わき道をゆく第139回  書評『大政翼賛会のメディアミックス』(大塚英志著)

▼バックナンバー 一覧 2019 年 1 月 31 日 魚住 昭

 「翼賛一家」という漫画を存じだろうか。日米開戦の一年前、新日本漫画協会が大政翼賛会に献納した作品である。 11人の大家族。父賛平(48)は教師、母たみ(45)は糟糠の妻、長男勇(25)は会社員…当時としては平均的家族像だったに違いない。
 が、実は「翼賛一家」は空前のプロジェクトだった。なぜなら翼賛会の一元管理による多メディア展開だったからだ。
 翼賛運動の宣伝・啓発のためキャラクターと舞台設定が公 開され、多くの新聞、雑誌に様々なバリエーションが掲載された。レコード化・ラジオドラマ化・戯曲化、それに人形劇の脚本も刊行され、素人の「二次創作」が推奨された。
 なんだ、今のメディアミックスそのものではないかと思われた方もおられるだろう。その通りである。1980年代に角川書店が始め、今ではごく当たり前になったビジネスモデルの源流はここに発していたのである。
 著者はこのビジネスモデルを作った一人だった。「自分たちが『新しく』つくったと思いこんでさえいた」のに「驚くべきことに、同じ形式が戦時下に存在した」ことに気づいた。
 そこから新たな探求が始まった。そして、翼賛会が大衆の内面を動員しようと読者参加を募った国策メディアミックスの実態を明らかにしていく 。
 そのスリリングな作業を追いながら、私はモヤモヤが晴れていく気がした。なぜ、あの頃の日本人はあんなに易々と、場合によっては喜々として戦争に動員されたのかという疑問が私の心にわだかまっていたからだ。
 もちろん答えは一つではないだろう。だが、大衆の内面を丸ごと操るメディアミックスが開戦前に周到に準備されていたという本書の指摘は鋭い。
 しかも、それが上からの一方通行的プロパガンダでなく、下から盛り上がる「素人参加型」だったということが最大のポイントだろう。
 著者は問いかける。一見誰もが情報発信できる今の時代、我々は本当に自由に表現しているのだろうか。実は無自覚に「投稿させられ」「表現させられて」いないのだろうかと。(了)  (編集者注・これは週刊現代に掲載された書評『大政翼賛会のメディアミックス』( 大塚英志著・平凡社刊)の再録です)