フォーラム神保町東郷ゼミ「ゼロからのイスラム 第1弾」 〜国際政治の中の中東について〜
日本は様々な側面において世界のマジョリティーと一線を画す特殊な文化を繁栄させており、宗教においても所謂ガラパゴス化しているといえます。あらゆる分野に当てはまることですが、グローバル化社会において日本は外の世界を否応にも理解しなければなりません。宗教においてもまた然りです。現代の国際社会で生きていく上で、世界中の国民の大半が無宗教かつ宗教のチャンポン状態である日本に住む私たちは、宗教を理解する努力をすべきではないでしょうか。イスラム教は三大宗教のひとつで、信者数は世界で2番目に多いともいわれます。そんなイスラム教についてもっと知ることができれば非常に有益で、なにより楽しいと思いました。
イスラムの2つの側面
一口に「イスラム」といっても「法体系としてのイスラム」と「文化慣習としてのイスラム」に分けることができます。前者は社会システとしての側面を指しています。中東諸国では西洋近代法と一線を画した、コーランに基づいて宗教指導者が法を解釈するという独自の法体系が機能していました。しかしイスラム法体系が今日まで連続していたわけではなく、1922年のオスマン帝国崩壊を契機として、中東諸国では西洋文明への屈服・社会主義への転換など劇的な変化が起こり、以前のイスラム法体系は廃れていきます。法体系と同時に文化慣習的にもイスラムは影響力を失いました。しかし今日の中東諸国では「イスラム復興」が起きています。イスラム復興とは、コーランの教えを現代社会に見合う形で実践しようというもので、特に若い世代の間で広がっています。西洋文明に追いつけ追い越せという風潮が社会を席巻した時代を経て、現代の若者は「自分はいったい何者なのか」というアイデンティティをイスラム教に求めているのではないでしょうか。興味深いのは70年代の日本でも「ディスカバー・ジャパン」といわれる固有文化のリバイバル運動が盛んになったという点です。しかし現在の中東諸国では、若者たちの周囲に宗教的な模範が欠如しています。よって若者たちはスカーフを被る等の形式的な教えの実践にとどまることが多いようです。
イスラム主義
イスラム主義とはイスラム法システムを現代に生かそうとする取り組みで、実践方法は千差万別です。タリバンのような過激派は少数で、大多数は現代の実態に合わせるべきだと考えています。実際、コーランは様々に解釈されています。多数派のスンニ派と少数派のシーア派ではこの解釈幅が異なります。前者は法解釈の幅が一定に定められています。しかし狭い解釈幅のために法権威が形骸化し、権威の外に法解釈が乱立している状態です。他方で後者のシーア派は広い法解釈余地を採用しており、これよってホメイニ氏のように法学者が政治的指導者となる人物が現れたといえます。イスラム教からイラン革命のように欧米的革命が起こったことについて、フーコーはイラン革命をポストモダンであるとさえ指摘しています。
感想
わたしたち日本人の感覚では、宗教が政治の中に組み込まれているイスラム社会を理解することは難しいと思います。この勉強会では、今まで私の頭にあったイスラム社会に対する固定観念が崩れると同時に、今後はイスラム社会を新たな視点から見ることができると思います。
(東京大学教養学部3年/黒澤麻衣)