戦後日本が失ったもの:新しいアイデンティティを求めて第九回:東京都知事 石原慎太郎殿

▼バックナンバー 一覧 2009 年 10 月 29 日 東郷 和彦

第一信 二〇〇五年五月二十三日

(敬称略、以下同じ)
(自己紹介の後)

 退官後ライデンで新しく勉強を再開し、新しい学びの中で私は戦後の日本が後代に伝えるべき大事なものを形づくってきた面もあると同時に、戦後の日本には如何とも否定できない精神の荒廃があり、その荒廃の中で日本が失ったものは何か、それを再興するにはどうしたらよいかということを考え続けてきました。
 そういう状況下で私は、石原知事が産経新聞に連載しておられる記事をインターネットを通じ興味深く拝読してまいりました。
 特に、二〇〇四年二月三日付けの「二枚の写真」を読み、大変僭越ながら、本当に我が意を得た思いが致し、感激置く能わざるところがありました。
『注』 知事室に、江戸時代にこの場所を撮った写真と、現在同じ場所を撮った写真の二枚があることを紹介した上、石原氏は、二枚の写真を、こう比較している。                              「明治に入って新しい西欧風のホテル建築を依頼され来日した建築家フランク・ロイド・ライトは初めて目にする江戸の景観に感嘆し、その日記の中にこれほど瀟洒な街並みを見たことがないと記している。                                
 そしてその感動のままに彼は当初の、おそらくコンクリート建てによる発想を変えて、この街にこそ似合った素材を日本中で捜し、ようやくあの質感の柔らかな大谷石を見つけて名作の旧帝国ホテルを作ったのだった。                       
 彼らの江戸への相対的な高い評価がいかに尤(もつと)もなものかを、慶応年間に撮影されたあの江戸の写真は証している。                           
 それに比べてこの現代、都庁の屋上のヘリポートから撮った三百六十度のパノラマ写真の醜さは逆に息をのむものがある。それは一言でいって巨大な反吐(へど)としかいいようない。緑を抹消し代わりにコンクリートででっち上げ、原色のネオンや看板の氾濫した東京の醜悪さは、これを、かつて世界最大の人口を備えながら、あの雅(みやび)な江戸を作った同じ民族の後裔(こうえい)がなし終えたものとは想像し難い。」
 私は、三十四年の外務省生活を通じて、敗戦によって生じた魂の空白の中で日本人は過去からの正しい意味での連続性を喪失し、歴史、文化、国の成り立ちへの記憶を忘却し、時には非常なエネルギーを持ちながらも、余りにも皮相な文化、精神、対外関係を造りだしてきたと感じてきました。
 この魂の喪失状況からの脱却は、一面諸外国との関係での「自虐的な過去の全面否定」を克服した、自らの力で価値を創造する対外政策によってなされねばなりません。しかしながら、同時にもう一つ必要不可欠なことは、我が国内において、自らの力で取り戻せる価値を再創造することにあると思います。その中核には私達が父祖の時代より受け継いできた日本の自然と、戦前まで一つの形をなしてきた日本の文化、その融合体としての知事の書かれた「感覚的な視点での国土」の再興にあると私は確信しております。江戸の風景と今日の新宿の風景との鮮烈な対比の中から、私たちが失ったものを取り戻そうという知事の言葉は本当に勇気づけられるものでした。深く御礼申しあげます。
 
 さて、御願いしたい件は、東京青山墓地の中の外人墓地の保存に関してであります。最近になり、欧米の日本研究家が中心になり日本の森羅万象について実名で意見交換をしているNational Bureau of Research, Seattle主催のインターネットから、青山墓地の外人墓地が都民の公園スペースを拡大するために取り壊される可能性があるとの報に接しました。
 率直に申しあげ、言葉に出来ない失望感と、このような事態を止めるためになんとかしなければいけないとの思いにかられました。
 石原知事に対してこのようなことを申しあげるのはなんとも失礼の極みと存じつつも、あえて私見を申しあげれば、青山外人墓地に眠る外国人は、親族が墓地の維持のために送金を行っていない人たちを含め、明治のころより近代日本の建設に貢献し、異国の土と化した方々と思います。我が国近代の発展を思い返し、歴史に残ったその痕跡を尊重し、視覚的・感覚的に現代の日本人の精神の荒廃を癒すには、この外人墓地のような場所を都民をあげて尊重することは本当に大切な事であると確信するものです。公園としての機能は、外人墓地を適正に管理するなかから生まれることもまた、青山墓地を知る者なら、誰しも納得することと思います。
 私は外人墓地撤廃の報に接して以来、この話が石原知事の十分の指導の下で行われたはずはないと思ってきました。「二枚の写真」その他知事が述べておられる日本の根源的な価値の尊重と言うことと、余りにも違和感があるからです。
 どうか知事のお力により、外人墓地の撤廃(その一部の撤廃を含め)の計画を中止し、日本が父祖の発展のために尽力した方々を大事にしないという汚名をそそぎ、墓地保全のために積極的に動き始めた日本を愛する外国人グループと東京都が力を併せ、民族の魂の保全と国民の公園としての意義がともに全うできるような青山墓地にしていただくよう、伏して御願い申しあげます。
 

第二信 二〇〇五年八月三日

 過半私より知事にさしあげました青山霊園外人墓地の件につき、六月七日付けで担当の建設局長より、知事からの御指示として、早速お便りを頂戴しました。深謝申しあげます。

 建設局長より、「外人墓地の区域については『歴史的墓所空間』として位置づけ、青山霊園の代表的な空間の一つとして、保存していく考えであり、ご心配されるような、公園スペースを拡大するために取り壊す予定はございません」ということをお知らせいただき、本当に安堵いたしました。

第三信 二〇〇六年八月三十一日

(これまで経緯に感謝を表明のあと)

 本年七月、四年ぶりに帰国し、約一ヶ月日本に滞在したところ、昨年来青山外人墓地保存運動をしているグループの方々より是非話をしたいという要請がありおめにかかったところ、以下のような話がありました。
一、本件について東京都にその後の対応を紹介していたところ、七月二十八日の東京都公報に、外人墓地五十八名の使用許可が取り消されるとの決定が掲載された。使用許可取り消しの理由は、五年間の管理料の未納である。
二、東京都の担当者の方に、使用許可を失ったこれらの墓地を都として今後どう処遇するのかと照会したところ、九月以降諮問委員会を設置し、その委員会の諮問を経て決めることになるので、現時点では、どうなるかは未定であるとの解答を得た。
三、青山霊園外人墓地保存の会としては、この解答に接し、驚愕している。昨年東京都の幹部職員の方々から、明治以来の日本の近代化に命を捧げた人たちの魂を尊重し、日本近代化の原風景を若い世代に伝えていくために、外人墓地はそのままの歴史的空間として保存するという解答を得ていたと了解していたところ、今般の使用許可取り消しと諮問委員会の設置は、その方向をなんら担保しないのみならず、場合によっては、その根本を崩すおそれがある。
四、保存の会としては、当会が所期の目的がつつがなく達成されるよう、急遽今後の対応を再検討中である。

 申し上げるまでもなく、青山霊園外人墓地保存の会の以上の話は、私にとっても、大きな驚きでありました。

 我が国の歴史と文化と精神について卓越した見識をもたれる石原知事が、明治の日本をはぐくみ、その建国の礎に杖になった人たちの魂を軽んずるはずがないことは、私の深く確信するところであります。
 青山霊園外人墓地が、そういう明治建国についての民族の記憶を最も冷厳な形で保存する場所であり、その内実と景観を子々孫々にそのままの形で伝えることが、我が民族の魂を後に伝えるために絶対に必要なことであることも、知事には先刻十二分にご存知のことと確信します。

 青山霊園外人墓地保存の会が得ている情報がなんらかの誤解に基づくものであることを切に祈ると共に、しからざる場合には、僭越ながら、石原知事の断固たる御指導により、青山霊園外人墓地の明治のころからの原風景がそのままの形で保存され、我が民族の光栄ある飛翔の時代の形成に貢献した方々の魂が安らかに眠ることができるよう、再び伏してお願いするしだいでございます。

第四信 二〇〇七年一月十二日

 一月八日付の産経新聞掲載の「十年後の東京」を拝見し、本当に心強く嬉しく感じました。戦後六十年、日本が失った自然、景観、伝統といったものをどうやって現実的に再興するかについての足腰を備えた長期ヴィジョンをつくること、私が外務省での勤務を通じて思い描いていた願いをこの記事ほど適格に描いた例を知りません。僭越ながら、何かお役にたてないかと思うほどに、感動していることを先ず御報告したく存じます。

 そういう中で、東京の友人より、今般東京都が決定したという青山霊園外人墓地の改修工事の計画案を送ってきました。本件についてはこれまで度々知事にもおたより申し上げ、日本の近代形成のために命を捧げたこれらの人たちのお墓は今後大切に保存すること、明治の原風景を保っている墓地の空間も大切に保存することなどの点について御理解をえたと認識しておりました。建設局長からは、その趣旨のお便りをちょうだいし、誠に心強く思い、私の感謝の気持ちを、昨年九月二十三日の産経新聞「アピール」欄に述べた次第でございます。

第五信 二〇〇八年八月二十六日

 帰国して早速青山墓地を訪れました。明治の時代をどう日本の中で具体的に語り伝えていくかという点については、意見の差はあると思いましたが、外人墓地全体に対して尊敬をもって対応するとの風景が明確に感ぜられ、本当に、よかったと思った次第にございます。これも石原知事からいただいた御指導の賜であり、本当にありがとうございました。
遅ればせながら、御礼方々、御報告申し上げます。

第六信 二〇〇九年十月六日

 報道にて、オリンピック招致の件が実現しなかったことについての無念さを拝見しました。私も一東京都民であり、崇高な目標をたて、それを実現するために全力をつくされ、結果において実現できなかったことの残念さは、深く拝察するところであります。
 しかしながら、いったん結果が出た以上、大変僭越ではありますが、オリンピック実現に向けられた知事の構想力とエネルギーの原点に帰り、知事の力を少しちがった形で、東京都と歴史のために結集していただけないかと思うものであり、そのための一つのアイディアを申し述べたく、筆をとった次第です。

(「二枚の写真」についての私見を再度述べた後)

 例えば、私は、知事が発議された、小学校の校庭をコンクリートから芝生に変えるという政策は、子供たちに、感覚的な自然を少しでも回復するという意味で、素晴らしいプロジェクトとして、心から、支持しておりました。
 そういう観点から、一つ提案があります。
 結論から申しあげます。
「電線を埋設して、代わりに木をうえる」というプロジェクトであります。

 人間の生活は、衣食住からなると申します。
 戦後六十四年の経済振興の中で、日本は、衣食の面では見事な成功を収めたと思います。国民一人一人の衣食の水準が圧倒的に上がったのみならず、世界の文化の中で、日本食と日本人デザイナーによるファッションは、先進的役割を果たすようになりました。衣食は、「クール日本」の大事な一角を構成しております。
 しかし、住、それも広い意味での住空間の文明的な水準の形成において、日本は、絶望的なほどに失敗しました。東京全体が、その失敗の象徴であることは、「二枚の写真」が、痛いほど指摘しておられるとおりだと思います。
 卓越した建築家の「点」として存在する現代建築は、東京の各所にちばっていても、私たちが普通に住む街並みのほとんどは、惨たる不調和の連続体だと思います。

 日本全体として、東京都として、日本人の住空間を抜本的に改善すると言う問題が、そろそろ、喫緊の課題としてでてきていると思うのです。
これからの、日本経済をどうやって発展させるのかという問題の中で、輸出産業に頼った外需ではだめだという議論があります。内需の喚起が必要だと言われます。リチャード・クー氏は、「今こそ、省みられてこなかった住宅投資を見直し、住宅の建設を軸とする内需の喚起が必要だ」(九月二七日、「サンデー・プロジェクト」)と言われました。
 私は、「住宅の建設」だけでは、足りないと確信します。
 新しい視点で見直すべきは、広い意味での、「住空間」、すなわち私たちが生活している場所全体なのだと思います。ここにこそ、圧倒的な公共投資を投入し、内需を拡大する素地があります。

 そこで、東京都の現状を見てみます。
 世界で最も不調和な発展をしてきたとはいえ、戦後六十四年の富は、それなりに東京に蓄積されてきています。
 個々の場所をいえば、戦後日本を象徴するなかなか見事な到達点を示している場所もあると思います。
 しかし、いくつかのそういう場所を除いて、全体として、東京都の住空間として、耐え難く遅れている部分があると、私は思います。
 それが、電線の埋設です。
 日本人の大部分が、水道とガスは、地面の下から供給されるのはあたりまえだと思っているのに、どうして、電気だけは、くもの巣のような電線網からおりてくることを、なんの不思議とも思わないのでしょうか。
 日本人の心にとって本当に大事な皇居の周りとか、日本の発展の象徴のような、銀座、丸の内、原宿のようなところには電線がないのは当たり前なのに、自分自身の周りの生活空間が、かくも醜いくもの巣で覆われていることに、なぜ日本人は、我慢ができるのでしょうか。
 ヨーロッパでの生活の長かった人たちが、東京の、しかも、高級住宅街といわれている所が、余りの醜い電線網で覆われていることに、悲痛な気持ちを持っても、事態は、ほとんど変わりません。
 懇意にしている、東京在住の何人かの外国人とこの話をすると、皆、天をあおぎ、「東京に電線さえなくなってくれたらな」と言います。
 パリに、ロンドンに、ニューヨークに、世界の「顔」とも言える都市にくらべて、東京の電線埋設の度合いは、恥ずかしさで顔があげられないほど低いのです。
 アレックス・カー氏の『犬と鬼』で、中島義道氏の『醜い日本の私』で、松原降一郎氏の『失われた景観:戦後日本が築いたもの』で、水村美苗氏の『日本語が亡びるとき』で、このことは、悲痛な筆先で、述べられております。
 電線の埋設には、お金がかかり、埋設自体が、相応の経済効果を生み出します。埋設の主要時期が終わり、都市の風景の中から、感性を侵食する電線が消え、そこにエコロジーに配慮した緑の木々が立ち、それが、年々成長していく。その変化する風景を目の当たりにしたとき、東京都民自身が、自分たちの住空間をどうしたらもっと心地よいものにしうるかということを、日本共同体の一員として、「公」の立場から考える素地ができうるのではないでしょうか。
 この問題意識を、是非とも、これからの石原都政の起爆力に、していただけないでしょうか。