エチオピアジャーナル(6)

▼バックナンバー 一覧 2011 年 10 月 20 日 大瀬 二郎

急造で粗末な建物のトタン屋根の下、色とりどりのショールに包まれた女性達は、無言で一列に並んで立っている。先頭の女性が呼ばれ、頭からすねまでを囲っていたショールがまくり上げられると、アリ君の姿が見える。看護婦が血管を探すために彼の腕をぎゅっと握り込むと、弾力性が失われたアリ君の皮膚はセロハンのようにしわがより、裂けてしまうように思える。生気をほとんど失った瞳で天井を見つめていたが、針が手の甲に刺されると、アリ君はかすかな泣き声をあげ、乾ききったほほに一筋の涙が流れる。母親は彼に母乳を与えようとするが、痩せこけた彼女の乳房には一滴も残っておらず、ただかすかな泣き声を封じる役を果たすだけだった。
 
しゃがみ込んで、看護婦と母親の合間からシャッターを切る。「カシャリ」!一眼レフのミラーが上下し、冷たく機械的な騒音が部屋に響き渡る。いや、自分は遠すぎる。もう少し近づかなければ真相が伝わる写真が撮れない。しゃがんだままじりじりと数センチ近寄り、涙で潤んだアリ君の瞳にピントを合わせ「カシャリ」!シャッターを切るたびに自分の体が硬直し、胸が鈍い刃物で刺されるように痛み、息が苦しくなってくる。だが、「この写真を撮らなければならない」と言い聞かせ、また1センチ近寄って「カシャリ」!
 
なぜこの胸は痛むのだろう? 置き場のない罪悪感のようなものはいったい何なのだろうか?自分は国境なき医師団が運営しているクリニックでツアリスト(観光客)のように写真を撮っているような錯覚を起こす。もちろんそうではない。義務感にかりたてられ、この地の果てのような所にやってきたのだし、心身をすり減らす思いで難民キャンプをさ迷い歩いてきた。だが自分はあと数日でこの生き地獄のような所から脱出し、笑い声・泣き声を元気にあげることができるわが子達が待つ家に戻ることができる。この幸運に恵まれた環境に生まれてきたことに、罪悪感を感じているからなのだろうか?
 
昨年から雨季に十分な降雨量が得られなかったこと、地域の情勢不安定、食料価格の高騰、援助の大幅な遅れのため、「過去60年で最悪」と呼ばれる食糧危機がソマリアを含む「アフリカの角」で発生。現在、ソマリア、ケニア、エチオピアそしてジブチにおいて,約1千200万人以上が緊急支援を必要としていると国連が発表した。その中でも1991年から内戦が続いているソマリア、特にイスラム系武装勢力グループのアル・シャバブがコントロールするソマリア南部では、2009年から国連機関や人道支援NGO(非政府組織)の大半をスパイ・キリスト教宣教などの容疑で強制退去させているため、援助が届かず窮乏に追い込まれた難民が、エチオピアやケニアやなどの隣国に流れ込んでいた。8月に私が訪れていたのはソマリアの国境から数キロ離れたエチオピア南東部に散在する難民キャンプの一つだった。
 
栄養失調の子どもたち、苦境に立たされた難民の人たちの写真は今まで数多く撮ってきた。その度に、頭の中で「罪悪感」と「義務感」が格闘していた。だが今回は、ただ飢えた子どもたちの写真を撮るというワンパターンの取材を避け、奥行きのあるパワフルなメッセージを有したルポをつくらなければという切迫感が胸にのしかかっていた。なぜならば近年、先進国の読者は飢饉のイメージを見ることに飽食し、「ああ、またか」と自分が撮った写真を見て思われては逆効果だ。望遠レンズで遠いところから隠れるように「被写体」が浮き出すように撮る写真は避け、「人々」にできるだけ近づき、ごく一部であっても、自分が人々の痛みを感じることができる距離に近づかなければ、読者にここで起きていることの真相が伝わる写真は撮れない。
 
小学校生だった頃、「人の気持ちになって考えろ」と口癖のように言う先生が一人いた。厳しい取材で頭がぼーっとして感覚麻痺に陥ったとき、彼のシンプルだが大切な言葉を思い出すようにしている。一人一人が人間であり、父母であり息子娘である。敬意をはらい、しっかりと人々の瞳を見つめ、写真を撮る前に自己紹介をし彼らのストーリーを聞くことが、報道写真家、そして一人の人間として自分が最低限できることと信じている。
 
翌日、数キロ離れたコウベと呼ばれるキャンプを訪れる。6月に新設されたばかりのこのキャンプは、わずか一ヶ月で定員の2万5千人を超えていた。
 
見渡す限り白いテントの集落が広がる荒れ地を、茣蓙に包まれた娘さんの遺体を胸に抱き寄せ、モハメッドさんが歩いて行く。わずか1歳半だったサホロちゃんは、栄養失調・脱水のため、参列者男性六人というささやかな葬列が始まる数時間前に息を引き取った。彼女を含む家族8人は、家畜と食物全てを失ったモデルタ村を離れ、干ばつで荒廃したソマリア南部を横断し、30日後にエチオピアに到着した。「10日前に容体が悪化し、クリニックに連れて行ったが、治療する薬がないと言われた。もっと食糧、ミルクがもらえないと、他の子どもたち(3人)も死んでしまうと」と表情を崩すことなく語るモハメッドさんだったが、内心の不安心は隠しきれないようだった。エチオピア政府と合同でキャンプを運営しているUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、訪れた8月には、1日に平均10人の子どもたちがコウベ・キャンプで命を失っていた。国連機関や人道支援NGOは、難民の急流入に追いつこうと奮闘していたが、キャンプが位置するエチオピアのソマリ州は、ソマリアと同様に干ばつ・食糧危機に直面し、キャンプの建設・運営のために必要な人材・物資の調達の困難、輸入・運送に対する政府の煩雑な手続きなどが理由で、援助物資の配布が遅れていた。
 
葬列が空き地に到着し、すでに掘られた墓穴の横にサホロちゃんの遺体が置かれる。周りを取り囲むお墓のほとんどは、サホロちゃんのものと同様小さい。この墓地に埋葬されたほとんどが子どもたちだからだ。両手のひらを天に向けて、お祈りをするモハメッドさんは、「娘の死は、アラー(神)のご意志」だと語った。だがサハロちゃん、そして彼女を取り囲む沢山の子どもたちの若命を奪ったのは天災、それとも人災だったのだろうか?石と枯れた枝で飾られた小さなお墓が群れ集う様は、いったい何を意味しているのだろうか?シャッターを切りながら考えた。
翌日、看護婦さんが疲れきった顔に微笑みを浮かべて、昨日赤ちゃんが生まれたので取材してみませんかと言ってきた。コウベ・キャンプが満杯になったため、一週間前に開設されたばかりのこの新しいキャンプで、初めて生まれた子供になるそうだ。数日間、惨状の海で溺れているような心境だった自分にとって、荒波に投げ込まれたライフセーバー(浮き袋)のように思え、躊躇せずに飛びついた。グッド・ニュースを知らせてくれた看護婦さんも自分と同じような心境だったのだろう。
 
オランダから休暇を使ってキャンプを訪問していたローズさんが、昨日生まれたばかりのウベイド君の容体をチェックしながら、「目方の少ない赤ちゃんだったのでよかった」と語る。彼女が言ったことの意味がわからずに、ちょっと戸惑った表情を隠せなかったのだろう、ソマリアの女性の多くは女性割礼(じょせいかつれい:風習として未だに行われている性器切除・陰部封鎖)を受け、正常体重の新生児の出産は危険なのだと、質問する前にローズさんが説明し、なるほど、そうだったのかと頷く。
 
キャンプで出会った難民の人たちの全てが「ソマリアにはもう戻らない」と口をそろえて語った。ウベイド君もこのキャンプで育ち、大人になるのだろうと考えると、無事お産を終えた母親だけが有する、疲れきってはいるが、歓喜が溢れるファトゥマさんの素顔を、複雑な気持ちで見守った。

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