エチオピアジャーナル(2)世界で一番おいしいコーヒー
円い藁葺き小屋の入り口から差し込む夕日が後退し始めると、焚き火が一層に赤く明るく見えてくる。焚き火の上に乗せられたフライパンで踊っている豆が次第に黒ずみ始めると、香ばしいコーヒーのアロマと煙たいが甘い焚き火のにおいとともに立ち上がってくる。その匂いを鼻で味わいながらほっと小さく息をつく。
ここはゴマリエ村。標高4250メートルのアブナ・ヨセフ山の麓にひっそりと佇んでいる集落。前日、首都アジス・アベバからエチオピア北部の街ラリベラに飛ぶ。翌朝、世界遺産に指定されている岩窟教会群に向かう巡礼者や観光客で賑わう巡礼地を出発。運転手は4x4車を巧みに操って川を渡り、嶮しい山肌を慎重に上っていく。標高が高くなるにつれ、ドラマチックに変わる植生と地理で目の保養をしながらの4時間。男性2人とラバ2頭(ろばと馬をかけたもの)が待っている村に到着。ここから先は車では通行不可能なので、ラバに乗って最終目的地まで行く予定だった。しかし到着が遅れたため、日暮れまでにゴマリエ村にたどり着くためには短距離ルートをとらなければならない。だが、そのルートは、道が険しくラバは人を乗せては行けないとのこと。標高2300メートルのアジス・アベバに移住してから半年、体が高地の空気に慣れ、体力にはそこそこの自信があったのだが(最近健康検査のために血液検査をしたが、赤血球の数がかなり増えているという結果が出る)、アジス・アベバより標高が1000メートル増えると空気はさらに薄く、登りになると、いくら深く呼吸を繰り返しても息苦しさは消えない。ラバを手綱で引いて岩から岩へ飛び渡っていく男性の後ろ姿はどんどん遠ざかっていき、歩くというよりは這うようなハイク。見渡す限りの絶景なのだが、それを満喫する余裕はない。スタートから5時間後、夕日に照らされて黄金色に輝く麦の穂に包まれた谷間に到着する。ここがゴマリエ村だと聞き、息苦しさでしかめていた顔にようやく笑顔を浮かべることができた。
ほどよい色に炒り上がったコーヒー豆が丸太をえぐって作られた臼に移され、使い込まれた木製の棒で挽かれる。焚き火を隔て、小屋の反対側に座っている女性はアイルランド人のベネデッタさん。彼女の横に座ってコーヒー・セレモニーの説明をしているのは13歳のマコーネン少年。彼はベネデッタさんのスポンサー・チャイルドだ。国際NGOのプラン・インターナショナルを通じて、彼女はマコーネン君が住んでいる村に月15ポンドを10年間寄付し続けてきた。寄付金は彼に直接与えられるのではなく、彼が住んでいるコミュニティーの生活向上のプロジェクトに使われ、マコーネン君が村の代表としてペンパルとなり、ベネデッタさんと今まで文通をしてきた。小屋の土塀には家族の写真に並んでイギリスから送られた彼女の写真が貼られている。
首の長いシンプルな土瓶に入れられたコーヒー豆に熱湯を注いでいるのはマコーネン君のお母さん。エチオピアはコーヒーの原産地。高原に繁殖していたアラビカ・コーヒーの木は、9世紀頃から栽培され初めたといわれ、15世紀にアデン湾を渡ってイエメンに伝わり、アラビア半島をから、トルコ、イタリア、そして全世界に広がっていったと言われている。目の前で行われているコーヒー・セレモニーは数世紀に亘ってエチオピアで行われてきた。
エチオピアの伝説によると、昔あるところに、カルディという山羊飼いがいた。ある日彼は、山羊たちが騒がしく興奮している様子を見かけた。いったい何事かと様子をみていると、山羊がしきりに食べている実がその原因らしいことがわかる。好奇心の強いカルディは低木に生っている真っ赤な実を口にしてみると、山羊と同様、エネルギー満々となる。興奮を押さえきれないカルディは、不思議な効用を持つ実をポケットに詰め込んで家に持ち帰った。これは神から授かったのに違いないと、カルディの妻は夫にその実を近くの修道院に持って行かせるが、僧侶はこの血色の実は悪魔がこの世に送ったものだと宣言し、囲炉裏の火に投げこむと、誘惑的な香りが部屋をたちこめてきた。香ばしく焦げ茶色に炒られた実の種を掘り出して水を注ぎ、その出汁を飲んでみるとびっくり仰天。その日以降、僧侶たちは夜のお祈り中に居眠りしないようにコーヒーを飲み始めるようになったというお話だ。
煮立ったコーヒーが小さめの湯飲みのような瀬戸物のカップに注がれ、砂糖の容器と一緒に差し出される。おなかがペコペコだったので、普段より多めに砂糖をいれてスプーンでかき混ぜ、すすり飲むと、ほろ苦く甘いコーヒーは、疲れ切った体の隅々まで浸透していくような気がした。手で挽かれ、フィルターには通されていないので、砕き切れなかった豆がカップに沈んでいる。その豆を噛むと、苦みがじわっとほほに広がる。少し薄めだったが、とてもコクがあるように感じられ、今まで味わったものの中で最高のコーヒーだった。
コーヒー・セレモニーの後は、インジャラと呼ばれるクレープ状のパンケーキにワットと呼ばれる唐辛子を煮込んだカレーのようなものが乗せられて出てくる。インジャラはエチオピアの伝統的な主食。テフと呼ばれる小粒の穀物の粉を水で溶き、薄いクレープ状に焼いたもの。イースト菌ではなく、乳酸菌で発酵させてあるので独特の酸味がある。テフはイネ科の植物で、コーヒー同様、エチオピア原産。雑草のような背丈の低い草の穂になる穀物は1ミリ以下で、その名はエチオピアのアマハラ語の「見失う」という言葉に由来する。グルテン分がゼロなので小麦粉アレルギーの心配もなく、鉄分、タンパク質、カルシウム、食物繊維が豊富なので、近年、ヨーロッパやアメリカでも栽培されはじめ、高価な健康食品として販売されている。直径50cmほどの円形のインジャラを縁から手でちぎり取り、真ん中に乗せられているワットをすくい上げるようにして食べる。エチオピア料理の大半はインジャラを囲んでみんなと食事を分かち合うもの。食事と一緒に出てきたのが自家製のビール。山肌の段々畑での穀物栽培は全て手作業、このため収穫量が限られる。ビールを作るためには多くの穀物が必要なので、地元の人は滅多に飲まない。スペシャルゲストが遠くからから訪ねてきたということで出てきた。差し出されたプラスチックのコップにビールがなみなみと注がれ、きめ細かい泡がムクムクとコップの縁からはみ出そうとしている。自然発酵の甘く新鮮なビールもまた最高(ホップなどの苦味をつけるものは入っていない)。コーヒーのほろ苦さ、インジャラの酸っぱさ、ワットの辛さ、ビールの甘さと、味覚の全てが刺激され、疲れ切っていた体が活性化される。
こうして接待されているうちに日は沈んでしまい、小屋の外は墨を塗ったように真っ暗になっていた。宿泊予定の学校まで、まだ1時間のハイクが残っているので、重い腰を上げて別れの挨拶を始めると、ご機嫌にビールを飲んでいたマコーネン君の父親が、何事かと慌てて私たちを引き留めようとする。大切なお客さんなので我が家に泊まってくれないと困るとのこと。家とは直系5メートルほどのティクルと呼ばれる円形の小屋。そこに家族7人が暮らしている。我々が泊まれば家族数人が外で寝ることになり、そんな気の毒なことはできない。頭を下げておもてなしに感謝しお別れをした。
宿泊先の学校まではずっと上り坂だった。
学校に到着後、住み込みをしている先生の部屋に案内される。そこで若い先生が夕食を一緒にしようと、灯油のストーブでゆでられたマカロニに缶詰のトマトソースと炒り卵を混ぜ合わせたものが、円いお盆にもられて出てくる(この国ではどういうわけか円いものが多い)。唐辛子の粉を料理中にぶち込むはずだったのだろうが、外国人だからと遠慮したのだろう。真っ赤なパウダーは別個に他の皿に盛られ、よろしければどうぞとのこと。マコーネン君の家でごちそうになっていたのだが、丸一日の過酷なハイクでかなりのカロリーを消費していたのだろう。円いお盆にどっさりとつがれるマカロニを眺めていると、まだおなかがぺこぺこだったことに気がつく。唐辛子の粉を指でつまんで、おそるおそる振りかけ、それをむしゃむしゃ。これもまたいける。「ここは山頂にあるイタリア料理屋ですね」と駄洒落を言って、みんなと一緒にほほをマカロニで膨らせたまま大笑いをする。
翌朝、学校を訪れる。人々が住んでいるティクルに比べれば、とても立派な鉄筋コンクリートの建物だが、ゴマリエ村周辺の生徒たちは620人。一斉授業では間に合わず、朝と午後に分かれて授業が行われている。校舎はベネデッタさんが寄付し続けてきたNGOのプラン・インターナショナルが建設費用をまかない、建築材料がラバと人によって麓から運ばれ、完成に2年半かかったそうだ。その朝マコーネン君はベネデッタさんからもらったサッカーのジャージーを着て登校。英語の授業を受けている様子を彼女が大きな笑顔で見学していた。ベネデッタさんは、言葉数が少なく感情をほとんど見せない人だが、10年間送り続けた寄付金が貢献した成果を目の前に、彼女は喜びを隠しきれないようだった。
最近、航空会社の機内誌の依頼でアジス・アベバのコーヒーハウスやレストランの写真を撮って回った。エチオピアでコーヒーを注文すると、たいがいイタリア風の濃厚でコクのあるエスプレッソが小さなカップに乗って出てくる。第二次世界大戦中にムッソリーニのイタリアに5年間占領されたためだろう。ちょっと濃すぎるのは苦手だという人はスチームドミルクが入ったカフェ・マキアートかカプチーノも頼めるが、ドリップコーヒーや薄めのアメリカンなどはヒルトンなどの国際ホテルでしか注文できない。取材先の一つだった一流イタリア料理店で、野菜とチーズの前菜、自家製のパスタ、エスプレッソ、デザートのティラミスの写真を撮ったあと、それらの料理を食べた。アルデンテに茹であがったパスタ、ジューッと音を立ててピカピカのマシーンから絞り出されたエスプレッソ、ジワッと滲みでる甘みとチョコのバランスがとれたティラミスなどは、さすがに創業50年以上のレストランなので、気合いが入っていておいしかった。しかし、味の記憶をたどってみると、ゴマリエ村で味わったコーヒーや辛いマカロニのほうが数倍も美味しかったと断言できる。自分にとって、味覚とは舌だけで感じるものではなく、疲れきっておなかぺこぺこの体、焚き火の香り、広がる笑い声、そして貧しいが心豊かな人たちの寛容な志が全て合わさって私に心に刻み込まれたものだった。ゴマリエの村人たちと焚き火を囲んでコーヒーをすすっているシーンが、肌寒いアジス・アベバの夜に思い浮かぶ。そんな感受性を備えた人間という動物に生まれてよかった――自然と心が温まってきた。
写真キャプション
エチオピア・ゴマリエ村にて。村人の生活支援の寄附を続けてきたアイルランド人のベネデッタさんがペンパルのマコーネン君の家を訪れていた。子どもたちに写真を見せている間、マコーネン君の母親がコーヒー豆をローストしていた。