フォーラム神保町「今、ヤクザ取締りの現場はどうなっているか!?」

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開催日時:2009年7月25日(土) 19:00〜20:30

まず問題です。以下の文章は誰が書かれたものと皆様思われますか?
 
「弁護士と検察官が対等だというならば、弁護士の接見だって可視化するべきではないでしょうか。なぜ接見の可視化ができないのでしょうか。憲法上の問題だけでなく、それでは互いに十分話ができないという理由も挙げられるでしょう。しかし、それは警察・検察にとって、取調べを可視化することによりもたらされる弊害と同じなのです。」
 
「密室の取調べの中、暴力的な取調べが行われた事例や強引な取調べが問題にされた事例がこれまであったことは確かです。それが断じて許されないことであることは言うまでもありません。しかし同時に、そうした事案は全体の中ではごくごく一部であるということを私たちは忘れてはいけません。日本が諸外国と比べて安全で安心して暮らしていける社会を長年にわたって守ってきたことは間違いない事実。それを支えてきたのは、「日本風」の取調べなのです。これはどこの国もまねできない日本の良き蓄積なのです。」
 
選択肢は三択です
 
1.小学生 2.中学生 3.日本国法務副大臣
 
んっ、、、密室での取調べで日本の治安が守られてきたって、、、取調べは犯罪が起きてから行うものだろ!!というツッコミは別にして、密室での取調べを「日本風」の取調べと絶賛し、前代未聞の弁護士の接見の可視化を提唱!!強大な国家権力を前にした被疑者の立場や密室での取調べが冤罪の温床となっている事実(足利事件を忘れるな!)や近代刑事裁判のイロハのイである無罪推定の原則も全く理解できていないと思われるこの文章の主は、なんと前法務副大臣で現自民党副幹事長の河井克行氏(来たる総選挙では、比例中国ブロック1or2位確定で当選確実!文章は全て彼のブログから)なのです!
 
検察を所轄する法務省の副大臣がこれですから日本の刑事司法が絶望的なのも深く納得できる次第であります。
 
さて今回の勉強会も、また日本の刑事司法に対する絶望感のみが募る内容であった。
 
この日のために、わざわざ北九州から東京に来られたという岡田弁護士。
山口光市事件の弁護団にも名前を連ねられていた弁護士である。
その柔和な表情からは伺い知れないが、この一事をもっても気骨のある弁護士ということが理解できよう。
 
今回の勉強会のキーワードを挙げてみれば以下のようになるようにおもわれる。
 
「警察によるヤクザの徹底排除と利権の引き剥がし」、「ヤクザと一般市民の関係に楔を打ち込む」、結果としての「ヤクザのマフィア化」へ
 
ヤクザの取り締まりの現場に関して、岡田弁護士がその経験から語り始めた。
 
民事事件と刑事事件それぞれケースを挙げ説明した。
 
民事なら「スジの悪い事件」で強引に訴える。
具体的には、今まで組事務所として使用されていることを容認していた大家が、引渡しから22年経って突然、建物明渡しの訴訟を提起した。なおこの大家は毎年の中元、歳暮などを貰い、挨拶も交わす関係であった。そして本件訴訟まで、建物から出て行けと言ったことは一切なかった。裁判の場に大家は出てこず大家の真意はわからないままである。警察の指導による訴訟提起であると見られている。
 
刑事なら「被害者ぶりの悪い事件」で立件する。
組長の舎弟とのトラブルを聞きつけた警察が、そのトラブルの当事者に対して「お前には談合や横領の噂があるぞ」と恫喝を加えて取り調べ、結果その当事者が、警察のいうまま組長を強要罪で告訴。組長は逮捕・起訴され有罪が確定した。
 
そして事件に対して偏頗な構図のもとデオドラント化した調書を作成し訴追を求める検察臭のする正義への違和感を表明された。
 
さらには、このような背景に存在する刑法理論の問題にまで話しは及んだ。
それは共謀共同正犯論の問題である。
共謀共同正犯とは、簡単に言えば、殺人の実行行為を直接行っていなくても実行行為者と意思を通じていれば、直接殺人を行ったものと同じと見て罰してよいとするものである。(なお、この共謀共同正犯で司忍山口組組長は有罪が確定(一審無罪)し収監中、後藤元組長は逮捕起訴一審無罪、傍論だが麻原彰晃は死刑確定)戦前、戦後初期と刑法学会では、刑法の適用に曖昧さをもたらすとして、共謀共同正犯否定論が通説であったが、いつのまにか現在の刑法学会においては共謀共同正犯肯定論が圧倒的通説となった。しかもその理由が「もう抵抗は無理、認めて限界を明確にした方が現実的」という、理論的説明を放棄した身も蓋もないものであることが指摘された。
 
そして刑事司法の致命的欠陥として、有罪率99.9%という独裁国家も仰天の数字と調書裁判の関係、警察の闇と検察の弱体化、裁判官と検察官の人事交流の問題点を指摘した。なお自戒をこめて弁護士自身の問題として、法廷で独立の気概を示すことなく裁判官にへりくだってしまう弁護士の精神性の問題点を指摘した。
 
注目すべき新たな動きとして福岡県警が全国初の暴力団排除条例の策定を目指していることを述べた。その内容は、暴力団と関わった県民側にも罰則(懲役または罰金)をもって臨むという驚くべきものである。その目的は暴力団に寛容な風土を一掃することなのだという。
 
また参加者の一人、RICO法研究家の山浦鐘さんから、暴対法のモデルとなったとおもわれるアメリカのRICO法について報告がなされた。その内容は、当初組織犯罪を取り締まることを目的としたRICO法が、判例による法創造で次第に変容して、9.11の犠牲者家族がアメリカ政府をRICO法により訴えるまでになったという事例の報告がなされた。なおこの話しの注釈として宮崎氏が、例えば警察官の不祥事に対して警察トップを訴えるなどの使用者責任の逆用もありうるのではないかと問題提起をなされた。
 
さらに宮崎氏から、改正暴対法31条の2(威力利用資金獲得行為に係る損害賠償責任)に基づく全国初の訴訟として司忍山口組組長に対する損害賠償請求事件が提起されたとの報告がなされた。
 
ヤクザを取り締まることによって、それまでヤクザが利権をもっていたところに代わりに警察が利権をもつことになることに宮崎氏は注意を向けるよう促した。パチンコ業界、警備業界、風俗業界然りである。
ヤクザに対する取り締まりは、もはやヤクザがふつうに生活することすら容認しないところまで来ている。その意味でヤクザは生存権が奪われる事態に陥っているといえよう。(憲法25条1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定する)ヤクザの存在そのものの抹殺を志向する国家権力。そのような情況下で、ヤクザが地下に潜りマフィア化するのは必然であると宮崎氏は述べる。
 
宮崎氏の最近著からひいておく。
 
「法を犯した者を処断するのは当然のことだ。ヤクザでもカタギでも、法律どおりに裁けばよいのである。だが、暴対法の主旨は裁くことではない。社会の異物として葬り去ること、問答無用に排除することなのだ。
 人にはそれぞれに「背景」があり、なかには個人では負いかねる鬱屈した事情を背負い、ヤクザになるしかない者もいる。私の周囲はそんな人間ばかりだった。そんな「ヤクザを生む環境」を一顧だにすることなく全否定するような考え方には、なんとしても納得できない。
 しかも、我々を葬り去ろうとする権力側の人間たちの現在の“有様”はどうか。」(『上場企業が警察に抹殺された日』p183)
 
帰りのエレベーターのなかで、ひとりの参加者がぽつりとこぼした言葉が印象に残った。
「最初は暴力団からはじめて、次は権力にとって目障りな一般国民を根こそぎ抹殺してゆくことになるだろう」
 
果たしてこれは対岸の火事なのだろうか、、、
 
賀集 昌 (東京大学情報学環)
 
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