エチオピアジャーナル(7)白い卵
湿った空気が肌をひんやりと撫でる朝、ぼんやりと白く光っていているゆで玉子を凝視する。顔を上げてみると、この卵が美術館に置かれているロシアのインペリアル・イースターエッグであるかのように、壁沿いに座っている人たちの視線を吸い寄せていることに気づく。
また目線を卵に落とす。土間、土壁、うす汚れた人々の服。全てが土色の小屋の中で際だって見えるたった一つの白い卵。「食えるものなら、食ってみろ」と、自分に語りかけているような気がする。向かいに座っている人たちの前にはアルミのお盆の上に炒った豆が散らばって乗っている。スペシャルゲストとなる自分の朝ご飯は白く輝くゆで玉子。卵と豆の間に目を交互させ、できればその場を逃げたしたくなるが、せっかくもらった貴重な卵を食べないと失礼なことになる。優しい感触のあるオブジェを二つに割り、それを飲み込むように一息に食べる。同じ皿にはインジャラと呼ばれるスポンジ状の薄焼きのパンも乗せてある。これはエチオピアの主食であるはずなのだが、この貧しい家庭では滅多に口にできない。少しちぎって口に押し込んだ後、お皿を迎のテーブルに置く。人々は数秒間遠慮した後、一斉にインジャラをちぎって口に運び始める。卵半分は最年少の女の子に与えられた。その様子を見ながら腰を下ろし、少し安心してため息をつく。
卵を食べた朝の前日、私はこの村の、ある家族を訪ねた。エチオピアの首都アジス・アベバから車で南に走って8時間、村から最短距離にある町で下車し、さらに歩いて2時間の道のり。私の訪問に、その家族は大騒ぎになった。ファランジ(白人:自分も一応リッチな白人のカテゴリーに入る)が訪問してきたことは、3年前に養子としてアメリカの家族に引き取られた娘が帰ってきたことを意味していると勘違いされたのだ。彼らに、アメリカの日刊紙から写真とビデオの撮影を依頼されてやってきたことを説明し、それを聞いてがっかりする家族の表情を見て気の毒に思った。
近年、エチオピアから送り出される国際養子の数が急上昇している。例えば国際養子の大多数を受け入れているアメリカでは、1999年から2011年の12年間で、42人から1732人に跳ね上がっている。その理由の一つは、これまで多くの国際養子を送り出していた国々で、養子エージェンシーと政府機関の癒着や親から子供を強制的に奪ったり、誘拐にまで及ぶなど深刻な問題が多発している実情が浮上し、トップに立っていた中国やロシアからの養子の数が減少。中央アメリカのグアテマラでは国際養子が2007年から停止されたことが要因の一つ。
代わって養子エージェンシーに注目され始めたのが、養子縁組の手続きをはじめてから政府から許可が下りるまでの待機期間が短く、アフリカで第2の人口を持つエチオピアだ。国際養子のスタンダードとなっているヘイグ養子協定にエチオピアが加盟していないため、この協定に認証されていない疑わしいエージェンシーも流入している。
4年前、ある養子エージェンシーの社員がバルフェタ村を訪れた。「お前は貧しいから、子供によりよい人生を与えるために、一人養子に出したらどうだ」と、養子の意味や詳しいことは説明せずに社員は父親のマテオスさんを説得した。初めは息子を連れて行こうとしたが5歳以上なので拒否され、しかたなく4歳だったマラセッチちゃんを連れて行くと、孤児院への受け入れが決まる。マテオスさんは書類を読まずにサインした後、娘を郡の首都にある孤児院に連れて行き、別れを告げた。
数ヶ月後に、既にアジス・アベバの孤児院に移っていたマラセッチちゃんを養子として迎えることが決まったアメリカ人のカップルが村を訪問した。「何故マラセッチちゃんを養子にすることを決めたのですか」と聞かれ、「貧しくからだ」とマテオスさんは答えた。マテオスさんは一家への援助を依頼した。カップルは、マテオスさんが何らかのビジネスを始めるための資金援助をすること、3年後にマラセッチちゃんを連れて村に戻ることを約束し、持ってきたオモチャ、衣類、そして700ブル(エチオピアの貨幣、およそ3000円)を渡して村を去っていった。その後、アメリカでのマラセッチちゃんの写真は送られてきたものの、支援金は送られてこない。マラセッチさんはいまでも支援金をあてにする。娘が村を出て今年で3年目。マテオス一家は娘の帰郷を首を長くして待っている。
マテオスさんの父親が数年前に他界した際、兄弟で7等分された小さな耕地では、干ばつの影響もあり今年の収穫は乏しかった。そのために他の農家で小屋の建築や農作業の手伝いでもらえる日当10ブル(およそ50円)と叔父とシェアしている乳牛のミルクで家族7人を養っている。マラリアにかかっているが治療を受けるお金も無く、いつも寒気と高熱に交互にさらされていると語る(マラセッチの母親であった奥さんもマラリアで亡くし、第2妻をもらっている)。
子供がほしいと切に願う西欧諸国のカップルによって高額が払われる国際養子は、近年、高収益産業と化している。養子エージェンシーの一部は村人の貧困につけこみ、エチオピアでも、渡航国である西欧における養子のコンセプトや実情を説明せず、外国に子供を「送れば」、受け入れた家族や教育を受けた我が子からお金やサポートをもらえるという話を目の前にちらつかせ、契約書にサインするよう説得するケースが多い。両親が死去していれば手続きが簡単に済むため、書類を変偽造するケースもある。ある意味で、貧しさが国際養子を通した新たな輸出品となっているかもしれない。
西欧では養子になるということは、生みの親や兄弟姉妹とのコンタクトは断絶され他人となることを意味している。だが村を訪れた未来の家族は土壇場になって養子縁組を拒否されることを恐れ、家族の暮らしを援助することや子供による定期的な訪問などを空約束する。「もし我が子が他の家族の娘となることを知っていれば手放すことはしなかった。そんなことをしても私達にとって何の為にもならないではないか。私達はあの子に助けて欲しいのだ」と語るマテオスさんは、アメリカの「第二の家族」が今年訪れることをまだ信じている。将来への望みを持てない村では希望の全てがマラセッチちゃんと養子先の家族に託されているわけだ。
だが養子のホットスポットとなったエチオピアでも、国際養子の批判の声が高まり状況が変わりつつある。今年3月、エチオピア政府は国際養子のファイルの審査を以前より厳密に行うため、取り扱い件数を大幅に削減し、不審な養子エージェンシー、孤児に対する福祉活動を差し置いて、国際養子に専念している孤児院の閉鎖を始める。こうした進展は、「やっと政府が重い腰を上げて児童保護に欠かせないステップを取った」もしくは「国際養子の制限によって、孤児は施設で劣悪な生活を長期にわたって強いられることになる」と賛否両論の反響を招いている。
「私は彼女(妹)に(アメリカ)連れて行ってもらい、一緒に生活したい。彼女と一緒に学校に行きたい」、とマラセッチちゃんの姉のゲネットさんは語った。マラセッチを養子にもらったカップルは2万5千ドル(200万円)をアメリカの養子エージェンシーに払ったと聞いた。最寄りの学校は徒歩で片道1時間半。そのためこの村から学校に通う子供の数は限られている。彼女のインタビューをカメラで録画しながら、200万あれば立派な学校をこの村に建てることができ、多くの子供達を援助できることができるのにな、と考えた。
バレリーナの衣装を着て微笑んでいるマラセッチちゃんの写真を見入るゲネットさん。嫉妬が伺えるかと観察してみるが、濁った国際養子の現状と対比して、彼女の瞳は、自分を一日中追いかけていた他の村の子供達のものと同様、純粋で透き通っていた。