エチオピアジャーナル(9)「ジャイアントの没落」
アメリカ大統領選の当日、「コダック社、退職者の健康保険・生存者扶助金の停止の許可下りる」という見出しがニューヨーク州北西部にあるローチェスターの地元紙の一面を飾った。
コダックは、創業者ジョージ・イーストマンがローチェスターで写真乾版の販売を始めた1880年以降、写真業界を牛耳ってきた存在だったが、フィルム売り上げの激減、デジタル写真への推移が送れたこと(デジタル写真は1975年にコダック社によって発明されたのだが)によって、1990年代後半から衰退し始め、今年1月に連邦破産法第11章(日本でいう民事再生法に相当する)の適用を連邦裁判所に申請し、2月にはデジタル・イメージ商品の製造の停止、8月にはフィルム、スキャナー部門の売却を発表する。1976年にはアメリカでは90パーセントのマーケット・シェアを有していたコダックは、ニューヨーク州で第三の都市であるローチェスターを支えてきたアメリカ屈指の大会社だったが、工場のほとんどは閉鎖され、ローチェスターの一部がゴーストタウン化している。
ここ数年、経済が低迷しているアメリカで、今年度の大統領選に関わる最大の課題は「国内経済」だとメディアで言われていた。その国内方針が課題だった、生中継された大統領候補者による討論第一回で、オバマ大統領は挑戦者の共和党のロムニー氏に圧倒される。その後、世論調査によるとオバマ大統領の支持率が急落し、1900年以降現職の大統領の再選率が70パーセント以上のアメリカで、オバマ大統領落選の可能性も新聞の一面を飾っていた。
「分裂したアメリカ」
今年11月、休暇で妻の実家のローチェスターを家族で訪れていた。選挙日の2日前、雪が散らつく北国の冬、家に閉じこもっていた子供達を、ネットで見つけた屋内プレイセンターに連れて行くことにする。所々に空きのサインがかかっているオフィスパークを「ほんとにこんな所に子供の遊び場があるのかな?」と心配しながら、車でぐるぐるする。ファミリーによって愛用されているミニバンが固まって駐まっている前のビルにプレイセンターのサインがかかっているドアを発見。中に入ると、室内用遊具がびっしり配置された250平方メートルほどの空間を子供達が走り回っていた。
入場料を払うと、「今日は選挙日なので、投票してください。景品をもらえますので、と、象とロバの絵が描かれた投票カードを渡される。アメリカは二大政党制の国。オバマ大統領は革新派の民主党で、対立関係にあるのは保守派の共和党。民主党のシンボルはロバで、青が党の色。共和党は象で赤。子供の頃からこの二大政党制を頭にたたき込まれているのか、とあっけにとられる。しばらく子供を遊ばせた後、ピザを買って子供達と昼食。辺りを見回すと、ピザに食いつく子供達に挟まれてノートパソコンと書類を広げ、たまっている仕事を消化しているワーキング・ママ達の姿がある。国際労働機関によると、アメリカ人は年間日本人よりも137時間、イギリス人より260時間、そしてフランス人より499時間多く働いているとのこと。
今年9月発表されたアメリカ国勢調査によると、昨年の世帯収入はインフレ調整後11年前より8パーセント下回り、人口底部の80パーセントの収入は減少したが、上部20パーセントの収入は上昇し、所得のギャップは過去40年で最大となる。大統領選討論で、共和党の挑戦者ミット・ロムニーは、この経済停滞はオバマ大統領の経済方針のためで、裕福な「Job Creater」への課税を減らすことによって経済成長を促進させることが可能で、相対的な経済が敏速に成長すれば、国民全てがその利得を得ることができる(Trickle−down:したたり落ち論)と、典型的な共和党の方針を主張した。
一方オバマ大統領は、裕福層への増税によって、アメリカで広がりつつある収入の不均衡を緩和し、増税分を教育、医療などのプログラムを促進する予算にまわすことによって、アメリカ経済を復興すべきだと反論する。
だが、結局両者は特効薬を提供することができなかった。アメリカと同じような経済格差がひろがる日本やヨーロッパの先進国の政府も、この難題への確かな対応策をいまだに打ち出せていない。討論をテレビで見ていて思ったのは、両者はお互いを非難し、雄弁で優勢なイメージを与えることに専念している様子は、雄鳥が色鮮やかな羽を広げて雌鳥を誘惑しようとしていることとたいして変わらないとういう印象だった。
自分はもちろん経済学者ではないが、現在の経済混乱は、近年一人歩きをし始めたデジタル・レボルーションやグローバリゼーションに直接関ったもので、各国政府のポリシーによる影響はさほどのものではないと思う。職場のデジタル化で、特にコンピューターによる効率化による職数の減少、経済のグローバリゼーションによる、中国などの賃金の安い国への製造業の移転などは、終局的に止めることできない世界経済の流れだと思う。個人、会社、産業、そして国全体の生存はこの流れにどう適合していくかが肝心だと思う。
ローチェスターのコダック社は、デジタル・レボルーションに乗り遅れて敗退したが、一方、同じアメリカに拠点を持つアップルやグーグルなどはその状況にフルに適合し、デジタル・レボルーションをリードすることによって膨大な収益を上げている。グローバリゼーションによって従来の産業構造を支えてきた製造業は国外に流出してしまったが、逆に市場が急激に広がったことも確かだ。
日本やアメリカなどの先進工業国は、自分たちだけが持ちうるユニークなテクノロジーの開発に力を入れ、拡大したマーケットに乗り出していくことが、サバイバルに必然だろう。技術開発の先端を担い、その技術をマーケットで強い商品として育てられるような人材を育成するために、誰もが高等教育や医療へのアクセスができるようなサービスを提供することが政府の役割だと思う。これは民間企業だけでできることではない。
選挙日の夜はテレビからは目を離せなかった。夜が更けるにつれ、アメリカ50州が、赤と青に塗り分けられていく。予想通り、西、東海岸は民主党の青、南部そして内陸中部は共和党の赤。接戦なので、翌朝まで結果が出ないだろうと予想されていたが、勝ち取れば当選すると言われていた中西部にある工業地帯のオハイオ州で、真夜中前にオバマ大統領が勝利し、再選がほぼ確実になる。ほっとため息をつき、テレビのスイッチを切りベッドに潜り込む。アメリカの祝日、感謝祭の日に七面鳥の丸焼きを食べた2日後、エチオピアに戻り、早朝にアジスアベバに到着、その朝ソマリア国境にある難民キャンプに10人乗りのセスナで飛ぶ。
「リッチ & プアー」
「This camp is supported by IKEA Foundation(このキャンプはイケア財団によって援助されています)」。エチオピア、ケニヤそしてソマリア三国の国境が接し、置き去りにされたような乾燥地帯にある難民キャンプの前に、大きく真っ白な看板が容赦なく照りつける砂漠の太陽を反射して立っている。イケアはスウェーデン発祥の世界最大の家具会社。デザインが良く低価格なので、不況下のヨーロッパやアメリカ、そしてアジアでも売り上げを伸ばしている。
今回は、韓国最大の財閥サムソンがキャンプにスポーツ用具を寄付する式典の取材も行う。世界不況の影響により、国連への加盟国による寄与金が減少し、国連の歴史上初めて、今年国連の予算の増加が差し止めされる。こういう背景で、予算不足を補うために、各国連機関は民間企業からの援助を積極的に受け入れ始めていた。世界不況の影響が、地の果てにある難民キャンプにも反映しているわけだ。
キャンプでの仕事を終えた一週間後、アフリカ南部に位置する内陸小国のマラウイに飛ぶ。この元イギリス領だった国は、個人年間所得がわずか900ドルの(世界で220番目)、世界最貧国の一つ。2005年に行われた調査によると、15歳から49歳までの成人のうち、14.1パーセントがHIVウィルスに感染しており、世界で最もHIV/AIDSが流行している地域の一つ。主都リロングウェにあるHIV/AIDSのクリニックを訪れたクリニックの壁に貼ってある、ピルやコンドームを使った避妊・家族計画・セーフセックスを奨励するポスターに目をとめる。ポスターの下にはスポンサーとしてUSAID(アメリカ国際開発庁)とプリントしてある。
瞬時、頭を横切ったのはアメリカ大統領選だった。大統領選挙運動中にロムニー氏は、大統領に就任したら初日に「グローバル・ギャグルール」を復活させると公約した。これは合法的な妊娠中絶の情報やアドバイス、専門医への紹介、もしくは妊娠中絶の合法化を支持する、発展途上国で活動しているNGOに、お金だけではなく、コンドームやピルなどの物資的なアメリカ政府による援助を与えない方針。「メキシコシティ·ポリシー」としても知られているこの保守的な政策は、ロナルド·レーガン大統領(共)によって1984年に初めて施行された。1993年にはビル・クリントン大統領(民)によって廃止されるが、2001年にジョージ・W・ブッシュ大統領(共)によって就任直後に大統領命令として復活させられる。だが2009年にオバマ大統領によって再度廃止される。
もしロムニー氏が当選していれば、このクリニックへの援助金は、このポスターと共に消えてしまっただろう。アメリカ大統領選は、世界で最も貧しい国で最も弱い立場に置かれたHIV/AIDSの患者さんの生死にもかかわるものなのだと、ポスターを眺めながら考えた。
「Soul Searching(自己省察)」
12月14日、ニューヨークから西東へ100キロほどの小さな町の小学校で、1年生20人、女性6人が、精神不安定の20歳の男性によって銃殺される。この事件はアメリカ史上、最も多い犠牲者を出した「The Massacre(大虐殺)」の一つと新聞の一面を飾り、アメリカを揺らがせ、銃の強化の声が高まった。
1994年、軍事スタイルセミオート(半自動)小銃の製造、販売の10年間の禁令がアメリカ議会によって可決される。だが禁令の有効期限が切れた後、不況に陥り、大衆の関心が経済問題に集中し、銃規制への関心が低下していたアメリカでは、この禁令が継続されることはなかった。
NRA (National Rifle Association: 全米ライフル協会)と呼ばれるパワフルな銃愛圧力団体の影響、「武装権」がアメリカの法律で保証されていることなどが理由で、アメリカの政治家は銃規制を口にすることさえ用心している。2000年の大統領選挙で元副大統領のアル・ゴア氏が落選した理由の一つは、厳格な銃規制をキャンペーンのスローガンとして唱えていたことと言われ、銃規制に取り組むことは政治的に危険性が高すぎると、政治家によって近年敬遠されてきた。
だが軍事スタイルセミオート(半自動)小銃が使用された小学校での虐殺は、この流れを変えるもので銃規制の可能性をもたらしたという声が上がり、就任後の過去四年間に銃規制に携わらなかったオバマ大統領に圧力がかかっている。
得票率わずか50.5パーセントだったオバマ大統領(ロムニー氏は47.9パーセント)、上院は民主党、下位は共和党が過半数を握り、予算可決が膠着状態にあるアメリカ議会、不況、世界への影響の低下、そして銃による暴力への対応の意見が2つにくっきりと分かれたアメリカは、いま自己省察をしている。