読み物元裁判官が語った司法界の現状

▼バックナンバー 一覧 2010 年 8 月 18 日 魚の目

 先日、元裁判官の安倍晴彦さん宅に伺って4時間近くインタビューさせていただいた。安倍さんは最高裁の司法官僚統制に抗して裁判官の良心と独立を貫いてきた人である。しかし、そのために最高裁に冷遇され、36年の裁判官人生の大半を「人のいやがる(地裁)支部・家裁めぐり」で過ごしてきた。
 
 昇給や任地の差別はもちろん、どこの裁判所でも後輩の裁判官らが次第に安倍さんに近づかなくなり、話しかけても返事をせず、口をきかないようになっていったという。
 
 安倍さんの体験談を聞くうちに、自らの良心に忠実であるには、これほどの屈辱や孤独に耐えなければならないのかと、溜め息をつきたくなった。
 
 以前にもこの欄で書いたが、日本の裁判を歪めているのは最高裁の司法官僚統制である。憲法には「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と書かれているのだが、実態はまるでちがう。
 
 警察・検察の上層部と結託した最高裁が、まっとうな裁判官を差別する人事を行うため、ヒラメ(上ばかり見る)裁判官が増え、被告の無実の訴えが無視される。その結果、有罪率は99・9パーセント。これは、裁判所が被告に有罪の烙印を押すベルトコンベア装置に成り下がったことを意味している。
 
 判決だけではない。裁判所は逮捕状や(引き続き身柄を拘束するための)勾留状を警察・検察の言うままに出す“自動販売機”になっている。安倍さんが令状請求を却下すると、検事から侮辱されたり、「お前は(司法)研修所何期だ。指導教官は誰だ」と罵声を浴びせられたりしたこともあったという。
 
 安倍さんは定年前、浦和地裁で一日に勾留請求を12件中8件も却下した。「却下率が0・41%の時代に驚天動地だ」と言われたそうだが、それらの勾留請求はよく検討すれば、ほとんど勾留の必要(逃亡や証拠隠滅の恐れ)のないものだった。
 
 そのときも検事から電話がかかってきて「お前は何を考えているんだ。これから行くから待ってろ」と怒鳴られたという。
 
 問題は安倍さんのような人が例外で、裁判所の大勢が「人間の拘束の辛さ、むごさに対する無理解、不感症」(安倍晴彦著『犬になれなかった裁判官』NHK出版刊)の裁判官たちで占められているということだ。
  
 しかも裁判所と検察の間には「判検交流」の慣行がある。毎年40人前後の判事らが法務省に出向し、うち数人は捜査や公判担当検事になる。もちろん検事から判事への出向もある。
 
 そのせいか、公判の立ち会い検事が裁判官の部屋に来てこっそり話をする「法廷外弁論」(裁判の独立を脅かす行為だ)も常態化しているらしい。
 
「ほとんどの裁判所でそうだと思いますが、裁判所の刑事部の飲食・ソフトボールの懇親会に立ち会い検事を呼ぶことがごく普通に行われていました。私は弁護士を入れずに検事とだけ懇親会をやるのはおかしいと思って、懇親会に出ないでいたら『(安倍は)検察官に対し偏見を持っている』という悪評が立ちました」と安倍さんは言う。
 
 これでは裁判所と検察庁はグルになっていると思われても仕方がない。01年に起きた福岡地検次席の捜査情報漏洩事件を思い起こしていただきたい。
 
 福岡高裁判事の妻が電話不倫をしていた男性に、別の女性がいることを知り、その女性を中傷するメールを繰り返し送った疑い(脅迫容疑)で逮捕されたが、逮捕の約1カ月前に福岡地検次席検事が高裁判事に妻の脅迫行為を止めさせるよう警告していたことが明るみに出た。
 
 この事件の背後には、安倍さんが指摘する「判検癒着」の構造と、それを是とする最高裁の司法官僚統制があった。いつになったら日本の裁判所は、良心の砦になるのだろう。安倍さんの地道な努力が報われる日が一日も早く来ることを祈らざるを得なかった。(了)

(週刊限代「ジャーナリストの目」の再録です)