現代の言葉第2回 プーチン新政権と日ロ関係

▼バックナンバー 一覧 2012 年 6 月 12 日 東郷 和彦

 3月1日プーチン首相は、外国主要紙とのインタビューで、大統領になってからの対日政策について語り、自ら領土問題をとりあげ、「双方が受け入れ可能な妥協によって領土問題を最終的に終了させたい、それは『引き分け』のようなものだ」と述べ、更に、2001年自ら署名したイルクーツク声明に戻って交渉を再開したいとの趣旨を述べた。

 北方領土問題は、第二次世界大戦終了時にロシアからうけた様々な苦しみの総決算として、1855年の日ロ通好条約から90年間、一度も日本の領有をうたがわれなかった四島を取り返したいという、正義の主張である。

 けれども、国家は、正義のみでは動かず、力関係と利益で動く。戦後67年の間、ロシアの指導者が「返還はロシアの利益になる」と考えた時期が何回かあった。その時に開く「機会の窓」をとらえて全外交力を集中して交渉し、決着を迫る以外の方策はなかった。

 しかし、日本側は、その機会をつかみ損ねてきた。相手が妥協しうるギリギリの限界を読み損ね、要求の高望みをし、過去の自国の要求に自縄自縛となった結果であった。

 特に、2001年イルクーツクで、これまでの全交渉で初めてロシアは、二島引き渡しを規定した1956年の共同宣言と四島解決を規定した1993年の東京宣言を文書で確認し、国後択捉の実質審議に入る交渉の入り口まで来た。この交渉は、日本側内部の事情で壊れた。

 その後も、安倍晋三内閣から鳩山由紀夫内閣に至る間、面積分割というまったく新しいアイディアも浮上し、ロシア指導部は、交渉を進めるシグナルを出し続けた。しかし、2009年末から交渉は停止し、2010年11月のメドベージェフ大統領の国後訪問という最悪の事態になり、交渉は二年半停止し続けた。

 今回のプーチン発言は、日本側の二年半の無為無策の後に、ロシアの方から一方的に時計の針を10年前にもどし、2001年イルクーツクの時点からの交渉の再起動を提案したものである。

 プーチン新大統領は、今後「強くて安定したロシア」をユーラシアの中央部につくる、そのためにはエネルギーの安定輸出と、付加価値経済の樹立による経済空間が必要である、日本はそのためにも、また、台頭する中国と伍していくためにも、役に立つと考えての提案であろう。

 私も、台頭する中国を前に日ロの提携は日本の国益にかなうと考える。日本政府は、全力をあげて、今からプーチン大統領の正式就任までの間の二か月間、日ロの経済関係の拡大と、双方にとって受け入れられる領土の解決案の研究をしていただきたい。それには、プーチン氏が今回事実上確認したイルクーツク声明が鍵となる。

 交渉はかつてなく厳しいものになろう。しかし、もしこの機会の窓をあけることに失敗するなら、おそらくは、予見される将来、四島では、2006年に制定された「クリル開発計画」の粛々とした実施のみが続くことになろう。全力を挙げた交渉に入る以外の選択肢はないように、私には思える。

(2012年3月11日『京都新聞夕刊』掲載)

 

<現在の視座から>

 3月に本稿を書いてから、大統領職に当選したプーチン氏は5月7日同職に正式に就任、メドベージェフを首相とする内閣が発足、プーチン自身も活発な外交・政治活動を展開し始めている。
 日本との関係でも動きがないわけではない。大統領職に当選したプーチン氏に「領土問題については叡智ある解決をしたい」と伝えた野田総理からの電話(3月5日)、前原民主党政調会長の根回し訪問(4月29日から5月4日)、それに引き続き、プーチン大統領とイルクーツク合意を達成した森元総理による総理新書を携行した訪ロと、超党派で対ロシア政策を推進するとの日程が動き始めたようであった。
 しかし、森元総理の訪問によるプーチン大統領との会談は「多忙」を理由として行われないこととなり、6月18、19日にメキシコのロスカボスで行われるG20での野田総理との会合が最初のメーンエベントになろうとしている。
 日本政府は、テンポが一呼吸遅れ始めた日ロ関係の中で、両国関係全体の拡大発展と領土問題の解決について、必死の勉強と政策立案を積み上げているのだろうか。マスコミにまったく聞こえてこない現状が、実際の勉強の深さを反映していることを祈るのみである。