現代政治の深層を読む2010年の政治

▼バックナンバー 一覧 2010 年 1 月 12 日 山口 二郎

1 民主党政権の評価

 二〇〇九年は日本の政治史にとっては画期的な年となった。憲政史上初めて民意による政権交代が起こったからである。現在の政権は性格には民主党を中心とする連立政権であるが、ここでは煩雑を省くために、政権の中心である民主党に着目し、民主党政権と呼ぶことにする。
自民党政権から民主党政権への変化にどのような意味があるかについては、様々な評価がある。その昔大学紛争に参加してz暴れた世代の中には、かつて同じ感覚を共有した菅直人や仙谷由人などの同世代人が政権中枢に入ったことを喜んで、政権交代を革命になぞらえる人々もいる。他方、現世における政治の改善におよそ悲観的な左派の中には、似たり寄ったりの保守的な政党の間で権力をキャッチボールするだけだという突き放した見方もある。
 私自身は、十年以上にわたって民主党を観察し、政権戦略について提言してきた関係で、普通の人よりもこの政権に大きな期待を持っていたために、せっかくのチャンスをなぜうまく生かせないのだという不満を募らせている。政権交代から百日の間は、新政権は何をしても支持される貴重な期間であった。周到な戦略家がいたならば、この期間に新機軸をもっとたくさん打ち出して、政権交代の意義を国民に思い知らせたであろうし、旧政権の悪事を徹底的に暴いたであろう。揮発油税減税と環境税の導入、男女共同参画と扶養控除など、政権の基本政策について閣内で意見が分かれ、内部での議論に時間とエネルギーを費やしたのは、まことに残念であった。やはり、民主党は選挙に勝つことに関心を集中するあまり、政権を獲得したあとの戦略について十分に準備していなかったと言わざるを得ない。
 しかし、やはり政権交代自体の意義を否定すべきではない。政治学の世界を見渡してみると、篠原一、坂野潤治など現役最高齢の学者ほど、素直に政権交代を喜んでいる。彼らは生きているうちに政権交代が起こるとは期待していなかっただろうから、その目で政権交代を見られたこと自体を喜んでいる。坂野は明治維新以来という長いパースペクティブの中で、現代政治の変化を位置づけている。今は、そのような長い時間軸をもって、目先の変動に一喜一憂しない態度が求められているのだろうと、自戒を含めて考えている。
 その意味で、政権交代自体の興奮や物珍しさが消えた二〇一〇年こそ、政治家も、我々のような政治批評を行う者も、さらには市民も政治の将来をじっくりと考える年となる。
 

2 政権の課題

 政権発足から二か月経ったあたりから、政権が迷走を始めたような印象を与え始めた。その根本的な原因は、民主党が政権の基盤となるような思想をもっていない点に求められる。民主党は政権獲得によってマニフェストを実現すると訴えたが、そのマニフェスト自体に大きな欠陥があった。民主党のマニフェストは、自分たちの訴えとは異なり、manifest(積荷目録)であって、manifesto(政治的宣言)ではなかった。様々な政策項目は羅列されており、数値目標や財源についても一応は言及しているが、全体を貫く思想が欠如していたのである。だから、ガソリンの減税と二酸化炭素の削減、女性の自立の促進と旧来型家族を前提とした扶養控除など、相矛盾する政策の間で右往左往することになった。また、東アジア共同体や自立した対米関係などのスローガンを打ち上げたものの、それを実現するための具体的な論理やシナリオを準備できておらず、アメリカから沖縄基地問題の決着を急げと恫喝されて、閣内がガタガタするという結果になった。
 政権に同情すべき事情もある。大きな政策課題は、沖縄問題やデフレなど、前政権の負の遺産であり、民主党が種をまいたものではない。日々襲ってくる課題に対処して、政権を維持するだけでも大変だというのが、政権内側の政治家の本音であろう。しかし、政治は結果責任である。その種の言い訳は説得力を持たない。
 もちろん、思想というものは一朝一夕に培われるものではない。それにしても、政権を担って現実に向き合った上で、野党時代から考えていたアイディアをもう一度練り直すことはできるであろう。鳩山由紀夫首相が最初の臨時国会の所信表明演説で示した友愛の政治を具体化するための政策の柱を考えることこそ、民主党の課題である。二〇一〇年の最大の政治イベントは、夏の参議院選挙である。これに向けて、民主党が本物のmanifestoを作り直すことができるかどうかに注目したい。
 様々な問題にもかかわらず、世論は民主党に対して好意的である。それだけ自民党政治を否定したいという気分が強いのであろう。今は試行錯誤が許される最後の機会かもしれない。衆議院選挙の際に訴えたマニフェストを再検討した結果、このような理念に基づいてこの部分を修正するといった主張をすれば、むしろ世論からは評価されるのではなかろうか。
 逆に、思想を欠いたまま目の前の問題に場当たり的に対処することを繰り返せば、民主党政権に対する期待は急速に凋むであろう。最初の難問は沖縄基地問題と、経済・雇用問題である。どちらにしても、すぐに目に見える結果を出すことは難しい。沖縄問題については、当初案による二〇〇九年中の決着を見送ったことで、事実上県内移設という選択肢は封じられた。アメリカとの交渉は難航するであろうが、政権としてどのような沖縄を目指すのか、日米安保をどう変えていくのかという目標を自ら提示することが、この問題処理に対する国民の支持を取り付けるための鍵となる。
 デフレからの脱却についても、長期戦が必要となる。これについても、政権が目指す将来の経済社会のイメージを明確に示し、それに向けて税制、社会保障制度、雇用法制を転換する道筋を示すことが求められている。子ども手当や農家戸別保障を実施することで多少の内需刺激効果はあるだろうが、国民が求めているのは目の前の現金よりも、中期的な展望である。公共事業と終身雇用の昔に戻るという選択肢は存在しない以上、一人当たりの所得は多少少なくなっても、男女ともに働いて家族を養う所得を得るという新しい家族や労働のあり方を示し、それを現実的に支える教育・保育、介護、医療などの政策的土台を計画的に整備するというビジョンを示すことこそ、政権の任務である。そのような展望を明確に示せば、当面の生活は困難でも、人々は未来に対する希望をつなぐことができ、そこから内需中心の経済社会が形成されるはずである。
 一九七〇年代末、石油ショックに起因するスタグフレーションの中、アメリカのジミー・カーター大統領は政府に対する信頼性の危機を訴えた。現在の世界状況、とくに日米の混迷はあの時代を思い出させる。三〇年前は、その危機の中から、やはり政府や信頼できないという方向で、新自由主義が現れ、レーガン、ブッシュ政権で採用され、一九八〇年代以降の世界の政策パラダイムとなった。今、同じ誤りを繰り返さないために、民主党が新たな思想を打ち立て、国民を説得することが何よりも必要とされている。
(編集者注・これは図書新聞2010年1月1日号に掲載された原稿を再録したものです)