フォーラム神保町東郷ゼミ「ゼロからのイスラム 第1弾」 〜国際政治の中の中東について〜

▼バックナンバー 一覧 Vol.132
開催日時:2010年 7月31日(土) 18:30〜20:30

勉強会レポート

酒井啓子先生の今回の講演できわめて興味深かったのは、イスラム回帰への志向性が若い世代によって担われていること、親の世代による影響ではなく、独自の民族的アイデンテティへの探求から招来されたものである、という御指摘でありました。
 
これは現代インドにおけるヒンドゥー原理主義の復興やアメリカにおけるキリスト教原理主義の諸相・たとえばビックチャーチの興隆、政治的影響力を有するテレビ伝道師の台頭とも相関する現象であります。
 
各自の民族が持つ最古層に属する民族的アイデンテティへの回帰が、先行する世代による啓蒙的刷り込みや活字媒体への専門領域的没入によってではなく、インターネット上の映像など最新のテクノロジーを媒介して行われるということ、「科学の先端を介していにしえの深層が蘇る」この世界規模で生起しつつある極めて特筆すべき政治的現象に関し、酒井先生の講演はひとつの興味深い事例的素材を提供するものかと思われた次第であります。
 
政治思想としてのイスラム主義は、必ずしも宗教から理解する必要はない、例えばパレスチナ問題などはイスラムを抜いて話ができる筈であり宗教という先入観抜きの違う視点から見るともっとよく解る筈だという酒井先生の提示された斬新な逆説は、「政治思想としてのイスラム主義」と「宗教としてのイスラム」は違うということを前提に、むしろ、イスラム圏での人々の日常的生活感覚、我々と大差ない日々のファッション感覚や西欧文化への接触を具体例を通じて展開されたわけですが、「イスラム圏における日々の生活感覚」「政治思想としてのイスラム主義」を語れば語るほど、私にはむしろ重厚な伝統を継承せし「宗教としてのイスラム圏」それの持つ独自性が濃密に浮き上がってくるという感じがしました。
 
イスラム異質論という意味ではなく「イスラム原理主義」の著者ディリップ・ヒロが指摘したように、宗教以上の社会システムとしてのイスラムは、包括的な文明としての概念であって、宗教のみならず様々な復興運動や多様な思想の摂取・共存を可能たらしめる「モザイク状の文明共同体としてのイスラム」という包摂機能が存在し、それらを多様な歴史や雑多な深層文化といった側面から複合的に考察するきっかけがそこに潜在しているのではないか、そう思った次第であります。
 
イスラム世界の独自文化というのは連綿と続いてきたわけではけっしてない断絶があった、イスラム圏における文化と歴史のあり方に関しては、伝統の断絶と継承、復興のプロセスは、始終一貫していたものではなく1922年最後のイスラム帝国であったオスマン帝国の崩壊を受け1924以降、イスラム世界全体が鹿鳴館になってしまったこともあると酒井先生は指摘されました。
 
たしかに中世においては、哲学、数学、化学をはじめ古代ギリシア文明の正統な後継者たるイスラム世界が学問に貢献した側面は計り知れないにもかかわらず、近世においてはむしろ イスラムに基づく社会のあり方を「遅れているもの」と理解する(イスラム文化圏在住者側の理解)人たちが多く、日本以上に西欧化が進んだ状況があった訳であります。
 
アラブ・イスラム世界において、日本での歴史的事例の進行にあてはめるならば「攘夷論」から「開国論」への流れは、むしろさしたる障害物や抵抗なく加速度的に進んだということで「酒を飲む」「ミニスカートをはく」我々がイメージする古色蒼然たるイスラム世界ではない西欧かぶれしたところの鹿鳴館的時代がイスラムにも存在していたし、また今度は別の角度から、ソ連の援助をへて左傾化した時代もあり、文化のみならず、思想面においても、ヨーロッパを追う、左傾化がおしゃれ、と思っていた知識人も大勢いた、封建遺制から鹿鳴館時代へ、アノミー状態の資本主義のみならず、マルクス主義やポスト・モダンの洗礼も体験しつくした後、そういった中で巻き起こったイスラム復興・リバイバルの動きというのは、一昔前の「デスカバージャパン」と似ていると酒井先生は言われました。
 
思想面で、このことを最も象徴的に示しているのが、サダム・フセインによって暗殺されたイスラム教シーア派の宗教指導者ムハンマド・バーキルッ・サドルの残した独創的な宗教思想でありまして「イスラーム哲学」「無利子銀行論」「イスラーム経済論」等に提示された彼の思想的因子は、イスラム教シーア派の伝統思想に立脚しつつも、近代西欧思想の様々な要素、とりわけマルクス主義をもーー批判的摂取とはいえーー取り入れつつ、無秩序な資本主義ともソ連型共産主義とも決別した地平において、「無利子銀行論」などに結実された独自のイスラム哲学の構築、シーア派思想による民衆救済の結実をめざし、その思想的営みはイランのホメイニ師にはるかに先行していたと言われている・・・そのサドルの思想の中にこそイスラム世界における密輸入された西欧近代思想の痕跡、伝統的イスラムとの見事にして興味深い折衷及び融合の過程を見ることができるわけであります。
 
サダム・フセインの統治体制及びイラク問題の専門家である酒井啓子先生のお話の中でマルクスや近代西欧思想に頼らずともイスラムだけでこれだけのことができることを示した「サドルのすごさ」に言及された箇所は、私個人としてとりわけ心に響く印象深い部分でありました。
 
しかし、同時にイランにおける近代ナショナリズムの派生過程、たとえばイラン立憲革命に寄与したタキザーテのような活動が、イラクやサウジアラビアに及ぼした影響ーーそれぞれの国でどのように違うかーーなどは背景として押さえておく必要はあるのかも知れません。結果としてナショナリズム形成が失敗した、未成熟とはいえ、真空からナショナリズムが自然発生したのではなく、それへといたる国民国家形成への「前史」があった筈であり、イスラム復興の動きも意外と西洋のモジュールが土台となって大量かつ雑多に混入しており、日本でいえば自由民権運動のような流れがイスラム圏でいえばどのような部分に該当するのか、それは成功したのか失敗したのか、それとイスラム原理主義復興の動きとはどのような引力と反発力両面での相関的影響関係に立つのか、(あくまでも個人的感想ですが)課題として調べてみたい事柄ではあります。
 
これはまた、「専門家ではない」と前置きしながらイスラム法に言及された酒井先生の講演箇所が実は私の一番の関心領域でありまして、キリスト教のスコラ哲学から派生した自然法の流れが、グロティウス、プーフェンドルフなどを経由して国際法などに影響を与えたその法生成プロセスには、普遍性を獲得するため「宗教倫理」からの「法」の分離が必要だった訳ですが、イスラム圏においては、むしろ「宗教倫理」と「法」が未分離であって、密接不離の全体を形成しつつ社会の秩序を維持している、その法秩序のあり方は、必ずしも後進性を意味しないのではないか、アラーの神による超越力=「強力」による介入及び「コーラン」や「ハディース」解釈が大前提とはいえイスラム特有の「法」や「倫理」「社会の秩序維持装置」が彼ら独自のやり方で彼らの社会に備わっているのではないか、かつてキリスト教世界が血で血を洗う宗教戦争、異端審問や火炙り、十字軍などから脱却・卒業・進化していったように、イスラムにおいても前近代からの離脱が必要とされている部分はあり、「犯罪と刑罰」の著者ベッカリーアや近代刑法学の父フォイエルバッハ等罪刑法定主義のイスラム法的摂取と修正・微調整のプロセスは必須とはいえ、全体の流れを「未開」「野蛮」ととらえるのは文化的偏見の一種ではないか、といった事柄であります。
 
酒井先生も御指摘のとおり、 イスラム法出現の前には地域独自の部族慣習法のみしかなく、イタリアのマフィアと同じようなアノミー状態があった。殺された者に対する復讐が、さらに復讐を呼び込み、復讐戦の無限連鎖へと発展する、この種の同害報復(キサース)を、「コーラン」2章178節、179節は法の枠内へと限定し、その種紛争の拡大を予防しているわけであります。
 
イスラム以降は、サウジのワッハーブ派に典型的に見られるごとく「コーラン」をもとにした「ハディース」=規範に依拠しつつ判例を積み重ねていく、ただし、そこには、様々な解釈が当然存在し、たとえ、コーランに地球はひらべったい、と書かれ厳然たる「地動説」が存在していたとしても、「天動説」へといたる柔軟なコーラン解釈で乗り切るなど無限大に現代社会に合わせられるモトネタの集積こそがイスラムの醍醐味なのである・・・・といった側面もあったわけであります。
 
もちろんシーア派とスンナ派の法解釈の違いなど細部まで精緻にわたる比較分析は必要なのですが、ホメイニ師にみられるごときイスラム法学者(ウラマー)の政治的調整機能などはーー神政一致とよく誤解されやすいのですが「イスラム法」が「法」である以上、ヨーロッパ的な集権的宗教権威と「イスラム法の権威」との識別は重要でありますーー特筆すべき現象なのでありまして実に興味深いことがらだと思われました。
 
諸賢も周知のごとく名著「回教概論」「亜細亜建設者」の著者にしてわが偉大なる碩学大川周明及び彼の育てた満鉄調査部における膨大なる亜細亜研究・イスラム文化圏研究の蓄積はいわずもがな、天才的宗教学者でもあった故井筒俊彦氏、イスラムの起源を拝火教(ゾロアスター教)までさかのぼるイラン・インド学研究の巨匠足利惇氏先生をはじめとして日本には独自の輝けるイスラム研究及びそれに先立つ先行文化研究の蓄積があった訳であります。
 
現在においても中東で活躍する日本人の現地通訳をはじめ専門家たちのレヴェルは諸外国と比べて非常に高い、「地方の方言なども自在に使いこなせる」という酒井啓子先生の御指摘は、日本の中東政策を考察する上で示唆に富む多大なヒントを提示していたのではないでしょうか。
 
つまり、日本にはこれだけ水準の高い濃密なイスラム・中東への宗教的民族的地政学的研究の蓄積がある以上、対イラク・対イランその他アメリカやヨーロッパとは違う独自外交における調整過程が可能である筈で、他国に追随しない、独立国家としての強靭な外交的交渉力・政治力形成への方法論的模索こそが、我々の共通テーマではないかと思った次第であります。
 
(筋田秀樹/自営業)

固定ページ: 1 2 3 4