叛民伝第3回:2 故郷

▼バックナンバー 一覧 2009 年 10 月 14 日 魚住 昭

 ●立田山

 Nは背の低い、痩せた少年だった。身体を鍛えるため、どんなに寒い日でも靴下をはかず、シャツ一枚に学生服で通していた。
 中学一年の秋、東京オリンピックが開かれた。そのときエチオピアのマラソン選手・アベベが裸足で風のように駆け抜ける姿が私たちの心を捉えた。たぶんそのせいだろう。Nはいつも裸足で校庭を駆けめぐっていた。
 どういうきっかけか覚えていないが、中学二年ごろから私とNは少しずつ話をする間柄になった。Nの眼差しはいつも真っ直ぐ前を向いていて、しかも優しかった。
 彼は早熟で、中学生には難しすぎるような文学や哲学の本をよく読んでいた。
 同じ高校に進んでから、私は部活のテニスに夢中になった。Nは弁論部に入ったが、裸足のランニングだけは変わらず、夕暮れの校庭を一人でひたひたと走っていた。
 私は高校三年の春ごろ、部活のテニスを通じて知り合った女子高生に恋をした。いまから思うと笑い話だが、その時は勉強も手に着かないほど悩んだ。
 相手に自分の想いを伝えたい。でも突っぱねられるのが怖い。思い余って、ある夜、Nを訪ねた。
 Nの家は熊本市郊外の立田山の麓にあった。Nは私を外に連れだし、立田山の暗い坂道を上りながら、私の話に耳を傾けてくれた。
 熊本市街の灯りを見下ろす展望台にたどり着いたころ、Nは「勇気をもって相手に告白すべきだ」と言った。
 それからまもなく私は女子高生に自分の想いを伝えた。その結果は読者のご想像にお任せするが、私が悔いのない高校時代を過ごすことができたのはNのおかげだった。
 
 Nは高校時代からベトナム反戦運動に強い関心を持っていた。マルクスやレーニンも読んでいた。私はNの影響で大学入学後に反戦デモや集会に参加するようになった。
 当時は全共闘運動が終わりにさしかかっていて、新左翼諸党派間の内ゲバが頻繁になり始めたころだった。私は大学二年目から次第に学生運動から遠ざかった。凄惨な内ゲバや爆弾闘争に怖じ気づいたためだった。
 だが、Nは違った。一浪して京都大学に入り、新左翼のなかでもあまり目立たない、地道で穏健なS同盟の活動家になった。大学三年目には党の指示で福岡に移住し、労働者のオルグ活動をつづけた。
 時折、NからS同盟の機関紙が送られてきたが、私はろくに読もうともしなかった。そのころ私は新左翼であれ、旧左翼であれ、党派というものを毛嫌いしていた。
 Nから来た手紙の一節に「君と僕とでは生き方が違うことは分かっている。だから僕は君をオルグしようなんて考えはまったくない」と書かれていたのを覚えている。
 私は大学を卒業して共同通信の記者になった。Nは福岡で相変わらず地味な活動をつづけていた。やがて文通も途絶え、Nのことを思い出す機会もほとんどなくなった。
 そのNが死んだことを知ったのは記者になって十四年目の一九八八年(昭和六十三年)秋、日本中がバブル景気に浮かれているときだった。

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