フォーラム神保町東郷ゼミ「戦後ニッポンが失ったもの〜第8弾/新・日本型生活保障の可能性」

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開催日時:2009年12月8日(火) 18:30〜20:00

今年9月、「生活第一」と訴えて、「子ども手当」等を目玉政策としてマニフェストに掲げて政権を獲得した民主党によるわが国の舵取りがスタートしました。そこで今回のテーマは弥が上にも注目されるものとなりました。
 
今回の講師、北海道大学宮本太郎先生は語り始めに、自分が同じ職場の同僚で、フォーラム神保町でもゼミを持つ山口二郎教授と同年同日生まれであり、また「7月13日で永遠に革命前夜なんだ」というジョークで私達ゼミ生との初対面の緊張感を和らいで下さいました。(そういえば名前の語感も近しいですね)
 
「有効な政策を行うに当たっては対象たるものの構造を把握しておかねばならないが、 それがキチンと行われていない」と話された宮本先生は、先ずこれまでの日本における  生活保障について説明されました。その中心は「雇用による生活保障で格差を抑制してきたこと」であり、生活を保障するための「三重構造」(1.行政が業界と会社を守る2.会社が男性稼ぎ主の雇用を守る3.男性稼ぎ主が妻と子どもを守る)であるとしました。また「保護の構造」が同時に囲い込み型の「支配の構造」であること、「仕送り」という水平軸の所得の移転を通じて都市が地方を支えていたこと、人生前半をこの「三重構造」により保障し、狭義の社会保障は人生後半に集中していること、等の特徴を挙げられました。
 
しかし、80年代初めに「護送船団方式の行政指導」は官僚の能力の喪失により終焉しますが、一方で日本的経営は残り、行革志向が強まると同時に、他方では地方の「三重構造」を解消するわけにいかず、中曽根政権下では「三重構造」の不可視化(=見えない利益誘導。すなわち地方単独事業としての公共事業推奨と交付税での元利償還)が行われました。そして「見えないしくみは腐食が進み」(=地方の借金膨大化)、1995年を転換点として今までの生活保障=「安心の構造」が空洞化し、その「三重構造」の歪みだけが残りました。     そして、その傾いた「三重構造」の解体を小泉構造改革が請け負ったわけですが、「壊した後に何をするかを考えていない状況で『改革』と称して『解体』したことは問題である」と宮本先生は指摘されました。これにより現在は「行政不信」と「生活不安」が重なって   そこに存在し、「信じられるものになら負担は厭わないのに」という多くの国民の意識に おいてジレンマとなっている状況です。
 
続いて宮本先生は政権交代により生活保障はどうなっていくかを、自民党政権の倒壊原因と民主党政権の政策の意義と問題点、政権交代後の展開という流れで分かりやすく説明され、結論として「現在の政策は雇用への視点が弱い、これでは産湯といっしょに赤子を流すことになるのではないか」と懸念されました。そして、構造が崩壊した生活保障を再生  する為に北欧を教訓とした3つの視点(1.経済パフォーマンスを支える生活保障    2.つながりを支え広げる生活保障3.スウェーデン型生活保障のアキレス腱)について挙げられ、最後に日本での生活保障を再構築する為の具体的な提言として、「雇用を軸に した安心を甦らせよ」、その為には先ず様々なステージ(学び、家族、技能訓練、病弱・高齢)と雇用をつなげる橋を架けることが必要であること、それは行政だけではなく民間の力が大事であると訴え、そしてその先に「見返りのある雇用」を用意しなければならない   と締め括られました。
 
「働くことで居場所を見つける」——印象として宮本先生の目線は日常を営む生活者の ところにあることが伝わり、清清しく、聞き終わった後は、なにか床屋さんに出掛けた  後の「サッパリした」という感覚がありました。歩みの先には温かな光明のあることを  感じる講義でした。
 
講義の中で先生は「安定した政策は必ず人間の本性に合ったものである」と話されて   いました。このフレーズが頭に残っていた為、質疑応答の際、私は「北欧の事例をもっての提言ですが、日本の国民性、民族性に果たして合っているのかが疑問です。日本人の  その本性に沿ったものは何であるとお考えですか?」と質問させて頂きました。これに  対し、宮本先生は世界のあらゆる民族の「承認への欲求」に対する普遍性と日本人の   「非血縁集団主義」をもってご説明されました。
 
このレポートをまとめながら気付いたのですが、実は私が質問で引き出し確認するまでもなく、宮本先生は講義全体を通じて「雇用」、すなわち「働くこと」が日本人の正に本性に沿っていることなのだとおっしゃっていたのではないかと思います。私は学生時代に西洋人の労働感と日本人の労働感について、西洋では労働を神から与えられた「逃れられない苦役(刑罰)」とマイナスイメージで捉えるのに対し、日本では「お勤め、勤行」という前向きなプラスイメージで捉えていると習ったことが思い出されました。このような日本人の働くことへの姿勢は、現在もなお「失っていないもの」のひとつであることを今回改めて認識することが出来たように思います。
 
さて現政権の見るニッポンとは果たして如何に。
 
(長谷川隆一/起業準備中)
 
※フォーラム神保町のサイト上で掲載された「レポート」は執筆者個人の意見であり、所属の団体や組織等の意見ではありません。

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