フォーラム神保町東郷ゼミ 「戦後ニッポンが失ったもの〜第1弾/解体業から見たニッポンの風景」

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開催日時:3月14日(土) 18:30〜20:30

勉強会レポート

「こわす人」宮崎氏と「つくる人」東郷氏との、興味深い対談であった。いわゆる「宗男バッシング」がなければ、このような異色の組み合わせもおそらく生まれなかったであろう。

世の中は何が何に幸いするかわからない。宮崎氏の『突破者』、東郷氏の『北方領土交渉秘録』、ともに面白く読んだ一読者としては、まったく偶然にも両者を結びつけた、「国策捜査」といわれる現象に感謝するものである。

さて、ゼミの内容は、宮崎氏が「解体業」の体験を語り、東郷氏が最低限の補足を加えるかたちをとって進められた。

宮崎氏は、解体業が「毀(こぼ)ち屋」と呼ばれていた頃の出来事から語り起こした。解体現場から「捨てるものは殆どなかった」という、かつての仕事の段取りを細かに追いかけ、おおげさにいえば、「バール一本あれば食っていけた」時代とその終焉、人間が機械を使った時代から、機械が人間を使う時代への変容を、訥々と語ったのである。

本ゼミでわたしは、「釘仕舞(くぎじま)い」という美しい言葉を初めて知りました。釘仕舞いをし、鉋をかけたヒノキは新品同様になり、家具屋が買い取りに来、また鉋屑は、近所の銭湯が湯を沸かすための燃料として買いに来たそうである。

宮崎氏は、同業の知人を、完成したばかりの新宿・京王プラザホテルに泊まらせたときの会話を回想する。知人は、しみじみと次のように話したそうである。

「人間は、えらいビルをつくってしもうたもんや」

「このビルは、いったいどうやってこわすんやろ」

そうして日本では、解体し、再利用する、というそれまでの「解体の経済」のサイクルが断絶し、決して解体することのできない建物ばかりが乱立するようになった。現在の「ニッポンの風景」が出来上がったのである。

宮崎氏の話は、原子力発電所の建物にも及んだ。大惨事をもたらしたチェルノブイリの現状にも触れながら、あれこそが、解体できない建物の最たるものである、と。そして、原発反対運動の主旨は理解できるし、尊敬もするが、それよりも、あの原発を、現実において解体できる技術の開発こそ、いま必要であり、きっといい商売になるという、彼独特の諧謔を交えた話は、すこぶる愉快であった。

もう一つ、宮崎氏は、この議論の補助線として、「談合」という現象がすっかり悪者になってしまった現下の日本社会に警鐘を鳴らした。高速道路に残る「談合坂」という地名、埼玉の「寄居」という地名などを引き合いに出し、談合は、地域共同体で起きたトラブルを解決するための昔ながらの知恵であり、それほどの悪なのか、と疑義を呈したのである。

これに対して東郷氏が、戦後日米関係を俯瞰しながら、日本経済が急成長し、アメリカをおびやかすようになった原因は、日本企業の公正に反する所業にある、というアメリカからの組織的な「外圧」を解説。外からの攻撃に迎合した内部の動きによって、「談合」の解体がいっそう進められた可能性を示唆し、それに宮崎氏が頷く場面は、本ゼミの最大の聴き所の一つであった。

「ニッポンの風景」を今後どう良くしていくのかについての妙案は、出なかったが、「ニッポンの風景」についての問題の所在を明らかにするためには、有意義な対談であり、日本文化を愛する一人として、大いに勉強になりました。

御厨毅(フリーライター)

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