今週のポピュリズム(2) 沖縄問題への視点

▼バックナンバー 一覧 2010 年 5 月 17 日 宮崎 学

60年代、私は次の歌を何度も何度も唱ったことがある。「沖縄を返せ」という歌である。
 

固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ
我等と我等の祖先が血と汗もて 守り育てた 沖縄よ
我等は叫ぶ沖縄よ 我等のものだ沖縄は
沖縄を返せ (返せ) 沖縄を返せ
 
2(1番の繰り返し)
固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ
我等と我等の祖先が血と汗もて 守り育てた 沖縄よ
我等は叫ぶ沖縄よ 我等のものだ沖縄は
沖縄を返せ (返せ) 沖縄を返せ
 
この歌の誕生は1956年10月、九州、三池闘争の頃で、沖縄復帰闘争を題材に作られた。初めはもの悲しい短調の曲だったが、歌声運動の大御所・荒木栄が勇ましい行進曲に変えたのである。
さて私がこの歌に出会った、60年代当時は、ベトナム戦争の激化という時代的背景もあり、反米的なこの時代のムードを象徴する歌の一つであった。
ところで、私などは、この「沖縄を返せ」という歌を唱うに当たっては、何のためらいも持たなかった。むしろ、この歌の1番、2番の最後の「沖縄を返せ」「沖縄を返せ」と繰り返すところは、特に声を大きくして唱ったものである。だが私は今、この歌を唱ったことを一生の不覚であると考えるに至っている。
百歩譲ってこの歌の「沖縄を返せ」、まではいいとしても、最後は「沖縄に返せ」と唱うべきであった。
それは琉球とヤマトの歴史関係への雑駁な理解が、歪曲された民族主義へと傾斜し、それが戦後の沖縄返還運動の欠落した思想であり、沖縄返還運動に関わる、ポピュリズムの原点であったと考える。このポピュリズムを下支えしたのが革新系の返還運動であった。そして、このポピュリズムをテコとして、1972年の沖縄返還は行われた。しかし、その内容は、沖縄の痛みを共有するというものではなかった。
つまり沖縄と本土の歴史の本質は、「差別」そのものである。「差別」が持つすべての残酷なものがそこにある。今回の普天間問題で沖縄の人たちに対する差別の上塗りだけは許してはならない。
友人の作家である佐藤優が、琉球新報2010年5月15日号で「沖縄の未来のために、沖縄人が名誉と尊厳をもって生き残るために、保守、革新の壁を越えて、『われわれの沖縄の利益』だけを考え、団結しようではないか。」と主張していることに私は同意する。
沖縄問題についてのポピュリズムは、沖縄の人たちの苦渋の歴史への冒涜であり、今、官僚、メディア、そして政治家が語る沖縄についての「言葉」には真実のカケラも見受けられない。