された「わき道をゆく」の再録です。参考・『資料 日中戦争期阿片政策』(江口圭一編著・岩波書店刊)】