叛民伝第1部 風々雨々
●ココアのひと匙
「死刑囚死骸引き渡し、それから落合の火葬場の事が新聞に載った。内山愚童の弟が火葬場で金槌を以て棺を叩き割った—その事が劇しく心を衝いた」
石川啄木の日記にはそう記されている。
幸徳秋水らが火葬された二五日夜、啄木は大逆事件の弁護人の一人で、歌人仲間でもある平出修の自宅を訪ね、秋水や管野すがらの獄中書簡を借り出した。
同時に、翌日裁判所へ返すことになっていた特別裁判記録を一日延してもらって、翌晩内密に見せてもらう約束をして帰宅した。
翌二十六日付の啄木日記。
「社からかへるとすぐ、前夜の約を履んで平出君宅に行き、特別裁判一件書類を読んだ。七千枚十七冊、一冊の厚さ約二寸乃至三寸づゝ。十二時までかゝって漸く初二冊とそれから管野すがの分だけ方々拾ひよみした。
頭の中を底から掻き乱されたやうな気持ちで帰った」
大逆事件で日本の社会主義・無政府主義運動は徹底的に弾圧された。政府は危険思想を撲滅するために、ありとあらゆる手を尽くした。
幸徳らを知っていたり、文通のあったりした者、熱心な社会主義者と思われていた者のほとんどすべてが、あるいは召喚され、あるいは家宅捜索され、あるいは拘引された。
ある学生は家宅捜索を受けた際に、その日記のただ一カ所に不敬にわたる文字があったというだけで数カ月間監獄に入れられた。
社会主義に関する著述は数年前の発行のものまで遡ってすべて発売を禁止された。そのあおりを食らって「社会」と名の付くものはことごとく不敬視され、「昆虫社会」という題名の本まで発禁処分となった。
新聞は犯人不詳の強盗事件や殺人事件などが起きるたびに、決まり文句のように「いずれは社会主義者か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と書くようになった。
啄木も事件発覚当初は、こうした世の風潮と無縁ではなかった。大逆事件を「不逞のやからの不逞の計画」と難じ、秋水らの行動を「常識を失ひたる狂暴の沙汰たり」と厳しく批判していた。
ところが、平出修を通じて秘密裁判の模様を聞き、「特別裁判一件書類」を読むに及んで、啄木の思想はドラスティックな転回を遂げた。
幸徳らの刑死から約五カ月後の六月十五日、啄木は病床でこんな詩を書いた。
ココアのひと匙
われは知る、テロリストの
かなしき心を———
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを敵に擲げつくる心を———
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。
(参考・引用)文献
『日本文壇史』(伊藤整著・講談社文芸文庫)、『石川三四郎全集』(青土社)、『啄木全集』(筑摩書房刊)、『祿亭大石誠之助』(森長英三郎著、岩波書店)、『学問と愛、そして反逆 石川三四郎の生涯と思想』(北沢文武著、鳩の森書房)、『東京朝日新聞』など各紙の記事。とくに石川啄木のくだりは『日本文壇史』に拠った。また物語の構成は『秋風秋雨人を愁殺す』(武田泰淳著・筑摩書房)をヒントにさせてもらった。
この作品は講談社ならびに同社の鈴木崇之さんの全面的協力によって連載されます。







現代プレミアブログ