フォーラム神保町第31回「ルワンダと日本に見る『戦後処理』の違い 〜テレビがオンエアしないルワンダの現実/ルワンダ・ルポ秘蔵映像上映」

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開催日時:8月15日 (金) 18:30〜

勉強会レポート

「ジェノサイドは起こるべくして起こった」という、伊東氏の発言から当日の勉強会ははじまった。
1994年、3ヶ月のあいだに100万人が殺されるという大虐殺のおこった国、中央アフリカに位置する小国ルワンダ共和国。九州より少し大きい程度の面積の中に、現在では800万ほどの人間が住む。大澤氏によれば、どこにでも人の姿があり車を走らせればすぐに次の町につくというこの国の様子を、伊東氏は「アフリカの西ベルリン」と喩えた。今回の勉強会では、ルワンダ共和国からの招きにより、内戦からの復興を目指す国の理科・科学教育支援のために彼の地を訪れた伊東乾氏と大澤具洋氏に、映像と写真を交えてのルワンダ報告をうかがった。

◇ジェノサイドにいたる力学

まず伊東氏より、「起こるべくして起こった」大虐殺にいたる歴史的な経緯のレクチャーが行われた。一般的に、フツ族によるツチ族の虐殺、民族対立の生みだした悲劇として理解されるルワンダの大虐殺だが、そもそもフツ族とツチ族の間に人種的な差異はない。この二つは20世紀初頭まで、日本の士農工商とも類比的に語りうる社会階層として曖昧に存在したにすぎなかったという。ここに対立の構造を持ち込んだのが、西欧諸国による植民地政策であったと伊東氏は述べる。

ルワンダは、1916年にベルギーによる信託統治領となり、1932年から1933年にかけて、IDカード導入が実施される。この登録の過程で、フツ族かツチ族かという各人の帰属が確定されIDとして書き込まれていった。これは“より発達した”ツチ族が“知的弱者”であるフツ族を保護する体制を築くための優生学思想を背景にした人道的政策であるとの触れ込みであったが、実態はベルギーによる植民地の分割統治政策でしかなかった。この時点で、確固たる、しかし恣意的な二つの部族への分割が生まれたのだ。これこそが、後に大虐殺へといたるルワンダ国内の憎悪と対立の起源となったと伊東氏は指摘する。

このベルギーによる分割統治政策のもとで、2割を占める支配層ツチ族と8割を占める被支配層フツ族の固定化した区別から、就学・就職・収入などあらゆる差別と階層が生み出される。社会政策に起因する大衆の分断から困窮へと没落する層が生まれ、没落階層への差別が固定化するという社会不安の増大過程は、松方デフレから日露戦争にいたる日本の状況とも類比しうるものではないかと伊東氏は問題提起する。

その後も世界情勢の推移と宗主国や近隣諸国の思惑の波を受け、この分割の生み出す対立が、彼の地を揺さぶりつづけることになる。1959年には、ルワンダ内に入り込んでいたフランス資本とフランス軍の策動により、フランス革命を模した見立てのなかで、“支配層”ツチ族にたいする“民衆”フツ族の蜂起が虐殺をともなうかたちで起こるなど、ツチ族とフツ族の相互報復があおられていく。対立はやがて、1962年、ルワンダを南北に二分しての「ルワンダ共和国」と「ブルンディ王国(のちにブルンディ共和国)」の樹立にまでいたる。度重なるフランスの策動と介入の背景にあったのは、フランス政府のアングロフォビア(英米嫌い)からくる「第三極」維持という国際政策であった。彼の地は、これに翻弄されつづけることになる。

◇虐殺の日、虐殺の地

1994年4月6日、ルワンダ・ブルンディ両国大統領を乗せた大統領特別機が撃墜される。この暗殺を受けてフツ族とツチ族の対立は最高潮に達し、ついに「人民の人民による人民のための虐殺」が起こる。しかし、これは決して自然発生的なものではなく、指導層による周到な準備や、フランス軍による拷問・虐殺指導があった。そのきっかけに、1990年10月、ウガンダにいたツチ族難民の、アメリカの力を背景としたルワンダ共和国への流入があったという。アメリカをバックにした勢力の流入に対してルワンダ共和国国内でのプレザンスを守るためのフランス政府のシナリオが、大虐殺に結びついたと伊東氏は述べる。

100万の人間が鉈で殺された。殺害した人間は数十万人と言われ、現在ルワンダ共和国で訴追されている人間だけでも16万人にのぼる。虐殺をともなった紛争は、アメリカをバックにしたツチ族勢力により内戦停止が実現した1997年まで続いた。フツ族の虐殺指導者層は現在もフランスに亡命しており、フランス政府はこれを支持しつづけている。現在、フランスとルワンダ共和国のあいだに国交は無い。

内戦停止後、現在のルワンダ共和国では、現在進行形で虐殺にかかわった人間の裁判が開かれている。上述の16万人に対して1万2000の法廷が開かれ、ガチャチャ(草の上の議論)と呼ばれる伝統的なやり方で裁かれているという。三権分立が確立していないなど、形式的な不備をもつガチャチャであるが、そこでは時に冗談も交わされるなど、ゆるやかに虐殺のあとの断絶した社会的な紐帯を取り戻そうとする姿があるという。

ルワンダ大虐殺への道のりを伊東氏からうかがった後、現況ルワンダを収めた映像・写真をプロジェクトしながら、伊東・大澤両氏による今回のルワンダ訪問報告へと勉強会はすすむ。

現在のルワンダ共和国では、町ごとに虐殺の記憶をとどめるメモリアルが残されているという。両氏が訪れたいくつかのジェノサイドメモリアルがスクリーンにプロジェクトされる。当時は教会であった虐殺現場をメモリアルとしたニャマタ。そこは、今も天井に手榴弾の痕があり、死肉の飛び散った痕が残る。明るい陽光の下、コロニアル様式の楽園風に整えられ、全体には平穏な印象さえうける景色がプロジェクトされ、現場では生物としての原初的な嫌悪感に触れるような何ともいえない臭いがしたと、伊東氏がその場所での感覚を言葉にして映像に重ねる。掘った穴に遺棄され、積みかさなった重みでぺしゃんこになった死体が安置されている部屋、シャレコウベの大量に並ぶ地下のマスグレーブ、虐殺に使用された鉈。紹介される写真と映像は、それが死体であってもどこか静謐な印象をたたえ、伊東・大澤両氏の発することばで説明される、そこでおこった出来事とのあまりの落差に言葉を失う。

◇「ルワンダ」という普遍的問題

伊東・大澤両氏の衝撃的な報告が終わる。勉強会は参加者の質疑を交え、議論へと移る。伊東氏が虐殺の起源を植民地政策における設計主義的・構築主義的な社会階層形成に求めたことに対し、社会階層や(亜)民族的なものが設計によってのみで造りうるのかという疑義が勉強会世話人の佐藤優氏から提出されたことは印象深い。かさねて、同じく世話人である宮崎学氏からは、「植民地政策が生みだした対立」という説明図式に収まりきれない情念の由来への問いが提出された。議論は一方でルワンダの人々の死生観をめぐり、他方、持ち込まれたキリスト教諸派の影響や中国の進出など国際状況のルワンダにおける反映をめぐるなど、多面的に深められていく。彼の地の歴史が、かつて起こった悲劇ではなく、世界史の流れの中にある今日的問題であることを浮き彫りにする議論であった。

全体を通して強く印象に残ったのが、伊東氏の指摘する「声」の存在である。人々が受動的に受け入れる声は、理性よりも先に人々を駆動する情動に直接作用する働きがある。虐殺にいたる憎悪のたかまりを煽ったのは、ラジオからの声であった。また虐殺の現場では、ある種の興奮を促す音楽がかかり、高揚の中で惨劇が演じられたという。質疑でも、その音楽がどのようなものであったのかという質問が挙がっていた。人間社会の構築的な側面と、個人の「ケダモノ」としての側面が交差する困難な問題がそこにあるのではないだろうかと感じる。伊東氏は、たとえば、アメリカでのイラク派兵時の状況や日本の玉音放送の問題とも重なる部分を指摘するが、だとすればそれは、今日の日本人にとって大変アクチュアルな問題だと言えるだろう。日本にはなかなか伝わってこないルワンダの現況を知るとともに、自身にとっての大きな問いを受け取る勉強会であった。

(NHK出版 井本光俊)