現代の言葉第1回 尖閣諸島問題

▼バックナンバー 一覧 2012 年 6 月 1 日 東郷 和彦

 石原都知事の尖閣諸島購入発言以来、この問題がマスコミを賑わしている。

 中国は、1968年国連のレポートで地下資源が報ぜられてから後、71年この島の領有を主張し始めた。しかし1895年以降一貫して尖閣を主権下におく日本が、今の国際法秩序の下で、ここに主権を有することは、疑いが無い。

 だが、1972年の日中国交回復時に周恩来は「今回は話したくない」と述べ、78年の日中平和友好条約の署名に際し鄧小平は「次の世代が方法をさがすだろう」として先送りを提言した。その時以降日本政府はこの提案に暗黙の諒解を与え、今にいたるまでこの諒解を守り、青年団が持ち込んだヤギが島の植生を食いつぶす無人島としてこれを管理し続けている。

 周恩来発言から40年、鄧小平発言から34年、次世代の知恵が見出せないままに、事態は、深刻な地点に漂着した。

 90年代以降、世界の超大国たらんとする中国の戦略目標は、その国力に見合った制海権の確保であり、その最初の目標は西太平洋にある。その中で、尖閣は、中国の国家性にとって最重要の課題たる台湾と、西太平洋制海権の最初の関門たる第一次列島線上の沖縄の、ちょうど中間にある。尖閣は、パワーポリティックスに根ざす中国の戦略上の要諦となった。

 更に、明・清の時代、尖閣は、中国本土から台湾を経て琉球に近づく航路上に、琉球36島とは区別されたものとして存在していた。日本領域への併合についても、外務省は、1885年の最初の国内からの要請は中国(清)への配慮によって承認せず、10年後、日清戦争での勝利が確定的になってから認めている。歴史問題としての尖閣は、ナショナリズムの炎とネットの伝播力によって収拾困難な問題に転化されうる。

 問題を正面から見据えて解決に向かわなければ、日本は鄧小平の遺訓の前に立ちすくむばかりである。

 第一に、中国海軍力による制海権の獲得に対して有効な唯一の方策は、海上防衛力を整備し、万が一にも先方が実力を行使したらこちらもたたき返す実力を備え、その上に日米安保条約による抑止機能を根付かせておくことしかない。2010年の防衛計画の大綱以降の政府の政策は正しい方向を向いている。

 第二に、尖閣問題が本当に中国と武力衝突の誘引になるのであれば、外務省は総力をあげて、衝突を回避するための外交を尽さねばならない。2010年9月の漁船衝突事件は、平和の時代に、日本を現実の戦争の可能性に投げ込んだ転換点であり、真の戦争回避外交を行うための覚醒だった。

 そのような外交実施のための体制整備として、政府が尖閣を購入するのは上策であり、政府を覚醒するために、石原知事が尖閣購入発言をされたのであれば、これを歓迎したい。

 第三に、中国側とは、すべてを、無条件で話し合う。主権の問題も排除しない。衝突回避のメカニズムは最も大事な話し合いのテーマである。最終的には、なんらかの形でのエネルギー共同開発についての知恵を生み出す。そこには、地元沖縄の意見を十分に反映させることが不可欠である。

 

(2012年5月21日『京都新聞夕刊』掲載)