メディアと知識人第一回

▼バックナンバー 一覧 2009 年 5 月 14 日 和田 春樹

 それで96年9月の東大のシンポジウム「ロシアはどこへ行く」に協力してくれないかということで、外務省を訪れたのです。先ほど述べたように、そのときは、新しい篠田課長に代わっていたのですが、「わかりました。あなたはクリル諸島についての考え方を変えていないようだけれども、外務省から人を派遣してパーティで挨拶くらいしましょう」ということになりました。そして何人か外務省から来た中の1人が佐藤優さんです。佐藤さんがもってきて私にくれたのは、先ほど話があったロシア語のパンフレット『日本とロシア——真の相互理解のために』です。実はこの前に渡辺外相時代に『日本の北方領土』というロシア語のパンフレットを外務省は出したのですが、私に言わせるととてもロシア人を説得できないものでした。例によって、日露通好条約、千島樺太交換条約によれば、クリル諸島には択捉、国後は含まれていないという主張を述べ立てているのですが、これはロシア語では言えない主張なのです。なぜなら条約の日本語訳にのみ基づいている主張なのですから、それで、このパンフレットは条約の本来のロシア語訳文をつかわず、不完全奈日本語訳文をさらにロシア語訳して使っているのです。ですから、僕はこんなものはとてもダメだと批判していたのです。ところで、佐藤さんのもってきた『日本とロシア——真の相互理解のために』を見ると、択捉、国後がクリル諸島には入らないということは全然書いてありません。これは画期的だったわけです。そのほかにも、火傷を負った少年の話や地震のときの援助のことなどいろいろ書いてあり、「お互いに助け合っていくのだ」という話になっている。僕が見ると、これは本当に新しい流れが外務省内に出てきたという感じがしました。
 そこで96年10月16日の日ソ共同宣言40周年に際して、朝日新聞に談話をもとめられたとき、私は「国民が4島返還を望むのならば、4島を返してもらうようにどういう道があるか、考えたい」と述べました。それまで私は2島返還、4島共同経営を提案してきたのですが、4島返還にベースを変えたのです。これによって外務省とは、ますます関係が良くなったということですね(笑)。
 その後、橋本政権になってから、佐藤さんたちが大いにがんばった。私は99年に『北方領土問題 歴史と未来』(朝日選書)という本を書き、「日露の新時代が来た」と外務省の新しい努力を評価しました。2001年3月25日にイルクーツク声明が出たときも、歓迎しました。イルクーツク声明の前夜、朝日新聞に「どうする北方領土」という形で末次一郎氏と私の談話が載りました。末次氏は4島一括返還の立場でして、僕は2島+2島の段階論で行くべきだという主張でした。56年の日ソ共同宣言の中には、クリル諸島の一島である色丹島を「日本国の要望に応え、かつ日本国の利益を考慮して」、歯舞諸島と一緒に日本に引き渡すと書いてあるから、クリル諸島のほかの島(国後,択捉島)だって「日本国の要望に応えて日本国の利益を考慮して」渡せないはずはない、と説得できる。そういう余地が日ソ共同宣言の中にはあると述べました。イルクーツク声明が出たときには、私はそれを支持すると毎日新聞に書きました。当時そういう意見を述べた人はほとんど私だけでした(笑)。アメリカの学者が「和田の声は孤独な声だった」と書いていましたね(笑)。
 そこから先、2002年からの悲劇的な状況はよくご存知のことだろうと思います。再び外務省と私の関係は全然存在しないにひとしいことになってしまいました。
このごろは岩下明裕君(北大教授)の『北方領土問題』(中公新書)が出ました。これはとても良い本だと思います。岩下君は私の議論を評価する立場で書かれました。岩下君に以前にモスクワで会ったとき、「外務省から『和田の議論を否定する材料がないか調べてきてくれ』と頼まれてきたんです」と言っていましたよ(笑)。「だけどうまく見つからない」と言っていました(笑)。この本の中で、岩下君ははっきりと、クリル諸島の範囲問題については和田の議論が正しいと言っています。

(つづく)

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