わき道をゆく

2024.3.26.
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第232回 現代語訳・保古飛呂比 その56

[参考] 一 (元治元年)七月二十二日、京都より飛脚が着いたので、戦争(禁門の変)後の状況を確かめたところ、十九日「八ツ時前」(午前二時ごろか午後二時ごろ?)戦が終わり、長州人が引き取った後も砲声が聞こえた。同二十日に至 […]

2024.3.12.
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第231回 現代語訳・保古飛呂比 その55

一 (元治元年)六月二十六日、我が藩にて次の通り。 口上覚え 昨今の切迫した時勢は、有限の財力をもって無窮のつとめに応じなければならず、まことに難渋の至りである。このため(太守さまの)身のまわりをはじめ諸事の厳格な節約を […]

2024.2.27.
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第230回 現代語訳・保古飛呂比 その54

一 五月三十日、次の通り。 佐々木三四郞 右の者は我らの組に入り、「御自分支配」(?)の坐列は東野楠猪の次へ[中略か] 右の通り云々。 元治元年五月三十日 柴田備後 加用記内殿 別紙の通り云々。 元治元年五月三十日 加用 […]

2024.2.12.
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第229回 現代語訳・保古飛呂比 その53

一 (文久四年)二月二十三日、次の通り。 今年正月二日、病死しました。 馬廻り 佐々木三六 御蔵米知行百二十石 うち五十石が御役領[郡奉行・普請奉行そのほか付属の場所を仰せつけられる] 総領 佐々木三四郎 三四郎惣領 同 […]

2024.1.26.
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第228回 現代語訳・保古飛呂比 その52

  (文久四年)二月 一 この月二日、太守さまのお供で香我美郡手結浦まで行き、それより引き返して、赤岡浦に宿泊、同三日、赤岡浦より前濱等、十市・仁井田・種崎浦等の海浜を巡覧、浦戸浦で宿泊、同四日、長濱・諸木村の海浜を通っ […]