フォーラム神保町東郷ゼミ「戦後ニッポンが失ったもの〜第7弾/改革栄えて国滅ぶ〜真正保守の役割は!?」

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開催日時:2009年12月5日(土) 19:30〜21:30

勉強会レポート

 「保守」という思想について、ほとんど知らなかった私にとって、今回の中島先生の講義は非常に有意義でした。「保守」というものの私のイメージは、ただ単に「古いものをよしとする」、という陳腐なものでしかありませんでした。また、「右翼」、「左翼」といった言葉についても私自身よく理解せずに使っていたように思います。これらの知識について、私は以前から学びたいと思っていましたが、なかなか良い方法に巡り会えないまま今日まで至ってしまっていたところ、このような機会を与えて下さり本当に感謝しています。

 
 まず、最初に「左」と「右」について、政治思想的観点から簡単に整理していただいたのが、勉強になりました。

 「左派」というのは、「人間の理知的・理性的な努力によって未来に平等社会の実現が可能だと考える立場」であり、非常に「理性」というものに重きを置いていることがわかりました。理想主義的であり、人間の進歩というものを大事にしている考え方だと思います。この「理性」重視の姿勢は、歴史的にフランス革命、ロシア革命など流血の悲劇を生んできました。勿論外国だけでなく、日本の現代においても、1970年代の連合赤軍の山岳ベース事件もその1つと考えられるのではないでしょうか。「理性」重視の考え方が、あまりに理想化しすぎて、その純粋さ、清廉さ、潔白さが、それらから逸脱するものを許さない、排除する、という考えた方に繋がってしまったように感じます。

 「右派」というのは、「人間の理性・設計主義によって理想社会を構築することは不可能と考える立場」と定義されましたが、「右派」は「左派」のアンチテーゼとして出てきたということが重要だと思います。特に、「右派」の考え方の1つである「近代保守思想」はフランス革命の批判として、イギリスのエドマンド・バークにより誕生しています。今日においても、テーゼ、アンチテーゼという左右の思想がはっきりすることが重要なのではないでしょうか。作家の佐藤優氏が、保守思想を再建するためには、しっかりした左派思想が必要というのは、まさにこの2項対立の歴史的経緯を踏まえたものであるということに改めて気付きました。

 
 さて、私が今講義の一番驚いた項目は、「保守の再帰性」についての項目でした。「保守主義」にも大きく分けて2つに分けることができるようです。 1つは、「伝統主義」(自然的保守主義)。もう1つは「保守主義」(近代的保守主義)。前者については、私自身が冒頭で述べた漠然としたイメージに近いものではないかと思います。なんとなく古いものの方が落ち着くという、多くの人が普通に感じることができるであろう感覚のことなのでしょう。私が驚いたのは後者でした。「自ら意識して獲得・選択する」ということが「近代的保守」思想によって、とても重要であるということを知りました。目から鱗が落ちるような思いでした。変わらないことをよしとするのではなくて、古いもの・昔のものを自分で取捨選択していくという作業の中で、保守思想を発見していく、このことが重要だと知りました。これらは、決して抽象的な世界の話ではなく、自分の身近なところで感じることができるということを、中島先生の具体例(ご自身の仏教のお話など)で理解できました。保守思想に惹かれつつも忌避感がずっと残っていた私にとって、この保守理解はとても納得のいくものでした。
 
 ただし、「自ら意識して選択」することは、理性的・合理的であり、過度にそれに頼ることは逆に「左派」的思想に近づくということも分かりました。そこで、これら2つの考え方を合わせたものが「保守思想」ということです。要はバランスが大切だということだと思いますが、バランスをとることが一番難しいとも感じました。

 ここで講義を踏まえて、私が少し興味を持っているイランという国について簡単に考えてみたいと思います。
 
 イランの場合は、西欧のフランスの例とは異なって、進歩的なパフラヴィー王朝に対する反動として1979年にイラン革命に起き、イスラーム共和制になりました。通常、歴史的には、封建的なものに対する進歩的な革命というものですが、イランの場合は、進歩的なものに対する封建的ともみえる革命ということで、あべこべになっています。どちらがテーゼで、どちらがアンチテーゼなのかが見えにくくなっているように思います。
 
 仮に、イラン革命をテーゼとすると、当然アンチテーゼというものが出てくるのではないでしょうか。イラン革命後の体制では、イスラームという伝統的なものを中心に据えてはいますが、一つ一つ構築的に作り上げようとしていると思います。イスラームの教え全てを体制として受け入れているのではなく、当然、取捨選択しています。これは、各人の意見に相違もあるでしょうが、やはり理性を重視し、合理的にやっていると見えなくはないと私は考えています。その取捨選択は、理想主義的で厳格に行っているように見受けられます。
 
 アンチテーゼとしてのそれに対する批判は、昨年6月の大統領選挙戦後の暴動のような形で出てきていると思いますが、もっと具体的な形ではどうなるのでしょうか。理性の限界を直視して、新たに古いもの(イスラーム的価値観)を選択していくという姿勢を見出していくのでしょうか。しかし、古いものは現体制でたくさん選択しすぎています。ここにジレンマがあるように思います。古いものに回帰しようと思っても、古いものが現実に存在しすぎるということに。
 
 1つの方法として、やはり現在ある古いものをどんどん自らの手で選択し、少なくしていくということができるのではないかと感じます。実際、民衆レベルでは、イスラームに対して自分で選択したもののみ受容するという感覚の人が多いように感じます。
 
 今後、このアンチテーゼがどのような形で出てくるのか非常に興味があります。今回学んだ「保守」の考え方を踏まえて、観察していこうと考えています。

 以上、最後は話が大分ずれましたが、「保守」についての勉強は本当に役立ちました。本当にありがとうございました。
 
(清水悠史/公務員内定)

※フォーラム神保町のサイト上で掲載された「レポート」は執筆者個人の意見であり、所属の団体や組織等の意見ではありません。

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