現代の言葉第12回 富国有徳

▼バックナンバー 一覧 2013 年 1 月 15 日 東郷 和彦

2013年1月14日

 最近ご縁があって、静岡県政のお手伝いをしている。

 その中で、県政の目標が「富国有徳」にあるということを知った。聞けば、この言葉は、小渕恵三総理が国造りのビジョンとして最初に使い、一代前の知事の時から、県政の目標になっている由である。

 最初は、ちょっとだけピンと来なかった。しかし、少し考えているうちに、これはなかなかよく考えられた、今の日本が必要とする国造りのビジョンではないかと思い始めた。

 1868年明治維新から太平洋戦争に至る日本の国家目標は、「富国強兵」だった。その旗印の下に、日本は、近代化をなしとげ、世界の一等国に列し、ついには、英米を相手に戦い、少なくとも半年は、アジア太平洋を席巻する最強国となった。

 1945年、太平洋戦争でその米英に完膚なく叩きのめされたあと、日本は、国造りのビジョンを切り替えた。「富国平和」である。この言葉はあまり使われていない。一般には「経済大国」という言葉が使われてきた。私は、日本外交を教え始めてから、戦前と比較した歴史認識として、この言葉を使ってきた。昭和の時代、日本は、ひたすらこの目標を実現すべく働きに働いた。そして1989年、昭和と冷戦が終わった時には、アメリカの最大の脅威になるような経済大国に成長したのである。

 しかるに、平成になってからの20年あまり、日本は、経済・政治・社会・外交すべてにおいて空回りを続け、アジア太平洋においても、グローバルな世界においても、年々、影の薄い国になり続けている。その根本原因は、国を束ねて皆で前に進もうという目標を失ったことにある。

 そう考えると、「富国有徳」とは、平成の漂流を乗り越える国造りのビジョンとして、正に的を射ているのではないか

 いまの日本にとっての「豊かさ」とは、GDPと個人所得に代表される単なる物質的な豊かさではない。日本に固有な類まれなる自然の美しさや、その中でつちかってきた伝統文化を生かした風景、それらと調和した生活の追及でなくてはなるまい。

 なによりも、そういう豊かな社会を皆でつくり、皆がその豊かさを享受し、更に、全世界的にその豊かさを広げていくためには、今の日本には、なにか決定的なことが欠けている。それは、豊かな社会をつくるためには、少しだけ自分(あるいはそのごく近しい近親者)の利益を抑制し、自分のエゴを我慢し、公のために何ができるかを考え、それを実行する精神であろう。社会のためを考えることによって、すぐれた教育をし、最高の技術を開発し、人間一人一人を大切にできる。それこそが、「有徳」ではないか。

 3・11の後の国の再興も、煎じ詰めれば、日本人がいかにして前よりもよく働き、そこから生み出す富を復興の地に集中し、「21世紀の理想郷」とよばれるにふさわしい東北を造れるかにかかっている。

 私たちが今そう望むならば、「富国強兵」――「富国平和」――「富国有徳」へと、歴史の歯車を、確実にまわすことができるのである。

(2011年9月29日 『京都新聞』夕刊・最終回)

<現在からの視座>

 2012年12月26日、安倍晋三内閣が成立、新しい金融財政政策の採用による経済成長と、自律的な外交に向かって門出をきろうとしている。

 外交面では、多様な人材を活用しつつ、現実主義を基礎とする外交を進める可能性をもっているように、看守される。

 けれども、経済運営を基礎とする、社会の構築のビジョンはどうだろう。

 2011年の後半にくらべて、日本社会は、三つの自信喪失に陥っているように見える。

① 「コンクリートから人へ」という時代の要請に合っていたと思われる政策目標をかかげながら、結局は、官僚支配によるビジョンの喪失に陥った民主党政治への失望。

② 「3・11」という、東北をして「21世紀日本の桃源郷」創生たらしめる契機をもちながら、有事の指揮を行うことができず、平時のコンセンサス政治の域をでられずに、復興行政に失敗した政治への落胆。

③ これから日本を襲う自然災害と、処理する術もなく堆積される核廃棄物におびえる不安。

 この民心の不安をとらえ、その間隙をぬって現れたのが、国土強靭化法案という、防災という錦の御旗の下での公共事業土建国家建設を進めようという政治理念だった。歴史に遡のぼっていうなら、田中角栄型の「日本列島改造論」を基礎とする鉄とクリートによる開発先行理念の復帰だった。大平正芳の「田園都市構想」、橋本龍太郎の「ガーデン・アイランズ構想」、小渕恵三の「富国有徳構想」、安倍晋三・中川秀直(当時幹事長)の「美しい国へ」という、日本古来の自然と文化にねざした本当に豊かな生活の構築をめざし、そのための徳は何かを追求する精神は、ほぼ影を潜めているかに見える。

『文芸春秋』新年号によせた安倍新総理の「瑞穂の国の資本主義」構想が本当に結実し、グローバリゼーションの世界の中で徹底的に開かれながら、なおかつ、日本人としての徳と調和を求める国造りはできないものであろうか。(2012年12月29日)