フォーラム神保町香山リカの「ハッピー孤独死マニュアル」番外編 〜上映会『私の葬送日記』

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開催日時:2009年11月5日(木) 19:30〜21:30

勉強会レポート

 「血の繋がりのない僕を育ててくれて感謝している」——。今年大ヒットした村上春樹の小説「1Q84」で主人公の一人、天吾が長年相容れなかった、というよりも恨み続けてきた父親に対して発した言葉だ。千葉の療養所に入り、人生の終焉を迎えようとする父の小さくなった背中、ある一点を所在なさげに見つめて微動だにしない姿を目の当たりにして、天吾の心から「死にゆく」父の「人生」への愛情が洪水のように溢れ出したのだった。

 松原惇子さんの映画「私の葬送日記」はまさに「ヒトの人生とは、死とは何か」を改めて考えさせてくれた。葬式の「形式」にとらわれすぎて「死」の意味を忘れ、カネのやり取りや葬式の進行の仕方ばかりが重視される現代社会。人生においてはヒト同士の「心の繋がり」が大事であり、孤独死だろうが何だろうが、どう死んでどんな葬式をするかは関係ないという松原さんのメッセージは、おそらく多くの日本人が感じていながら、なかなか口には出せなかったことではなかったか。

 仕事柄、ヒトの「死」に接することが少なくない。地震や事件に巻き込まれ、突如として命を失う人は数知れず。家族から見捨てられ、失意の中で静かに息を引き取る人もいる。でもどんな人にもそれぞれ紆余曲折を経験しながら生きてきた人生がある。「死」に向き合うことは辛いことだが、それは「生」に向き合うことと表裏一体。取材を重ねるたびに、そんな思いは日に日に強くなっていく。

 アメリカで生まれた古典ジャズの名曲「聖者の行進」は葬式の最後にしばしば演奏された曲だが、曲調は極めて明るく、死者に対しての敬意が明確に示されている。私はまだまだ若輩者だが、人々が「生きる」ことにもっと貪欲になり、ヒトの「死」をもっと前向きに捉えられるようになれれば、社会全体にひずみが生じている日本もまだまだ捨てたものではないと思っている。

(岩崎貴行/報道メディア勤務)

※フォーラム神保町のサイト上で掲載された「レポート」は執筆者個人の意見であり、所属の団体や組織等の意見ではありません。

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