エチオピアジャーナル第13回 最終回
チャオ(Ciao) エチオピア!
雨がしとしと降っている隣国のウガンダでエチオピアジャーナルの最終回を書いてる。
一ヶ月半前にアジスアベバからこちらの首都のカンパラに移ってきたのだが、その後の数週間後に取材でエチオピアに戻る。
出発日、 当日ぎりぎりに降りたビザを受け取りその足で空港に向かい、わずか1時間50分でアジスアベバに到着。アジスアベバを離れて一ヶ月も経たないのだが、車の窓に流れる見慣れた風景を眺めながらなぜだかノスタルジックな気分になる。
エチオピアへの帰郷(?)の主な目的は南スーダンから流れ込んでいる難民の取材だった。先月の 国連の難民機関UNHCRの発表によると、エチオピアはケニアを追い越してアフリカで最も難民を抱えている国家となった(7月末で63万人)。この原因は南スーダンからの難民の急増だった。12月に勃発した内戦で、180万人が家を追われ、エチオピアにはおよそ19万人が国境を接するガンベラ州に流れ込んでいた。
翌朝チャーターされたセスナ機でガンベラ空港に到着すると、WFP(国連世界食糧計画)の巨大なソビエト製の輸送機に緊急食糧の荷積が行われていた。紛争地に落下傘を付けて空中投下するとのこと。今回はアメリカから訪れていたVIPへ付き添いの日帰りの旅。空港に到着後、車に乗り込み、軍隊からの護衛と一緒にすぐさまキャンプに向かう。
雨期の最中、到着したキャンプの一部は水没し、コレラの発生が懸念されていた。疲れ果てた難民達は乾いた地面に座り込み、周囲には高温によって、バクテリアが水たまりで発酵している独特の悪臭が漂っている。
取材を終えセスナに乗り込み首都アジスアベバに向かう。空港では援助物資の投下を終えた二機の貨物機の整備が行われていた。飛行機の窓から、ジャングルを貫く川を眺めながら、空から降ってきた援助物資は果たして人々の手に届いたのだろうか? 政府、反対派の兵士、自動小銃を肩に掛けた若者が、食糧を取り上げているイメージが頭中に浮かぶ。離陸してまもなく雷雲に対面。セスナはこの雲上を飛べないのでまたガンベラにとんぼ返り。明朝トライするとのこと。難民キャンプで汗だく、泥まみれで写真を撮り、日帰りの取材だったので、着替えや歯ブラシもなかった。パイロットのアナウンスを聞いた後、仕方が無いなと座席で肩を落とし少しため息をつく。
翌朝、離陸が数時間延期された後、アジスアベバに到着。プロペラが止まり突然静かになったセスナのドアが開くと、高温でねっとりしたガンベラの空気から一転、高地の涼しく新鮮な空気が入ってくる。深呼吸をした後、頭を天井にぶつけないように降りる。その晩宿泊していたホテルのロビーで知り合いのロイター通信社のジャーナリストに出会う。このホテルには南スーダンの和平交渉に参加している反政府派の代表が泊まっており、インタビュー待ちとのこと。そういえばスーツを着たのっぽの南スーダン人の姿を目にしていた。キャンプで栄養失調の幼児、そしてホテルのレストランのバイキングで山盛りにされたごちそうを食べている代表団達との対照的だなと、久しぶりに飲む味わい豊かなエチオピアのコーヒーをすすりながら考える。
現大統領のキール氏は、 和平が成立すれば、反政府派のリーダーのマシャール氏に、前職の副大統領へのポスト復職を約束すると発表。一方、キール大統領の援助が目的で南スーダンに送られたウガンダ兵の退却が和平合意の第一条件だと強調していた反対派は、交渉が行われていたウガンダの首都カンパラで、大統領提案の受け入れを発表する。西欧からの援助打ち切り、リーダー達を対象にした口座やビザの凍結などの制裁が効き出したのだろうか。ジャングルで小競り合いが継続される最中、双方からリップサービスが始まった。 建設が予定されている、ウガンダを経由し、南スーダンとケニヤの港をつなぐパイプラインは、近年予想以上の石油埋蔵量が発表されたウガンダにとって、「Liquid Gold: 液体の黄金」の輸送にはかかせないもの。ウガンダ現政府、反対派、そしてウガンダ政府によって、舞台裏の交渉が行われているのが予想される。
「チャオ!Ciao」とエチオピアに挨拶をした。エチオピアではよく使われるフレーズ。イタリアによって占領されていたために定着したのだろう。チャオは英訳でHelloとGood-byeの両方に意味がある。エチオピアにはまた戻ってくるだろう。新居カンパラに向かう飛行機が離陸すると、チャオ、じゃあまた!という意味を込めてつぶやいてみた。
明日はエチオピアの元日。だがここカンパラでは“2007”年の到来を祝う子供達の歌声は聞こえないだろう。日本大使館からは、9.11事件の記念日に、アフリカ連合の一員としてソマリアPKOに参加しているウガンダでテロの可能性が高いので用心するようにとのメールが届いていた。