田原総一朗の正体第一回

▼バックナンバー 一覧 2010 年 1 月 28 日 田原 総一朗

 今回から“魚の目”に書かせてもらうことになった。魚住昭さんに心から感謝したい。
 ここでは、たてまえではなくホンネを記したいと思う。
 私は、一九六〇年からテレビ番組のディレクターをやっており、“サンデープロジェクト”や“朝まで生テレビ”を、キャスターではなく、画面に出るディレクターのつもりでやっている。同時に、雑誌や単行本でノンフィクションの取材を行い原稿を書いている。
 そこで、取材とは、率直にいえば、標的とする人物、政治家や経営者、官僚たちから情報を盗む、あるいは騙し取ることである。テレビでのインタビューで、相手から、本当は言いたくないホンネ、出したくない情報を引きだす、つまり盗み取ることである。あるいは相手を攻め込み、追いつめ、あるいはうまく乗せて騙し取ることである。
 かつて筑紫哲也さんが、私のことを北風、自分のことを太陽だといっていた。田原は、北風のように強引に、服を引き剥がしてホンネを出させようとするのだが、筑紫さんは太陽のように暖かくして服を脱がせていくのだというのである。どちらが効力があるかはここでは問わないが、いずれにしても盗むか騙すかである。
 しかし、盗む、騙すは、たやすいことではない。手間ひまかかるだけでなく、相手を傷つける可能性も多く、とにかく必死の勝負をしかけなければならない。
 そこでメディアでは、しばしば第三の手法がとられる。
 相手の思惑をありがたくいただいてそのまま報じる。これをリーク情報という。特に検察がらみ、警察がらみでは、よくこの手法が使われる。
 これをスクープと称されることも少なくない。
 この手法だと身の安全が保たれる。無理をすることもない。だが、こうした報道が多くなると、読者には報道だか、宣伝だか見分けられなくなる。宣伝を報道だと思わせられてしまう。それに、ジャーナリストとして取材するということが面倒くさくなってしまうのではないだろうか。