ホロウェイ論ジョン・ホロウェイ『権力を取らずに世界を変える』を読む その1

▼バックナンバー 一覧 2009 年 7 月 23 日 四茂野 修

はじめに

 ジョン・ホロウェイが書いた『権力を取らずに世界を変える』という本の内容を紹介していきます。大窪一志さんといっしょに訳してこの春、同時代社から出した本です。

○20世紀の苦い現実

 メキシコ南東部チアパス州ラカンドンのジャングルからさまざまなメッセージを世界に発信してきたサパティスタのモットーに「道をたずねながら、われわれは歩く」というのがあります。ジョン・ホロウェイはこれを「道をたずねるのは道を知らないからだけではなく、道をたずねること自体が革命のプロセスの一環だからでもある」(414頁)と解説します。そういえば宮沢賢治もかつて「われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」(「農民芸術概論綱要」)と書いていました。

 なんだ、あたりまえのことじゃないかと思われるかもしれませんが、20世紀に革命をめざした人たちの間では、それは決してあたりまえでなかったのです。彼らから見ると道はすでに確固として存在していました。幸福な未来に到達できる道を自分たちはとうとう見つけたと深く信じていました。まごまごしながら道をたずねているような人は、まだ自覚のできていない「遅れた大衆」と見なされたのです。やがて誰が見つけた道が正しいかをめぐって諍いが生じ、争いが果てしなく続きました。大きな犠牲を払いながら、結局だれも幸福な未来というハッピーエンドに到達することはできませんでした。これが20世紀の苦い現実でした。

 革命家たちが考えていた道には国家権力の掌握という通過点がありました。かならずそこを通らなければならない場所です。世界を変えるにはまず権力を取ることが不可欠だと、ほとんどの人が思っていたのです。選挙を通じてであろうと、労働者のゼネストや、果ては暴力によってであろうと、国家権力を握ることが世界を変えるために欠くことのできない条件だと考えられていました。『権力を取らずに世界を変える』というこの本は、まず表題からこの常識を逆なでします。なんという非常識! 暴論だ! 現実を知らないお人好しの夢物語……いろんな非難の言葉が世界中で飛び交いました。

 「本当にそんなことができるのかい?」と聞かれて、ホロウェイが「実は僕にもよくわからないんだ」と答えるのを聞くと読者は「だいじょうぶかな」と思い、だんだん不安になります。そういえば、この本の末尾が、ピリオドもないまま、文の途中で途切れているのも変です。この本には正しい答を示す結論はありません。周囲の喧しい非難の声と比べて、頼りのないことこの上ありません。まったく非常識な本です。でも20世紀に革命をめざした人たちの常識に挑戦する本ですから、非常識に見えても仕方がないのです。

○「する力」と「させる力」

 この世界には二種類の力があるとホロウェイは言います。「する力」と「させる力」です(これらは「パワー・トゥー」と「パワー・オーバー」という原語に大窪一志さんが苦心の末につけた訳語です)。権力にまつわる関係のなかでは「させる力」が働いています。誰かに何かをやらせる力です。やらされる方からすれば強制力です。これに対して「する力」は自分の内から発する力です。人間は「行為の社会的流れ」のなかで、相互に結びついて生きているとホロウェイは言います。家具職人が椅子をつくると、一瞬それはモノとなって行為の社会的流れから独立します。しかし、誰かがそれに座ることによって、直ちに行為の社会的流れに戻ってくるのです。この流れのなかにあるのが「する力」です。

 私が子供の頃、「江戸城をつくったのは誰?」というなぞなぞがありました。相手が「太田道灌」と答えたら、「ちがうよ、大工さんがつくったんだ」とやりかえす意地悪な仕掛けになっていました。ホロウェイ流に考えると、このなぞなぞには深い意味があります。大工さんは自分の「する力」を使って立派なお城をつくったわけです。でもその後ろには太田道灌がいて「させる力」を行使していました。大工さんは自分の考えで江戸城をつくったわけではなく、命令されて仕事をしたわけです。勝手に自分の考えで設計を変えてしまったら、たぶんひどい処罰を受けてやり直しを命じられたでしょう。大工さんたちの「する力」は「させる力」の下におかれ、違うものに変えられていたのです。

 権力者の「させる力」によってこれまで民衆はずいぶんとひどい目にあってきました。何度も何度も戦争に駆り出されて殺し合いをさせられました。あるときは権力者の住居や墓を作るためにさんざん働かされました。いつも重い税を取り立てられました。そして逆らう者は残虐な処罰を受けました。こうした横暴のない、人々が互いに尊重しあい、力をあわせて生きていける世の中を多くの人が夢見てきました。20世紀の革命家たちも同じような夢をもち、「させる力」をふるう権力を取り除こうとしたことは間違いありません。

 ところが彼らは、上述したように国家権力を握ることを通じて、つまり「させる力」を行使することを通じて、それを成し遂げようとしたのでした。この考えは、権力の掌握に至る過程に「させる力」を引き入れることになってしまいました。党の官僚機構はピラミッド型の上下関係を通じて「させる力」を発揮しました。軍事組織ともなれば絶対的な命令と服従の関係が不可避でした。「遅れた大衆」を政治的に利用し引き回すことは当然と考えられるようになりました。打ち倒そうとした敵と同じものになることによって、運動は結局内から崩壊していきました。権力を握ったところでも権力自身が自己崩壊してしまいました。

 彼らは「させる力」に依存するのと同時に、自分たちの掲げる革命の道こそ、歴史の流れに対する科学的な認識にもとづくもので、正しいものだと思い込むようになりました。ホロウェイはここに大きな問題があると言います。認識を持っている者(党)が持っていない者(大衆)を教育し指導するという関係が固定化されるのです。「させる力」の行使は正当化され、権力関係が運動のなかに持ち込まれます。ちょっと考えてみればわかることですが、現在の社会に組み込まれ歴史的な制約を受けて生きている者が、歴史の外に立って客観的な認識をすることなどできるはずがないのです。

○権力と共同体

 他方、20世紀の多くの革命家が見落としていたのは、長い歴史のなかで民衆の生活に根付いてきた共同体の存在です。彼らはそれを歴史の進歩を妨げる過去の遺物として切り捨ててきました。民俗学者宮本常一の『忘れられた日本人』(岩波文庫)の冒頭に描かれた、対馬の寒村の寄り合いの模様には、この見方を覆すに十分な迫力があります。

〈…会場の中には板間に20人ほどすわっており、外の樹の下に三人五人とかたまってうずくまったまま話しあっている。雑談をしているように見えたがそうではない。事情をきいてみると、村でとりきめをおこなう場合には、みんなの納得のいくまで何日でもはなしあう。はじめには一同があつまって区長から話をきくと、それぞれの地域組でいろいろ話しあって区長のところへその結論をもっていく。もし折り合いがつかねばまた自分のグループへもどってはなしあう。〉(13頁)

〈…三日でたいていのむずかしい話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理はしなかった。みんなが納得のいくまではなしあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話といっても理屈をいうのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。〉(16〜7頁)

 サパティスタの意思決定も、きっとこれと同じようなものではないかと思います。そこには「する力」を撚りあわせる共同体の自治の営みがあります。相互扶助の精神があります。この共同体と「させる力」を行使する権力の間には常に張りつめた緊張関係があったと思います。権力が共同体の領域に介入し、自治を侵食することもあったでしょう。耐えられなくなった共同体が権力にたいして一揆を起こすこともありました。しかしどれほど抑圧的な権力の下でも、民衆はさまざまな自治の領域を生み出し、助け合って生きてきたのではないでしょうか。

 ところが、権力と共同体の長い歴史に大きな変化が訪れます。市場原理が侵入することによって、共同体が内から毀れはじめました。バラバラにされた個人が貨幣を仲介に取引を行う市場の原理は相互扶助を基盤とした共同体原理を駆逐します。権力の姿も変わりました。資本家と官僚という二つの姿に分裂したのです。労働者の「する力」を使って利潤を蓄積する資本家と、その関係を維持する官僚とに権力は分岐します。この変化は数世紀にわたって進行しました。

 20世紀末から世界を席巻した新自由主義は、社会のなかになお残っていた共同体の領域に最後の総攻撃を仕掛けました。サパティスタが「ヤ・バスタ(もうたくさんだ)」の叫びをあげて蜂起したのが、北米自由貿易協定(NAFTA)の発効した1994年1月1日であったことは決して偶然ではありません。ついにラカンドンの密林にも市場原理が攻めよせてきたのです。彼らは共同体を守るために蜂起しました。とはいっても、メキシコ政府を倒すためではありません。それは「権力を取らずに世界を変える」蜂起でした。

 今や、世界には「もうたくさんだ」の叫びが満ち溢れています。ときとしてこの叫びは、テロや衝動的な殺人など暴力的で野蛮な形で現れることもあります。ホロウェイによればそれは「現在の資本主義の展開があまりにテロルに満ちているので、それが、テロルを含んだ反撥行動を呼び起こしているのであり、あまりに非人間的なので、それが、同じように非人間的な反撥行動を呼び起こしているのです」(396頁)。もっと創造的な形をとることもあります。昨年末に日比谷公園に出現した「派遣村」は、現状を拒否するノーの叫びに発しながら、失われた共同体を再創造しようとする試みだったと見ることができます。

 このノーの叫び以外に私たちの出発点はありません。だから本書は「初めに叫びがある。われわれは叫ぶ」という言葉ではじまるのです。今回、大急ぎで概観した本書の内容について、次回からいくつかポイントを絞って詳しく紹介したいと思います。