エチオピアジャーナル(4)友への追悼

▼バックナンバー 一覧 2011 年 5 月 10 日 大瀬 二郎

友達からメールで送られてきたリンクをクリックすると、教会で行われている追悼式が、ノートパソコンのスクリーンにライブで映し出される。ネットのスピードが遅く不安定なため、音声と映像が途切れ途切れのライブ・フィードは、ここアジス・アベバから1万キロ離れたニューヨークから電送されている。
 
2011年4月20日の水曜日、ベテラン・フォトジャーナリスト(報道写真家)のクリス・ホンドロス氏が、リビヤのミスラタ市で反乱軍と政府軍の戦闘を取材中、砲弾の破片によって重傷を負い、その夜、息を引き取った。同行していた報道写真家・ドキュメンタリー・フィルムメーカーのティム・ヘザリントン氏も命を失う。
 
彼と最後に会ったのは2009年の年末にニューヨークで行われたニューイヤーズ・イヴのパーティーだった。カメラマンや編集者が集う賑やかなパーティーで彼とばったり出会い、「Hey Hondros!Long Time!(ホンドロス!久しぶり!写真家仲間では彼の名字が愛称になっていた)」。がっしりと抱き合う挨拶をしたあと、お互いの近況などについて話し合った。これが彼との最後の別れになるとは、もちろん想像もつかなかった。
 
イラク、パレスチナ、シエラリオン、コソボ、アフガニスタンと、ホンドロスは、紛争の前線でハードな取材を重ねてきた。無鉄砲でエゴのかたまり、スリルを求め辛いウイスキーを好むという、カーボーイ的の戦場カメラマンのステレオタイプ(固定観念)とは正反対に、彼はオペラとクラシック音楽通、チェスと歴史マニアで、彼のアパートには本がぎっしりと並んでいた。インテリだった彼は、自分が取材している状況に深い理解を持ち、常に慎重に行動することで知られていたので、「まさかホンドロスが?」と、報道カメラマン仲間にとっては、不意を突かれた悲しいニュースだった。
 
2005年1月18日の夜、ホンドロスが従軍していたアメリカ軍の歩兵中隊が、イラク北部のある町の交差点で乗用車を射撃する。銃弾で穴だらけの車は歩道の縁に停車し、中からは子供達の叫び声が聞こえてくる。両親は死亡、後ろの座席に座っていた子供六人のうちの2人が負傷。暗闇での兵隊の手振りや警告発砲を運転手は認識・理解できなかったことは明らかだったが、それでも兵士は乗用車を射撃したと、ホンドロスは証言した。即死した両親と兄弟の血に染まり泣き叫ぶ少女の写真は、戦争に巻き込まれた一般市民の惨事・実情を世界に通報することとなる。彼の写真が出版された翌日、彼の中隊への従軍は中断されることとなる。
 
2003年7月にリベリア共和国で勃発した内戦で、ホンドロス氏が撮影したRPG(対戦車擲弾)を発射した後に狂喜する武装グループ兵士の写真は世界中のメディアによって流され、彼はピューリツアー賞のファイナリストとなる。数年後に彼は、撮影した兵士をリベリアに訪れ、戦争・暴力に係わらない他の人生を歩んでくれと、学費を彼に寄付している。
 
ここに挙げた実例から察することができるように、ホンドロス氏を紛争の前線に送り続けたのは、名声、栄光やスリルではなく、戦争の真実を世界に伝えなければならないという、彼の心の底に深く抱いていた使命感、そして被写体となった人々への同情、そして思いやりだった。メディアが求める、戦闘シーンなどの類型的なイメージよりも、もっと奥深いもの、戦争の実情、特に犠牲者達のボイスを世界に伝えることができるイメージを彼は撮り続けた。それは、フォトジャーナリストとして敬服されるに値する姿だった。
 
ニューヨークで行われたホンドロスの追悼式には1000人以上が集まり、空席は無かったそうだ。その後バーに集まった写真家仲間達は、酒を交わしながら彼のことを語り合った。人間として、そしてフォトジャーナリストとしての彼の偉大さを証明するシーンだったと出席していた友達は語った。
 
追悼式のライブ・フィードをパソコンのスクリーンで見ながら、ホンドロスと一緒の交わした興味深い会話や、彼の笑顔を思い浮かべながら、グラスに酒をつぎ乾杯をした。「勇士よ、安らかに眠れ」。いや、おせっかいでじっとしていられない彼のことだから、天国でも、写真を撮っているのだろうと思った。
 

 
ホンドロス氏の写真は彼のホームページでご覧になっていただけます。
 
http://www.chrishondros.com/images.htm
 
報道写真を学ぶ学生に奨学金を授与するための資金が設立されました。寄与は以下の住所に。
 
The Chris Hondros Fund
c/o Christina Piaia, Getty Images
75 Varick St., 5th Floor
New York, NY 10013
+1 646 613 4000
 

写真説明。
エジプト革命を取材中にカイロのタハリール広場で同僚のフォトジャーナリスと。ホンドロス氏は右。2011年2月、アラン・チン氏撮影

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