読み物砂漠に広がる白い町

▼バックナンバー 一覧 2012 年 3 月 14 日 大瀬 二郎

一、コウベ難民キャンプ

 砂漠に広がる白いテントの群れは、一見とても美しく見える。規則正しく並んだテントの下で生活している難民の人たちの困窮は遠くからは見えないからだ。

 ここコウベ(Kobe)難民キャンプを訪れたのは8月半ば。ソマリアと国境を接するエチオピア南東部に散在する4つの難民キャンプの1つ。国連によってFamine(飢饉)が発表されたソマリア南部からおびただしい難民が流れ込み、6月に新設されたばかりのこのキャンプは、わずか一ヶ月で定員の2万5千人を超える。

 ソマリアを含む「アフリカの角」では、春と秋に訪れる雨季に十分な降雨量が得られなかったこと、地域の情勢不安定、食料価格の高騰、援助の大幅な遅れのため、「過去60年で最悪」と呼ばれる干ばつ・食糧危機が発生する。現在、ソマリア、ケニア、エチオピアそしてジブチにおいて,約1千200万人以上が緊急支援を必要としていると国連が発表する。その中でも1991年から内戦が続いているソマリア、特にイスラム系武装勢力グループのアル・シャバブがコントロールするソマリア南部では、2009年から国連機関の職員や人道支援NGO(非政府組織)のメンバーのほとんどをスパイ・キリスト教宣教などの容疑で強制退去させているために援助が届かず、窮乏に追い込まれた難民が、ケニアやエチオピアなどの隣国に流れ込んでいた。国連によると、ソマリアの人口の約半数の370万人が危機に陥り、そのうち280万人がアル・シャバブがコントロールする南部の住民だった。

 急造の粗末な建物のトタン屋根の下、色とりどりのショールに包まれた女性達は、無言で一列に並んで立っている。先頭の女性が呼ばれ、頭からすねまでを囲っていたショールがまくり上げられると、ミイラのように痩せこけたアリ君が姿を表す。ここはソマリア南部から国境を越え、エチオピアにたどり着いた難民の受付センターのクリニック。看護婦が血管を探すために腕をぎゅっと握り込むと、弾力性が失われたアリ君の皮膚はセロハンのようにしわがより、裂けてしまうように思える。2歳のはずのアリ君は彼より年下の我が子の半分くらいの大きさに見える。

 「アフリカの角」では、気候変動のため干ばつの頻度が増し、特に情勢が不安定で援助が届きにくいソマリ南部の子供たちの多くは慢性の栄養失調に陥っていた。そして『過去60年で最悪』の干ばつは、既に極限状態にあった人々に容赦なく追い打ちをかける。重度の栄養失調で生死をさ迷っているアリ君の口は何も受け付けず、命を取り留めるための水分、塩分、そして糖分を点滴で補給する緊急手当が必要だった。アリ君は生気をほとんど失った瞳でトタンの天井をじっと見つめていたが、点滴の針が手の甲に刺されると、かすかな泣き声をあげ、乾ききったほほに一筋の涙がつたう。母親は彼に母乳を与えようとするが、痩せこけた彼女の乳房には一滴も残っておらず、ただ、かすかな泣き声を封じる役を果たすだけだった。

 しゃがみ込んで、看護師と母親の間からシャッターを切る。「カシャリ!」一眼レフのミラーが上下し、冷たく機械的な騒音が部屋に響き渡る。いや、自分は遠すぎる。もう少し近づかなければ真相が伝わる写真が撮れない。しゃがんだままじりじりと数センチ近寄り、涙で潤んだアリ君の瞳にピントを合わせ「カシャリ!」シャッターを切るたびに自分の体が硬直し、胸が鈍い刃物で刺されるように痛み、息が苦しくなってくる。だが、「この写真を撮らなければならない」と言い聞かせ、また1センチ近寄って「カシャリ!」

 隣の部屋では子供たちの体重検査が行われている。肉や野菜の目方を量るための重量計にプラスチックのバケツがくくりつけられたものが使われている。部屋を見回し、まず目にとまるのが、鮮やかなオレンジ色の髪の毛とせり出したおなか。栄養失調によって色素と栄養分が髪に届かず変色してしまっているのだ。数年前に初めて橙色の毛髪の子供たちを見たとき、子供たちの髪を染めることが地元の風習なのかもしれない、と勘違いしたことを覚えている。

 皮肉にもせり出したお腹には食べ物は詰まっていない。胃袋が空になると、生命を維持するために、体はまず始めにエネルギーの貯蔵庫である脂肪分を分解し始める。脂肪分を使い果たすと、最終手段として筋肉のタンパク質を消費し始める。このため重傷の栄養失調の人たちは、自分の体によって全身の筋肉を貪られミイラのようになり、皮膚は弾力性を失い、古いペンキのようにはがれ始める。血液に含まれるある種のタンパク質は、血液の浸透度を調節することによって最適な水分を保つ役割を果たしている。だが体がこのタンパク質も消費してしまうことによって、血液に水分を保持することができず、水分が血管から腹腔に漏れ出すためにお腹が膨れあがる。

 こういった知識が難民キャンプの取材を重ねいくことによって蓄積される。飢えた子供たちの姿を見て、栄養失調がどの程度重いのか予想がつくようになる。だが今回目の当たりにした危機は、以前経験したものとはスケールが違っていた。キャンプを訪れた8月、UNHCR(国連難民高等弁務官)によると、重度の栄養失調児率は32パーセント。WHO(World Health Organization: 世界保健機関)によると、至急の介入が必要とされている、重度の栄養失調の緊急境界線は2パーセントであり、訪れていた難民キャンプは緊急事態を遙かに超えた状態にあった。体重測定の部屋の隣では、はしかの予防注射が行われていた。栄養失調のため、免疫が低下し、はしかが流行し始めていたからだ。弱り切ったからだに病気に対する抵抗力が激減し、はしかや風邪、下痢などのごく普通の病気が子供たちの命を奪う。

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