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▼バックナンバー 一覧 2010 年 10 月 27 日 松林 要樹

●廃車を谷に埋めていた時代

 かつて、八丈島では三原山から流れる樫立川の谷間に車を捨てていた時代があった。それほど昔のことではない。一九八九年に問題が表面化した。TBSに「噂の東京マガジン」という番組がある。ここで谷間に何十台もの廃車が捨てられている映像が流された。廃車の山が築かれている映像だったのだ。
 当時の奥山日出男町長はインタビューに対し、「山の中に埋めて、土をかぶせているからツタが張って、それで車を処理したことになる」と答えたという。この発言が注目を浴び、一躍話題になった。今もこの発言を覚えている町民は多い。
 その直後、町としてはさすがにこれではまずいということになり、三六〇〇万円の補正予算が組まれ「八丈島廃車処理計画」が立てられた。野積みされた廃車は実に約四〇〇〇台。樫立川に埋めてしまったのが五〇〇台。一九八九年度の廃車見込みが一〇〇〇台だった。これら合計五五〇〇台が放置されていたのだ。町は廃車をプレスし始めた。
 佐野眞一著『日本のゴミ〈豊かさの中でモノたちは〉』(九三年講談社)の中で、当時の奥山町長は質問にこう答えている。
 「廃車の問題は、実は今に始まったことではありません。空港の周りをはじめ、島内のあっちこっちに野積みされて、観光上からいっても見苦しい、という意見もよく聞いた。それでもクズ鉄の値段が高いうちは良かったんです。島内の解体業者がスクラップにして東京に売っても商売が成り立った。
 ところが、五年ほど前からの円高で、国内でクズ鉄を調達するより、海外からの輸入クズ鉄のほうが安値になってしまった。島からの運搬費や人件費などを考えると、とても引き合わなくなってしまったんです。それで、一般ユーザーから解体処理費を取りながら、廃車をそのままほったらかしにする業者が跡を絶たなくなった。その結果、廃車の山がどんどん築かれるようになってしまったんです」
 さらに、八丈町は一九九〇年四月一日より普通自動車一台に付き個人負担金を五〇〇〇円にし、町からの負担金五〇〇〇円をプラスして廃車の処理に充てる「自動車投棄規制条例」を施行した。
 同書の中で、八丈島最大手の解体業者である八丈建機サービス社長の須貝維一郎は「廃車を野積みしている不良業者のツケを税金でまかなうのはおかしい」と言っている。たしかに、町自体が廃車処理にのりだしたにしても、それは不良業者の不始末を尻拭いすることでしかない。離島の経済的、自然的環境がこのような事態を生んだ。この廃車の例に代表されるように、経済的に豊かになった日本は、離島にも膨大なゴミを生み続けた。昨今はただゴミが目立たなくなっただけで、問題の本質は何も変わっていない。

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