現代政治の深層を読む鳩山政権の百日

▼バックナンバー 一覧 2010 年 1 月 18 日 山口 二郎

はじめに

 2005年の総選挙では、「官から民へ」、「小さな政府」を唱える小泉純一郎首相と自民党が圧倒的な支持を得た。しかし、そこで国民が選んだ「構造改革」路線は、行き過ぎた規制緩和や社会保障費、地方交付税の抑制によって、国民生活の土台を破壊した。そのことへの反発が政権交代を求めた民意の根底にあることは確かである。
 「国民の生活が第一」という民主党のスローガンを額面どおりに受け取れば、小泉政権時代に新自由主義に振れた自民党に対抗して、民主党は福祉国家の再建や社会民主主義路線を立てることによって選挙に勝利したということになる。民主党を中道左派路線に向かわせようと考えてきた私にとっては、そのような解釈こそ望ましい。しかし、政権発足以後の3ヶ月あまりの動きを見ると、評価すべき面と、批判すべき面が入り混じっている。鳩山政権が今後国民の期待にこたえて政策的実績を上げるために何が必要か、改めて考えてみたい。
 

1 2009年総選挙の民意と「第3の道」の成功

 まず、国民が民主党あるいは鳩山政権に何を期待したのか、どのような思いで政権交代を引き起こしたのかを振り返っておきたい。2009年8月の総選挙で、大半の日本人にとって初めての民意による政権交代が起こった。2005年の総選挙では、新自由主義的な構造改革を唱える小泉純一郎首相が率いる自民党が300議席を得て大勝した。わずか4年の間で、日本の民意は強い自民党支持から、強い民主党支持へと180度転換したように見える。
 この選挙について、人々は刺激的なシンボル、2005年の「改革」、2009年の「政権交代」に反応しただけで、大衆扇動の政治は継続しているという解釈がある。しかし、2005年と2009年の間には、大きな違いがある。
 第一の違いは、社会経済的環境である。2005年は日本経済が長期的な景気回復を遂げている途中であった。市場原理を強調する改革論が支持を受ける環境がまだ存在していた。しかし、小泉政権が終わった2006年以降、日本ではしだいに不平等の拡大や貧困問題の深刻化を憂慮する世論が高まった。さらに、2008年秋以降の世界的な経済危機の中で、国民の経済的不安は一層高まった。市場の優越性を強調する政策よりも、市場の失敗を重視し、国民の生活を救済する政策が支持されるようになったのは当然である。
 第二の違いは、選挙の際に政党が提示した政策の具体性である。2005年の総選挙は、小泉首相の持論であった郵政民営化を最大の争点として行われた。しかし、郵便局の民営化が日本の経済や国民生活に具体的に何をもたらすかを、民営化を主張していた自民党は何ら説明しなかった。国民も、郵政民営化がどのような結果をもたらすか、理解して投票したわけではない。実際には、2005年の選挙で勝利した後、自民党政権は、医療予算の削減、生活保護の減額など、社会保障、社会福祉の面での小さな政府の実現に邁進した。
 これに対して、2009年の選挙で、民主党は具体的なマニフェストを提示した。とくに、15歳以下の子どもに対して一人月額2万6千円の子ども手当を支給すること、農家に対する戸別所得保障を実現することなど、国民に対する支援策を売り物にしていた。国民は、民主党を選ぶことによってどのような政策が実現するか、理解して投票したということができる。
 もちろん、後で触れるようにマニフェスト自体の洗練の度合いが不十分であったという問題もある。それにしても、二大政党が政権構想を明示した上で政権を争うという選挙が実現し、国民は過去4年間の自公連立政権の政策的業績を否定するという意志を明確にしたということができる。
 今回の民主党の勝利は、日本における第3の道の実現と評価することができる。第3の道とは、1997年にイギリスで労働党が18年ぶりに政権を獲得した時に打ち出したスローガンである。いうまでもなく、第1の道は第2次世界大戦後、ベヴァリッジ報告に基づいて労働党が実現した福祉国家、第2の道はサッチャー政権が1980年代から90年代にかけて推進した新自由主義的な改革である。97年の選挙に臨んだ労働党(ニューレーバーと自称していた)は、グローバル化時代に経済的な効率と両立する新たな福祉国家として、第3の道を打ち出した。
 日本でも、同じような展開を発見できる。第1の道は、1960年代から80年代にかけてかつての自民党が展開した利益配分政治である。公共事業、農業や中小企業への補助などの形で財政資金が配分され、弱者の保護や不平等の是正がある程度行われた。しかし、そのような政策は普遍的な制度に基づくものではなく、官僚の持つ裁量によって実施され、不公正や腐敗を伴っていた。地方自治体に対する公共事業補助金の配分や、工業事業受注をめぐる談合、護送船団方式といわれる業界保護の仕組みなどがその代表例であった。
 他方、第1の段階においては、制度的な社会保障の整備が行われたが、その規模は国民経済の規模に比べればきわめて小さいものであった。1990年代までは、社会保障支出の対GDP比は10%台で推移し、21世紀に入って高齢化が進んでも20%台の前半にとどまっていた。総じて、第1の段階は経済成長が続いた結果、貧困、病気等の国民生活上のリスクはカバーされていたということができる。
 第2の道は、2000年代に小泉純一郎政権によって展開された新自由主義的構造改革である。第1の道がもたらした腐敗や無駄遣いに怒った国民は、小さな政府による改革を支持した。しかし、小泉政権は腐敗の是正や行政の効率化ではなく、社会保障や社会福祉の削減、労働の規制緩和、地方政府に対する財政援助の大幅な削減を実施し、日本社会にはアメリカのように、貧困と不平等が蔓延した。小泉政治においては、改革という華々しい掛け声は叫ばれたが、小さな政府がもたらす現実的な帰結については、具体的な議論が行われなかった。国民は、中身を見せられず、ラベルだけを見せられて商品を買わされたようなものである。
 第3の道は、今回民主党が打ち出した福祉国家の再構築の路線である。従来の裁量的な利益配分に変わって、普遍的制度を立て、それに沿って同じ条件にあるすべての市民に対して公平に給付やサービスを提供するという点に民主党の政策の本質がある。子ども手当は、いわばベーシックインカムの部分的な試行である。また、農業についてはヨーロッパに習って、農家に対する戸別所得保障を行うことを打ち出している。従来の農業政策が、農村に対する裁量的な補助金や建設事業に偏っていたことへの反省からこのような政策が生まれた。さらに、医療、教育の分野では、それらの分野に対する財政支出がOECDの平均的な水準に達するよう増額することを目指すとしている。民主党政権は、アメリカ型の小さな政府と決別し、ヨーロッパ型の福祉国家を目指すと評価することができる。
 ポスト小泉の自民党が構造改革路線の継続か、修正かをめぐって内部論争を起こしたのに対して、民主党は生活第一というスローガンの下に、一応社会民主主義的なアジェンダを打ち出した。その点で、民主党が攻勢に出ることができ、構造改革の破滅的な帰結に対する反発を強めていた国民の支持を得ることができた。
 

2 新政権における政策論議の方向性

・可能性の芸術としての政治を実感させる

 新政権は様々なスローガンを打ち出し、政治の変化を国民に印象づけようとしている。政治の変化を実感させるためには、言葉の変化から始まることも当然である。地球温暖化問題への取り組みのように、二酸化炭素の排出量を25%削減するという高い目標を設定すること自体に政治的な決断が必要なテーマの場合、政権交代によって政治が変わったことを実感できた。まさに政治の役割は、財源や法制度をタテにとってできない理由を並べることではなく、目指すべき方向を明示し、国民を鼓舞することにある。その意味で、鳩山政権の滑り出しは見事であった。国際舞台で自国の首相が演説する様子を誇らしく思えるということは、おそらくほとんどの日本人にとって初めての経験であったろう。
 また、生活保護の母子加算の復活のように、前政権が単なる財政の帳尻あわせのために行った政策を是正するという点では、政治主導がよい意味で発揮された。八ツ場ダムの中止のように、長年の政官業の癒着の象徴のような公共事業を中止することにも、政治の力は発揮された。こうした政策、事業については、今まで市民が復活や中止の必要性を懸命に説いても、官僚はそれに反対する理由を嫌になるまで並べ立てていた。できないはずの理由が数十もあったような政策も、政権が代わり、政治指導者が明確な方針を決定すればたちまちできるようになった。これこそ、政治は可能性の芸術というビスマルクの言葉を、日本人に初めて実感させた出来事であったろう。
 また、国家戦略局の政策参与に「年越し派遣村」の村長、湯浅誠氏を起用し、緊急雇用対策を打ち出そうとしていることも、政権交代の意義を感じさせる。政権交代によって政策を論じることのできる人間が入れ替わったことは、きわめて重要である。従来の政策形成過程は、いわば会員制のクラブのようなものであった。自民党や官僚と密接な関係、言い換えれば政官業癒着の一翼を担ってきた組織や団体は、メンバーとして政策形成過程に迎え入れられていた。そして、それらの人々の要求は政策課題としてすぐに認知され、予算措置や法整備を獲得してきた。コメ市場の開放の際に打ち出された総額六兆百億円の農業対策費など、その典型であった。
しかし、その反面、会員ではない人々は、政策形成過程に切実な苦しみを訴えても、なかなか相手にしてもらえなかった。薬害被害者、失業者、母子家庭などはその典型である。政権交代は、政策形成過程の入り口にあった固い扉をこじ開け、これを出入り自由な場に変えたように、今のところは見える。湯浅氏の起用は、そうした変化の分かりやすい例である。

・ムダ削減をめぐる混迷と民主党の曖昧さ

 民主党はマニフェストにおいて多くの新規政策を国民に約束していたが、財源については無駄の削減による捻出を最初に掲げていた。したがって、来年度予算の編成に向けて既存の事業を再検討し、目に見える節約を行うことは必須であった。
 そのための政治的イベントとして事業仕分けが行われた。これについては、肯定すべき面と否定すべき面が交錯している。いわゆる天下りの受け皿としてだけ存在する特殊法人や独立行政法人の「仕事」の実態を明るみに出し、情報公開を進めたという点は事業仕分けの成果である。自民党長期政権の時代には、その種の官僚のモラルハザードを批判する与党政治家は存在しなかった。その意味で、与党による官僚の統制が初めて働いたということもできる。
 しかし、仕分けの議論は人民裁判のような印象を与えた。天下り官僚の利権ではなく、本当に様々な地域や市民の役に立っている事業についても、短時間のヒアリングで無意味という烙印を押し、廃止と切り捨てたことに関しては、反論も出された。研究開発分野における公的支援はその代表例であった。
 そのような混乱を引き起こした最大の理由は、民主党自身の曖昧さであった。仕分けは、費用対効果という基準で事業の有効性、有意味さを計った。しかし、政府の行う政策にはそもそも費用対効果という基準がなじまないものも多い。したがって、仕分け作業の対象を選定する段階で、まず政府の指導部が、費用対効果の基準で仕分けする事業と、費用対効果は度外視して政治の責任において遂行する政策とを、識別、仕分けすることが必要だったはずである。その点が曖昧であったことは、民主党がそもそも政府の使命をどのように捉えているかが曖昧であったことの反映である。また、仕分けチームの結論に対して、各省の大臣から反論が相次いだことも、内閣のレベルでこの課題についての議論、合意が存在しなかったことの現われである。
 政策においては、誰が見ても明らかに無駄と認定できる絶対的な浪費はそう多くはない。政策の無駄は相対的なものである。したがって、無駄を暴くことが本当の課題なのではなく、民主党政権の優先順位に沿って、優先度の低い分野で廃止すべき事業を洗い出すことが仕分けの意味である。
 政策の基本的な理念が曖昧なことは、すでにマニフェストの段階から明らかであった。英和辞典を引くと、マニフェストという音の言葉には、manifesto(政治的宣言)と manifest(積荷目録)の2つがある。残念ながら、民主党のマニフェストは後者の方である。様々な政策項目が羅列されているが、全体を貫く思想が欠如している。したがって、たとえば、温暖化防止のための二酸化炭素排出量の削減と、揮発油税の暫定税率の廃止の関係、男女共同参画社会の実現と所得税の扶養控除の扱いなど、矛盾する公約の扱いに苦労することになる。来年度予算の編成作業の中でこれらの基本的な問題をめぐって閣僚間に争いが生じるということは、いかに民主党が重要政策についての議論を怠ってきたかということの証明である。
 民主党政権で政策形成の実務を担う官僚出身の中堅政治家には、テクノクラートタイプが多いように思える。また、鳩山首相をはじめとする政府の首脳部が政策の方向付けに明確なイニシアティブを発揮しているようには見えない。民主党政権が政策的な成果を上げるためには、遅ればせながら、個別の政策項目を貫通する思想や理念を明確にすることが必要なのである。
 

3 「生活第一」の具体化へ

民主党政権が追求すべき価値、理念は、政権交代のスローガンでもあった「生活第一」を具体化すること以外にはない。私の言葉を使えば、リスクの社会化のための制度を再建し、すべての人間が自己実現を追求できるようにするため、医療、年金、教育、保育などの公共サービスの基盤を立てることこそ、民主党政権の課題である。
 まず、最初に必要なことは、理念を明確に立て、国民的な合意を作ることである。残念ながら、民主党が政権を獲得するために打ち出した生活第一路線は、新自由主義に対抗するための政治的な戦術として採択された側面がある。福祉国家の理念が民主党の思想として樹立されたとまでは言うことができない。民主党政権の下で、広い意味での社会保障政策を推進するためには、まず政策の土台となる理念や思想のレベルで議論を重ね、党全体で、あるいは党派を超えて共有する必要がある。
 その場合の理念や思想の原点とは、人間の尊厳と生命の平等を無条件に守るということである。小泉政権時代には、財政の帳尻合わせのために社会保障費が削減され、生命の不平等が横行したことに対して、厳しい反省を加えることこそ、今後の政策論議の大前提となる。そして、医療、介護、教育、保育などの基本的な公共サービスについてはサービスの供給力に応じて需要を抑制するのではなく、需要に応じてサービスの供給力を拡充するという発想をとるべきである。
 そうなると、財源をどのように調達するかという問題を避けて通ることはできない。仕分けのような無駄の削減はあくまで政府に対する国民の信頼を回復するための作業である。さらに言えば、将来の負担増に対する国民的な合意を得るための予備作業である。もちろん、歳出の優先順位を組み換えることも必要であるが、地域間格差の拡大、地方経済の疲弊などの現実を考えれば、無駄といわれた公共事業も削減には限界がある。
 政府は日本経済の現状をデフレと宣言した。当面の雇用や国民生活を支えるためにも支出拡大は不可欠であり、闇雲な歳出カットはすべきではない。
当面公債に依存することもやむをえないが、中期的には国民負担を増やすことが不可避である。日本における租税社会保険料の負担率は、アメリカと同水準であり、ヨーロッパの先進国よりははるかに小さい。医療などの公共サービスを拡充するためには、国民負担を増やすことが必要である。鳩山首相のスローガン、「友愛」は、まさに国民がそれぞれ能力に応じて公共サービスを供給するための財源を拠出し合い、人間の連帯と相互扶助によって、人間の尊厳を守っていくという方向性を示していると考えることができる。民主党政権は、1期目の4年間は増税をしないと宣言したが、今後持続可能な社会保障システムのために負担のあり方について国民と率直に対話する必要がある。

(編集者注・これは月刊自治研2010年1月号に掲載された山口論文を再録したものです。今後の政治を考えるうえで重要な意味を持つので再録します。)