フォーラム神保町第22回「外国メディアを通して見る参院選後の安倍政権」
勉強会レポート
アンドリュー・ホルバートさんは、30年間、駐日特派員として活動され、現在は大学で教鞭を取っておられる。勉強会は前半のホルバートさんの講義と、後半の東郷和彦さん(元オランダ大使。ホルバートさんとは懇意な間柄との紹介。今回は聴講にみえていた)を交えたディスカッションの二本立てとなった。
ホルバートさんの話を以下の3つの論点でまとめてみた
1. 米国メディアから見た安倍政権の評価
まず、6月14日付ワシントン・ポストに掲載された慰安婦決議案に対する意見広告をめぐる各メディアの報道を取り上げて、「日米両国指導部の認識の深刻なズレ」を指摘。
特に、ホルバートさんが信頼を置くワシントンのクリス・ネルソンによるニューズレター“ネルソン・レポート”には、先の意見広告がチェイニー副大統領、ラントス下院外交委員長をどれほど立腹させたかが明確に報じられ、また、旧態依然のメディアにおいても(それも右も左も)、まるで隣で記事を書いているかのような見解が見られた(つまり、「日本はアジアにおけるリーダーシップをとる機会をなくした。歴史の檻(オリ)から脱する機会を逸した」等)。メディアの違いによらず、安部政権に対する失望が色濃く出ていると言える。
そのことが慰安婦の記事と今度の選挙から見えてくる理由として次の2つを指摘。
(1) グローバル・パワーであるところの米国の関心事は、国際関係であり地球規模の安全保障。だから、日本とその周辺国の関係において望ましいのは、仲が良くもなく、冷え切ってもいない、調和のとれた関係である。その点、安倍首相の靖国参拝がなかったのはありがたいが、慰安婦問題、河野談話を再考する問題、愛国主義教育、その他の様々な歴史に関わる問題は今なお続いている。
(2) もう一つの関心事として、米国内の利益団体(有権者)の存在がある。慰安婦決議が通ったのは米国内のアジア系有権者がためでなく、人口の半分以上を占める女性有権者がためである(ここにおいて慰安婦問題は人権問題である)。一方、日本の有権者の関心は年金、(閣僚の不祥事に対する)政治リーダーシップ、すべて国内問題であり、イラク問題、近隣諸国との関係、そして慰安婦問題にはまったく関心がない。この点において日米有権者の間にも意識のギャップがみられる。
ここでホルバートさんは自身の予想と断った上で、安倍首相は、指導力を発揮しきれておらず、支持層もなっていない。そのため米国は望むポリシーがとれない。今、北東アジア政策責任者は、安倍を落として話がわかる人にバトンタッチすることができるか、米国にとっての望ましい状態を考えている、と見解を述べた。
2. ラントス米国下院外交委員長の慰安婦決議案における「歴史的記憶喪失に悩む日本」発言
この点についてホルバートさんは、「米国は“日本の歴史的記憶喪失”に少なからず貢献しており、糾弾どころか、ともに責任を負うべき」との見解を示す。
北東アジアでは、地政学的な理由から欧州とは対照的に、歴史和解を目的とする政策がつい最近までとれなかった。
1940年代後半、冷戦の下、ドイツが分断され、ドイツの西側の大部分が西欧に加わった。するとそこで、欧州統合への要請が強まる(ここで、米国が欧州統合に大きく貢献した以下の事実に注意しておきたい)。米国はマーシャルプランの後の形態であるOECD(経済協力開発機構) においては、欧州に強く促され協力をおこない、また、1951 年の ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)条約においては、締結を急ぐように裏で圧力をかけた。こうして米国の舞台設定の下、欧州統合は資源の共有が基礎になって実現する。
一方、日本と中国・韓国の関係においてはどうか。尖閣諸島領有権問題、竹島(領土)問題は歴史と資源が原因だ。ここでホルバートさんは「歴史を共有していれば資源の共有ができ、逆に資源の問題に柔軟性をもってあたれば歴史問題もついてくる」と説く。なぜ、そう言えるのか。1951 年のパリ条約(ECSC 条約)と同じ年には独仏教科書会議が再開されていたからだ(米カーネギー財団の資金提供によって)。これは戦前(1931—35年)からの懸案であった。
このように欧州では冷戦下の結束を可能にする(西ドイツ・フランスの和解は NATO 兵士の協力を可能にした)。他方、東アジアでは共産圏と自由主義陣営の(中国と日本を分断した)境界線の和解は冷戦の秩序を乱す。米国はそれを望んでいなかった。
だからラントス発言および米国の新聞の「日本は謝罪しなければならない」という表現にはとまどいを感じている。
3. 拉致問題を中心とする日本の対北朝鮮エクセプショナリズム(自国例外主義)
日米外交のズレは最近に始まったことではない。ジェラルド・カーティス(政治学者、コロンビア大学教授)は「拉致問題によって日本の外交を拉致した」と、日本外交にとって拉致問題が唯一の基準となっていることを指摘している。
拉致問題はいくら国民が同情しても、また、いくら外交政策をうまくやっても解決できない問題。だからこそ、安倍首相はこの問題を選んだのだし、また好むのだ。最大の目的は有権者に恐怖心を与えること。救えるのは安倍首相と周辺の支持者だけである、と。そのために北は悪であり続けなければならない。つまり、安倍首相にとってこの問題は解決より継続が目的なのだ。
そこで便利な外交のツールとしてエクセプショナリズムが用いられる。拉致問題があるから北に重油の輸出ができない。軽水炉の事業に参加できない。なぜなら、安倍首相と周辺の支持者はそうしたくないからである。
一方、米国にしてみればイラク、アフガンで泥まみれ。その上、安倍政権があおる危機に足をひっぱられて嬉しいはずがない。北朝鮮に対して柔軟な姿勢を望むはずである。しかし、日本国内では、北朝鮮と何らかの関係を持つ政策を提示すれば、「あなたは拉致をする国と取り引きしたいのか」と糾弾される。これでは論争を非常に狭めてしまう。是か非か、白か黒か、拉致問題をめぐっては、マッカーシズムのような雰囲気がつくりだされ、問題の出口はまったく見えなくなる。直接対話ができないと、いつまでたっても北京とワシントンに頼らなければならない。これは日本の国益に反している。
東郷和彦さんからの問題提議
まず、1.に関連して、米国としての見方、思ったより辛い、と苦笑交じりに述べられ、「たしかに、今度の選挙で安倍総理は指導力のなさを示してしまったけれど、安倍総理が負けたのは、彼がやろうとした外交政策がゆえではない。年金の問題でありクライシスに際してのマネジメントの下手さ等々であって、外交政策の本質にさかのぼって考えると安倍総理がやろうとした安全保証政策(憲法を改正し、9条における自衛権の解釈を変更して、ちゃんと自分の国は責任を持って守り、そういう力をもって日米同盟をやっていく)は基本的にいいものだったと自分は考えている。これは共和党、民主党を問わず、長く米国が日本に期待していたことだと思う。そのことが国民から否定されたというよりも、残念ながら別の要因で安倍総理は否定された。これは米国からみたら残念な事のはず」と、話された。
また、慰安婦の問題について、「歴史的保守主義と呼ばれる人たちが安倍総理の支持勢力の周りにいたというのは事実。けれども、安倍総理は国会での討議を通じて、基本的には村山談話、河野談話を継承するということで、慰安婦問題含めて歴史問題に関するいちばん難しいところは、リーズナブルな形で収めた。ところが、3月1日の記者会見、6月14日の意見広告の結果、残念ながら慰安婦問題をめぐる日米の亀裂が生じてしまったけれど、その間の総理だったから米国として安倍さんを支持しない、というのは行き過ぎと思う。まったく残念な力の配分の結果、こうなってしまったけれど、安倍総理は、歴史問題に関して先の立場をその後も終始一貫堅持している。それを踏まえてみると、米国があまり安倍総理を低く評価して引きずり降ろすというのはいかがなものか」と、コメント。
それを受けてホルバートさんは、「確かに安倍首相がやろうとした憲法改正と防衛政策は米国の共和党、民主党からも支持されている。ところが、これらは日本国内では次の事柄とパッケージになっている。つまり現実的な防衛政策(集団的自衛権)と現実的な憲法改正をやろうとしている人たちは、決まって歴史問題に対しては保守的であり(場合によっては慰安婦をうそつきと呼んだり)、同時に戦後レジームからの脱却も訴えている。西ドイツとはまったく事情が違う。これが米国から歓迎されるかというと、とんでもない。問題を複雑化させる一方」と、問題を提議。
さらに東郷さんは、「戦後レジームの脱却は民主的でない国をつくろう、軍国主義になろう、ということではない。戦後レジームのいいものまで崩そうという意図はない。なのに戦後レジームの脱却というレッテルをバンと出せば、世の中は戦後の日本を否定して戦前に戻ろうとしているのだな、と取ってしまう。このラベルの作り方は本当にまずいと思っている。特に安全保障に関する根っこの部分は、現実的防衛政策に至ろうというのがエッセンスだと理解している。その限り、米国からみてその政策はいいものであるはず。ただ日本では現実的安全保障政策をとろうという人たちが、歴史問題に関しては、過去の政策は(極端にいうと)100 パーセント正しかったと言いかねないようになってきている。現実的安全保障政策とリベラルの中間的なところで、戦後の日本のいいものと、戦前の日本のいいものとを両方生かす(過去の日本が全部悪かったというのは絶対に間違いだと思う)ような意見が、もう少し国内で強くならないかな、というのが希望」と、見解を補足された。
また、2.に関連して、「本当の正しい歴史は何か、ということをめぐっての日本人の中の論争は大変根が深く、占領のころからの知識人の議論は現在進行形で渦を巻いている。この論争の深刻さはどこの国と比較しても恥ずかしくない。日本国内における米メディアと反対の意見の人たちは、ものすごい対立の中から出てきているのであって、簡単に記憶喪失というふうに外から言ってほしくないとの思いがある。たしかに日本の国内で決着はついていない。国内で決着がついていないものについて、どうして外との完全な和解に至ることができるのか。だから、それなりに日本としてオールジャパンの立場をある程度つくりながら、外との和解の問題をもっと進めていかなくてはいけない」と、語られた。
他に、お話の中で印象深かった点を2つあげておきたい。
2. に関連して。
ホルバートさん自身、かつて駐日代表を7年務めたアジア財団で、日本における西側の文化政策に携わっていたと語る。それは、親中国・ロシアの知識人をなるべく米国へ渡らせないよう促し、親米派には助成金などの援助をおこなうといった活動で、例えば、戦前愛国主義者のグループ〈日本浪漫派〉に属していた作家、檀一雄に対して、親米派の知識人に育てる政策を施したという。
3. に関連して。
ホルバートさんはブダペストに生まれ、ハンガリー動乱の後、カナダへ亡命した(父君はシベリアに9年間抑留〈ナチス時代にも1年間投獄〉され、さらに国家によって離婚を強制させられている)。
「私たちは冷戦のさなかの、受け入れ国から考えると大変都合がいい、“使える亡命者”だったことから歓迎され、運良く生活の基盤ができた。一方、日本の拉致被害者たちは、長い間無視されてきた。ところが、同じ彼、彼女らを無視した政治家たちが、突然同情するようになった。『まあ、なんと、こんな奇蹟もあるのか』と思っただろう。どうして突然目覚めたのか。自分たちの利益に沿うようになったからだ。誠意のかけらもないと思う」と、ご自身の来歴に触れながら拉致問題について語られたときに、ホルバートさんが国家や体制と向き合うときの視座の在り処を見た気がした。
最後に、今回、東郷さんの参加がなければ、聴講者の多くが安倍政権に対して、より厳しい印象を抱いて帰路についたのではないだろうか。もしかすると、東郷さんはそこを見越して、なるべく国益を損なわぬように、主要なメディアに携わる人たちを含む聴講者の印象を中和する目的をもって参加されたのでは、などと考えてしまった。
(サンパウロ宣教企画編集部 林和秀)