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▼バックナンバー 一覧 2010 年 10 月 27 日 松林 要樹

●島のゴミ管理をやっていた浅沼英夫

一〇年一月、私は再び、八丈島を訪ねた。長田とともに、浅沼英夫(八二)に当時の生活の様子を聞きに行った。水海山に村落があり、人が住んでいた時期に、そこの住民だった方である。また、彼は八丈町のゴミ処理事業に三三年も関わっていたため、当時の八丈島でどの種のゴミが捨てられていたのかをよく知る人物である。
 大まかに言って二つのことを聞いた。かつての八丈島のゴミ処理事業の実態と、処分場が建つ場所がかつてどういう場所だったかだ。
 水海山に住んだ人たちは、井戸を掘って、その水を生活用水に使っていた。井戸は深く掘ったものでも二〇メートル程度だった。水海山は湿気が多く、それが原因の一つとなって、生活をあきらめたそうだ。
 浅沼英夫は、〇八年一一月、『南海タイムス』に次のような意見広告を出している。
 町長さんへ 私は今まで全面的に、一〇〇%町長さんを支持してきました。
 現在は九九%に変わりました。残りのたった一%だけは、どうしても賛成できません。
 住民運動を批判する個人の投書に公金が使われたからです。
 浅沼道徳町長が「緊急メッセージ」と題した、処分場に対する考え方を書いたA4両面の意見書を公費で出したことへの批判だった。浅沼英夫は言う「ある日突然やってきた議員秘書が、現職の町長と今回の選挙でよく戦った。島では、土地をよく知る人以外当選しません。今回の得票は、ありえないことです。それは、水海山が争点になっているということをもっと深く考えてほしいからですよ。これで当選したことで、民意がすべて町長側にあったと思っていただきたくないからです」と。
 話ぶりにはまじめな人柄がにじむ。島でこういう意見を言うのはなかなか難しかったのではなかろうかと思った。
 「私は、ゴミ関連の仕事を町でしていたけれど、ほら、周りを見てください。ここにある本や置物など、ほとんどすべてゴミ処理場で見つけたものです。すべて使える状態のまま、捨ててあったからもったいないと思って、私が持って帰ったのです」 そのゴミの山から見つけてきたコレクションを見せていただいた。八丈島の『八丈町誌』からはじまり、北海道旅行みやげのヒグマの木彫りの置物、石油ランプ、木製の農具、机、石油ストーブもあった。これらが全部離島である八丈島に持ち込まれて、そのまま捨てられていた。
 「これには危険な物質が含まれているかもしれないのですが」と前置きをしながら、かつて焼却炉から見つけた溶けた鉄くずを見せてくれた。何が溶けたのか分からない、ガラスの破片から、鉄から、なにからなにまで含まれた銀色の気持ちの悪いものだった。ただこれを見せる浅沼英夫は、意外と得意げだった。
 「日本中で同じような形で処分されたゴミがたくさんあったんです。本土だったら、いろんなゴミが、分別され、処理されていくのでしょうが、ここには、ほかに行きどころのない、こんな形のゴミがたくさんあるのです」 私は彼が意見広告を出さざるを得ない、その思いの根源にある何かを垣間見たような気がした。

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