フォーラム神保町伊東ゼミ「日本民衆話芸の原点・節談説教」シリーズ第1弾 祖父江省念の足跡
落語、講談、浪花節など、日本の民衆話芸共通の原点である浄土真宗の節談説教(ふしだんせっきょう)とその表現を深堀りするシリーズ。
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第1回 | 2月12日(木)18:30〜20:30 ※1970年代に永六輔、小沢昭一らと節談復興の立役者となった祖父江省念師(そぶえしょうねん1909-1995)の足跡を、実演録画の再生を含めてたどる。 お申込は終了しました |
伊東 乾
落語や講談、浪花節など、日本の話芸共通の原点が、浄土真宗の説教にあることは意外と知られていない。
徳川幕藩体制は、西欧カトリック教会の徴税システムを転用する「寺請制度」を導入した。間違いなく人頭税を取りたてるためには、人の出生と死亡を確実に押さえるのが有効だ。カール大帝以来、西ローマ帝国=カトリックはそれを巧妙に体制化した。
16世紀、宗教改革の波が欧州を洗ったとき、旧教カトリック勢力から「イエズス会」などの布教組織が生まれ、誕生からわずか10年ほどで日本にもキリスト教が伝えられる。織豊政権期、西欧の文物として日本が取り入れた最大要素のひとつが切支丹による「宗教統治のノウハウ」だった。雛形となった元来のキリスト教は徹底して弾圧されることになる。
欧米社会では今日でも、ほとんどすべての市民がローカル・コミュニティの教会に所属している。これと同じように、江戸期以後の日本でも、ごく少数の例外を除いて人々はどこかの寺院に「檀家」として所属することになった。
また各地の寺院を結ぶさまざまのネットワークが組織されていった。実質的には戦国大名と言って過言でなかった蓮如以後の本願寺教団は、比叡山すら焼き落とした信長が征服できなかったほぼ唯一の武装勢力でもあったが、秀吉との和議に応じ、旧石山本願寺が秀吉の大阪城となり、やがて徳川幕藩体制が確立されると、東西二つの本願寺に分割されることとなる。
もとから強力なネットワークの力を持つ真宗教団は、各地の寺院を布教使が巡回する独自のシステムを立ち上げた。布教使たちは本堂で「高座」と呼ばれる半畳敷の台にのぼり、法談と呼ばれる説教を行って、檀家門徒の教化にあたった。真宗の説教はしかし、単に抹香臭いだけの語りを超えた形で民衆の生活にしっかりと根付いてゆく。
江戸中期以降「始めしんみり、中おかしく、終わり尊く」といわれるような、オーソドックスな型が出来あたり、洗練されてゆくのである。これが今日「節談説教(ふしだんせっきょう)」と呼ばれるものに他ならない。
テレビもラジオもない時代、都市のような小屋掛けもない地方では、ほぼ唯一のエンターテインメントとなったのが、お寺さんを訪れる説教だった。説教は喜怒哀楽、あらゆる感情を揺さぶって民衆をとりこにする。各地の方言で語られる耳懐かしい噺の数々。それらは現在でも「能登節」「加賀節」「尾張節」「明石節」などと呼ばれ、そんな中から「浪速節」と呼ばれるものも生まれてきたと考えてよい。実際には僧侶の語る「説教」から派生して、講談や説教節など噺専業の芸人が出、やがて明治に入って遊里の幇間芸などと混交して「寄席」の話芸へと変容を遂げて行くのである。
節談説教は明治から大正中期まで、日本各地の民衆の生きたエンターテインメントだった。そしてその炎を翳らせ、やがて灯を消して行ったのは大正末期からのラジオ放送、そして戦後のテレビ放送など、マスメディアだった。
節談はまた、地獄極楽、因縁縁起の噺でもある。今日の観点から見れば差別的な表現も多く、第二次世界大戦後は、日本国憲法に照らして相容れない点が多いとされることになった。実際そのままではテレビやラジオなどの放送にはかかりにくい内容が多い。
1961(昭和36)年、「親鸞聖人七百年御遠忌」の頃を境として、「前近代的」で「遅れた」節談説教は、宗門の認めないものとなってゆき、節談の伝統を継ぐ僧侶も数えるほどになってしまった。これに代わって導入された「現代法話」は、インド仏典なども参照する、学術的で洗練されたものだった。現代法話は確かに固有の価値を持っている。だがそこには、かつて無学無識字の大衆を感動させ、信心に導いた「常念の布教」節談の熱気は備わっていない。
1970年代、高度成長が飽和し、オイルショック以後の「冷戦後期」を迎えたころ、真宗高田派の寺院に生まれた永六輔、小沢昭一、佛教大学の関山和夫、そして寺まわりの説教の伝統を継承してきた祖父江省念らの人々は、失われつつある節談説教にメディアから光を当てようとした。それからさらに40年近くが経過して、当時40台だった人々は80の坂を越えようとしている。
「物語」は「モノ」を「カタる」つまり音読するテクストとして編まれたものだ。黙読とは遥か後世の習俗に他ならない。「伊勢物語」から「今昔」「宇治拾遺」などの霊異記は、のきなみ仏教説話でもあるが、同時に歌物語であるものも多く、これらはみな声に出して読まれ、とりわけ和歌は必ず節付けされて歌われたものだった。21世紀の今日も、百人一首のカルタとりのようなところに、和歌を節付けして歌う伝統は残っている。
浄土真宗の宗祖・親鸞というひとは、梵語の漢訳である仏典を、さらに「はやり歌」<今様>の節に乗る、平易な日本語のテクストに直し、明確に大衆への布教を念頭に置く浄土教を作り出した天才的なメディア・オーガナイザーでもあった。
本シリーズでは、こうした背景も念頭に置きつつ、まず何より、すばらしい節談の説教を楽しみ、喜ぶところから、すべてをスタートさせたい。芸術において、愛情を欠くすべての批評は無内容であり空疎である。まず節談を好きになろう、というところから出発して、愛惜限りないこの伝統のもつさまざまな側面、表現の実際、差別説教の問題なども、つまらない値引きなしに縦横に論じ考えてゆきたい。
2011年に始まるテレビの「地上デジタル放送化」は、既存メディアとインターネットとの境界をあいまいにする意味を持つ。従来「放送法」「電波法」などで、がんじがらめに縛られてきた商業放送と、規制の網目を潜り抜けていたネットとが混交しはじめる。
こうした状況下、「情念に訴える表現」の問題は、極めて強い同時代的な意味を持つ。ゼミナールは、魚住昭責任編集「魚の目」<フォーラム神保町・伊東乾ゼミ>のスクーリング的な位置づけも持たせつつ、現役節談説教者のLIVE&アフターライブ・ディスカションを含む<現場>として展開してゆく予定である。
大学への絶望・「伊東乾ゼミ」始動!への希望
—フォーラム神保町「伊東乾ゼミ」の基本方針として
東大というところに勤めて10年になる。大学というものにほとほど呆れ、絶望し果てている。
細かいことを個々に書けないのが残念だが、いずれ段階的に明らかにする機会もあるだろう。
大学の中では「学生一流、建物二流、教師三流」などという。物事にはもちろん例外があり、大学の中にも立派な先生や研究者がいないわけではない。ただ問題はその数、ないし割合だ。
下らない嫉妬・怨嗟や足引っ張り、悪質な問題の常習的隠蔽、弱いものいじめと差別、あるいは予算やポストをめぐる見苦しいやり取り。いじましいミクロポリティクスと一切無縁な、自由な知の展開などというのは、青臭い理想、絵に描いたモチに過ぎないのだろうか?
私が考えるのは、内容以外の利害を織り込まない柔軟・縦横な知、ただそれだけのことだ。
すくなくとも、そのような場が日本で可能であるならば、大学と無縁な場所であることだけは間違いない。
そこに、私がこのフォーラム神保町に託す希望がある。
【定員】 | 15名 |
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【会場】 | 千代田区神田神保町3−1−6日建ビル9階(専大前交差点角) |
【アクセス】 | 地下鉄の都営新宿線/三田線 営団半蔵門線で《神保町駅》下車、A1出口を出ると「専大前」の交差点になります。 その横断歩道を渡って、交差点角の城南信金庫隣りのビル。徒歩1分。 1階が喫茶店「珈琲館」で、その脇に階段があり、エレベーターで9階へ。 駐車場はございません。 |