メディアと知識人第一回

▼バックナンバー 一覧 2009 年 5 月 14 日 和田 春樹

 さらに翌年にも私は「世界」にこの問題で論文を書いています。(「世界」88年5月号「再論・千島列島の範囲について——安政条約とクリル諸島」)。実は「安政条約と千島・樺太交換条約を読むと、二つとも同じで、クリル諸島というのは得撫島以北だということは明らかだ。だからサンフランシスコ講和条約で放棄したクリル諸島は得撫島以北しか含まれていない」というのは外務省の考え方でした。そこで今度は1855年の安政条約(日露通好条約)のオランダ語の正文に当たって調べました。すると非常におもしろいことがわかりました。どうしてこういう誤訳が生じたかと思うほどの、日本語の訳文は欠陥があるものでした。そんな誤訳に基づいて議論をすることはできないわけです。少なくともロシア人にはまったく通用しないわけですよ。ただ、そのことを私が書きましたものですから、外務省とまったく悪い関係になってしまったわけです。外務省の天敵のようになってしまいました。
 のちの96年9月13・14日に、東大で「ロシアはどこへ行く」というシンポジウムをやったときのことです。このときに外務省に協力していただきたいとお願いに行きました。篠田研次さんというロシア課長が出てきて、まっさきにこう言われました。「和田さん、クリル諸島についての解釈は改めましたか」と。私は「ご期待には沿えない。私は改めてはいませんと言ったのです。そのときは、篠田さんは、私がその点の考えを改めていなくとも、ロシア課課長代理氏を派遣して、懇親会であいさつしてくれるのですが、最初の挨拶がそれだったのは、とても印象にのこっています。
 さて、八〇年代の末には、私は外務省と接触できないような状態にありましたので、社会党の方へ行きました。土井たか子さんが88年に社会党の委員長として訪ソするということになり、協力を求められました。ゴルバチョフにどういうことを言ったらいいのか、何を話したらいいのか意見を聞きたいというわけです。私が土井さんに言ったのは、「二島返還を約束した56年の日ソ共同宣言の確認をゴルバチョフに求めたらどうか」ということです。ゴルバチョフは国際的な取り決めを尊重するという新思考に立って外交をやろうとしていますから、日ソ共同宣言の再確認を求めるのがいいのということになり、土井さんのために学者や外務省のOBに呼びかけてシンポジウムをやりました。私も報告し、土井さんはみんなの話を聞いてそれで行こうということになったと思いました。
 社会党のそれまでの主張は、共産党と同じで、全千島返還です。とんでもない話なんですね。つまり社会党の政権になったら、ソ連が頭をなでてくれて、全千島を返してくれると思っているわけです。そんなことはありえません。社会党や共産党の政権ができたって、返すはずがない。ソ連は社会党の代表団に、そんな要求はうけいれられないとはっきり言っていたのです。にもかかわらず、全千島返還を言い続けていた。通ろうと通るまいと、これがもうっとも正しい主張だという考えです。私は、「そういう主張をゴルバチョフに言ってもいいが、うしろのほうでコッソリ言ってくれ。最初は日ソ共同宣言の再確認についてはっきり言って下さい」と土井さんには言いました。会見の冒頭から「全千島を返還してくれ」などと言ったら、「この人は頭がおかしい」と思われてしまいます。そう言ったのですが、蓋を開けてみると、私の提言は採用にならなかったことがわかりました。社会党の内部のブレーンが「我が党の立場は全千島返還だ。これをまず言わなければならない」と言ったので、土井さんはそれに従ったのです。それでゴルバチョフ会談はだいなしになりました。これは失敗の経験ですね。

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