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▼バックナンバー 一覧 2010 年 10 月 27 日 松林 要樹

●町長選が最後のチャンスだった

長田ら「水海山の緑と水を守る会」は、住民説明会を経た二〇〇八年一一月、署名運動を行い、四一〇五人(島内三八二八人、島外二七七人)もの「計画の凍結などを求める要請書」への署名を集めた。これは、会ができて以来最も大きな運動となった。
 ところが、公式の対応ではないにしても、町は提出された署名をもとに重複や未成年者を除いて署名の実数がどの程度あるのか、一軒一軒確認した。その後、「何で署名したのか」と署名の理由を確認するための電話があったと聞いて、私はあいた口がふさがらなかった。このような地盤の上で、町では「お上には決して逆らわない」ということが暗黙の掟になっているのだ。
 「あのときこれだけの署名があり、リコールをやればできたかもしれなかった。でも、町長選をすぐに控えていたから、あのときにはリコールという発想がほとんどなかったし、その直後に選挙をやるパワーもなかった」と長田は振り返る。選挙で、もし、反対派が勝っていたら今のような結論にはなっていなかっただろう。
 二〇〇九年の一月二五日、町長選が行われた。争点は処分場だった。民主党の衆議院議員・松原仁の秘書をしていた池田剛久が建設反対を主張して立候補したが、建設推進の現職町長が当選した。
 
開票結果 投票総数 五二四〇票(有効投票数 五一八四票 無効投票数 五六票)
浅沼道徳(現) 三〇六三票
池田剛久(新) 二一二一票
 
 島とは全く縁もゆかりもない民主党議員の秘書が、ある日突然立候補したにもかかわらず、その得票差は九四二票。それは民主党が彼を応援したからだけではない。
 一対一の直接対決なので、一人の票が二票の重みを持っている。水海山を純粋に守りたいという気持ちが、この投票結果に反映したことは間違いない。建設処分反対に署名した三八〇〇人のうち、二一〇〇名程度が投票したということだろう。
 二〇一〇年一月、私はインタビューのため町長室を訪ねた。これまでの過程を町長としてどう思っているのか聞きたかったからだ。浅沼道徳町長と住民課の山越課長が待っていた。時間も30分と限られていたので、矢継ぎばやに質問した。
 私は地盤がぜい弱だという意見があるが、それをどう思うかと聞いた。
 「それは、工事でやっていけばいいでしょ。危険がないように。今の工事の現場で安心で安全な工事を。反対のための反対だと思うよ、破けて汚染されるなんて、作ってもないうちに…」 町長は怒ったように答えた。
 もし処分場ができた後、土壌が汚染され、水が汚れたら取り返しがつかないじゃないかと私が切り返すと、こんな答が返ってきた。
「何で取り返しがつかないの? 完全に国の予算、都の予算、八町村の予算で直すと言っているんだから。こんな保障があるのに。一番安心ですよ。いざ事故があった場合、完全に直すということですから、こんな保障は素晴らしいですよ」
 私は浅沼町長への質問をここでやめた。何を聞いても平行線にしかならないと判断して取材を切り上げた。

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