読み物検察幹部は『秋霜烈日』のバッジをはずせ
これは『月刊現代』2002年9月号に掲載された、ある司法ジャーナリストの匿名レポートの再録です。当時はおおかたのマスコミから黙殺されましたが、検察裏金問題の深層に切り込んだ大変貴重なレポートです。先日、原口一博総務相が検察裏金問題の調査を指示しました。それがうやむやに終わらないでほしい、という願いをこめて「魚の目」にアップしました。(編集者より)
「もう大丈夫だ。調活問題は乗り切った」
原田明夫検事総長は最近、周辺にそう言って自信をのぞかせたという。「調査活動費(調活費)」を流用した法務・検察の組織的な裏金づくりの隠蔽に成功したという意味だ。
果たしてそうだろうか。力で押さえつけようとする者が力で倒されることは、歴史が我々に教えてくれる真理のひとつだ。自らの不正を隠すため、内部告発しようとした幹部検察官の「口封じ逮捕」に踏み切った法務・検察だけが、このままで済むとは思えない。
「総長は『乗り切った』と言っているかもしれないが、あと一人でも調活費問題を内部告発する者が出てきたら、もう持ちこたえられない」
ある検察関係者の冷静な分析の方が、よほど現実味がある。
三井環・大阪高検公安部長(当時)は四月二十二日の逮捕当日、身分を明かして調活費問題を告発するため、テレビ朝日のキャスター・鳥越俊太郎氏のインタビューを受けることになっていた。当局は逮捕後、メディアに対する発表やリークで、三井部長の「悪徳検事」像をフレームアップしていくのだが、原点に立ち返って逮捕容疑を冷静に見つめれば、「よくもまあ、こんな微罪で逮捕したものだ」と思わざるを得ない。根拠については後述するが、三井部長の逮捕は、警察ですら戦後踏み切ったことがない「口封じ」のためのむき出しの権力行使だったと断言できる。
自らが作り上げた「悪徳検事」の不祥事で、原田検事総長は国家公務員法に基づく懲戒処分を受けた初の検事総長として、戦後の検察史に名前を刻むことになった。そうなることが分かっていても三井部長の口を塞がなければならないほど追いつめられていたわけだが、この「肉を切らせて骨を断つ」策が逆に第二、第三の内部告発者を生み出すことになる。
二十年余りを検察庁で過ごした福島県在住の高橋徳弘氏、四十八歳。一九七四年に検察事務官に採用され、東京、仙台両地検などで勤務。九一年には副検事に登用され山形、米沢区検などで執務した後、九六年に退官し、現在はミニコミ誌の副編集長を務めている。
「三井部長の事件を報じる新聞を見て、口封じ的な逮捕を思わせる記事だと思った。調活費問題を『事実無根』とする森山真弓法相のコメントに心の中で『それは違う』とつぶやいた。人の人生すら変えてしまう職種である検察が、真実を曲げることは許されない。ある意味、犯罪の片棒を担いできた私自身の問題でもあった」
高橋氏は、調活費の実態を解明するため市民団体が仙台地裁に起こしている情報公開訴訟の法廷に、実名の陳述書を提出しており、その中で内部告発の理由をこう説明している。その言葉通り、彼は現職当時、調活費を裏金化する上で重要な役割を担わされていた。
ここで調活費の仕組みを簡単に説明しておこう。筆者が二、三年かけて法務・検察内部で取材を積み重ね、集めた証言は完全に一致している。
調活費は、検察庁が情報収集、情報交換、調査委託をするのに必要な経費として認められた予算という建前になっている。法務・検察の職員でなければとても書けない詳細な匿名の内部告発文書(全九枚)が九九年に各メディアや政党に送付され、当局が正常化に動く前年の九八年度には、法務省から全国の五十地検、八高検と最高検に総額約五億五千万円がばらまかれていた。検察庁ごとの配分額は庁の規模によって差があるが、この年度は最も多い東京地検で約五千二百万円、次いで最高検の約三千九百万円、最も少ない函館、山形、福井、高知などの地検でも各五百三十万円に上っていた。調活費の私的流用が常態化したのは七〇年代後半とされ、九八年度まで長年にわたって、ほぼ全額が裏金として検事正、検事長ら一部幹部の遊興費などになっていたはずだ。
具体的な手口はこうだ。各検察庁には毎月、前渡し金として調活費予算から一定額が小切手で届く。これを会計課長が日銀代理店に持ち込み、現金化して保管する。ここまでが「表」の金。事務局長がでたらめな支出伺い書と偽造領収書を会計課長に渡し、現金を受け取った時点で裏金となる。支出伺い書では、職務上いかに重要な情報提供を受けるために謝礼を支払うかが説明され、領収書には実在しない情報提供者の名前と金額が記入されている。情報収集は公安的な活動のため、これらのでっち上げ文書は事務局長の指示で公安事務課長が用意すること多いが、警察から必要な証拠の送付を受けて起訴、不起訴を決めるのが仕事の検察庁に、独自の情報収集などもともと必要がないことは言うまでもない。
事務局長に現金を渡した会計課長は、支出伺い書と偽造領収書に従って、情報提供者に謝礼を支払ったかのように会計帳簿に記録。事務局長は受け取った現金を金庫にプールし、検事正や検事長らの遊興費として使う。事務局長は自分が着服したと疑われないように裏帳簿をつけており、飲食店から請求が来た場合には、請求書と領収書を帳簿に添付するが、麻雀やゴルフなどに使う「つかみ金」として検事正、検事長らに手渡しした場合には証憑類は付けず、日付とともに「検事正 二十万円」などと記録する。法務省でもほぼ同様のことが行われていた。
九九年の内部告発文書には、法務・検察幹部がいかに調活費による裏金で遊んでいるかが、実名で記されている。既に退官した人物が多いが、〈連日、深夜までカラオケに興じていた〉検事総長、〈女好きででたらめな遊興にふけった〉特捜出身の東京地検検事正に〈年間七十回ゴルフコースに出たと豪語していた〉横浜地検検事正や〈銀座の高級クラブに頻繁に出入りしていた〉法務事務次官、さらに〈殿様気分で妻や息子を連れてゴルフにふけり、代金全額を調活費で支払わせてさすがに顰蹙を買った〉千葉地検検事正――あまりに多すぎて、限られた紙幅ではとてもすべて紹介し切れないが、いずれの記述も法務・検察内で筆者が耳にする話と一致しており、信憑性は高い。
一握りの幹部のために裏金をつくる事務局長らが、最も苦労するのが偽造領収書の確保だ。情報提供一件につき、謝礼は五万円前後が相場だから、五百万円の調活費を裏金化するだけでも百枚の領収書が必要な計算。筆跡やペンを変えたり、あえて醤油やコーヒーのシミをつけたり、涙ぐましい努力をすることになる。
三井部長の逮捕に触発された内部告発者、高橋氏が「犯罪の片棒を担いできた」と自戒するのは、この領収書の偽造を手伝ってきたためだ。高橋氏の陳述書などによると――。
「絶対、秘密は守ってくれよ」
そうクギを刺されながら、上司の課長から領収書の偽造を頼まれたのは、仙台高検庶務課に勤務していた八三年ごろ。課長は「共犯になるのだから」と言わんばかりに、言葉をつないだ。
「この領収書で調活費を出し、プール金として管理しているんだ。この金は正当な支出と認められないようなものに使っている」
この時、記入を指示された偽名は、本名の「高橋徳弘」に因んで「高橋正彦」。一度にまとめて書いたことがばれないように、ボールペンや万年筆、サインペンなどを使い分けて五十―三十枚の領収書に署名した。印鑑も仕事で使っているものは避け、自宅にあった古い二、三本を使い分けて押した。
これだけでも、高橋氏には実態が分かった。高検検事会議の懇親二次会、三次会の支払いもプール金でやりくりしていること。幹部の飲食代とみられる高級クラブの請求書が突然回ってきて、課長がぼやいていた理由…等々。
その後、仙台高検管内のどこに異動しても二、三年に一度のペースで、五十―三十枚の領収書偽造を頼まれた。まとめて偽造領収書を確保して、二、三年かけて少しずつ使っているようだった。領収書の用紙など必要書類は職場に届けられ、書き込んで送り返した。
高橋氏は陳述書に、証言を裏付ける当時の資料の写しを添付している。宛名に高橋氏の本名が明記され、領収書の用紙などが同封されていた仙台高検の公用封筒、「執務上必要につき、協力願う。本書面は用済みになったら破棄を」と記され、公印が押された事務局長名の依頼書、偽名の「高橋正彦」と書こうとしてつい本名を書いてしまった書き損じの領収書。
筆者は複数の親しい検察関係者にこれらを見てもらったが、そろって
「いかにも文書主義の我が社(検察)らしいやり方。これは間違いなく本物だ」
という反応だった。
高橋氏の内部告発は、証拠資料の写真とともに五月二十三日発売の週刊文春にも掲載されたが、この日の参議院法務委員会で事の真偽をただされた森山法相は、法務官僚の説明を鵜呑みにして
「文書の形式から見ても(本物かどうか)疑わしい」
と開き直った。ならば、事務局長名の依頼書は偽造公文書ということになるはずだが、検察が捜査をしている様子はない。
高橋氏は告発前の複雑な心境を
「検察にはいろんな思い出が凝縮されており、真実を話すとしても、昔の仲間を裏切ることに変わりはない。家族に迷惑が及ばないとも限らず、いまの生活を安穏と続けたい気もあったが、内部告発者でもいない限り、真実は隠され、疑惑のまま終わってしまうと考え公表を決意した」
としているのだが、法務・検察当局は「競馬好きで借金を作り、副検事を辞めた者」と、いかにも信用できない輩と言わんばかりの中傷をした。それなのに、何ら抗議などの対抗措置を取っておらず、出るところに出て真正面から証言の真偽を争えない弱みがにじみ出ている。
さらに、二人の内部告発者がいる。奈良地検と金沢地検の元検察事務官。驚くことに、二人はいずれもカラ出張による裏金づくりの実態を週刊誌上などで証言した後、警察に逮捕されている。七月十六日逮捕の奈良の元事務官は宅地造成工事現場に無断で入った建造物容疑、二月十五日逮捕の金沢の元事務官は旅行会社で検察職員をかたり、約十七万円相当の航空回数券を騙し取った詐欺容疑。奈良の元事務官には、送検段階で日本酒二本(計三千円相当)の窃盗容疑も付けられたが、いずれも微罪だ。二人を目障りに思う法務・検察が、警察に逮捕させたのかどうか、現時点では根拠を持ち合わせていないが、四人の内部告発者のうち三井部長を含む三人が相次いで逮捕されたという事実は、何らかの大きな意思を感じさせるのに十分ではないだろうか。当局が、わずかな違法行為でも発見すれば強制捜査に踏み切るつもりで、内部告発者の動向に目を光らせているように思えてならない。
話を三井部長のケースに戻そう。四月二十二日の一回目の逮捕の際、大阪地検特捜部が立てた彼の容疑事実は次の三つだった。
(1)競売で取得した神戸市中央区のマンションに居住した事実はないのに、虚偽の転入届を区役所に提出した=電磁的公正証書原本不実記録・同共用。
(2)不動産の所有権移転の際、居住者に認められる登録免許税の軽減措置(三井部長のケースでは四十七万五千四百円)を受けるため、虚偽の転入届で得た住民票を使い、神戸市中央区役所から「住宅用家屋証明書」一通を詐取した=詐欺。
(3)マンションの買い戻しを希望する元の所有者との交渉が難航し、仲介役の暴力団関係者の前科調書を取り寄せた=公務員職権濫用。
(1)は自分の所有不動産に住民票を移しただけのこと。もともと「住所」の定義は難しく、過激派を逮捕するのに使われるような容疑だが、それでもほとんど起訴されることはない。読者の皆さんも単身赴任などの際に、都合によって住民票を移したり、移さなかったりすると思うが、それと本質的には差がない。
(2)は紙切れ一枚の詐欺。難関資格試験の問題など、紙切れ一枚でも大きな財産的価値を持つ場合はあるが、このケースではわずか四十七万円余りの減税が受けられるだけだった。
(3)は検察内部で意外に行われていることで、筆者が知る限りでも、個人的なトラブルを抱えた検事や検察事務官が相手を知るために前科照会していた。三井部長を逮捕するのなら、彼らも逮捕されなければならない。
罪名はおどろおどろしいのだが、本来なら(1)と(2)を合わせて、登録免許税四十七万余りの〝脱税未遂〟という感じだ。しかし、登録免許税法には脱税の処罰規定はない。
「身内に厳しく対処した」と言えば聞こえはいいが、いかにつまらない形式的な容疑で逮捕したか、おわかりいただけると思う。もし、内部告発をしようとしている警察幹部を警察がこんな容疑で逮捕しようと考え、検察に起訴できるかどうか相談したら、検察は「何を考えているのか。こんな事件できるわけがない。口封じなどあきらめろ」と一喝するに違いないレベルなのだ。大阪地検の事前の逮捕状請求に対して、いつもはすんなり判子を押してくれる大阪地裁の裁判官もさすがに疑問を隠せず、検事に説明を求めるなどして検討に検討を重ねたという。逮捕状が出たのは夜遅くだった。
さらに、筆者は多くの検察関係者から逮捕の経緯について証言を得ているが、そのすべてが「口封じ」の逮捕だったことを示している。
まず、捜査主体であるはずの大阪地検特捜部が、三井部長の容疑内容を知ったのは逮捕三日前の四月十九日だった。
「突然、大阪高検から降ってきた」
と言うのだが、二十、二十一日と土日を挟んでいるから、事実上、逮捕前日と言ってもいい。当局がかなり慌てて三井部長の逮捕に踏み切った様子が窺える。
三井部長の身辺を一月末から洗っていたのは、本来は直接捜査をすることがないはずの大阪高検。検察幹部の一人は
「高検が一月から三井のケツを追っていた」
と表現しており、厳正な内偵捜査というより、三井部長をターゲットにした狙い撃ちの捜査だった。
しかも、大阪高検首脳は捜査班に対して「時間がない。二カ月で仕上げてくれ」と指示していた。三井部長は今年に入って辞職覚悟で実名告発をする決意をし、かなり大っぴらに庁内で週刊誌記者らと会ったり、執務室の電話を使って打ち合わせしたりしていたから、当局は当然、三井部長の動きを察知していた。ゴールデンウイーク明けには、いよいよ三井部長が実名でブラウン管に登場するという情報が広がっていたから、大阪高検首脳は「二カ月」と期限を切ったという。
大阪高検は大阪地検特捜部に事件を下ろす前に、主だったメンバーを上京させて原田検事総長ら首脳陣に内容を説明した上で、ゴーサインを得ているが、ある検察幹部は
「原田総長は四月二十二日に三井のインタビュー撮りをする予定だったテレビ朝日が、その日の夜、すぐに放送すると思い込んでいた。それで二十二日午前中の逮捕にこだわった」
と明確に指摘している。
三井部長の逮捕後、最高検、大阪高検から大阪地検特捜部には「とにかく余罪を出せ」という厳命が下る。さすがに法律家の捜査プロ集団だから、上層部も逮捕容疑が弱すぎることが痛いほど分かっていたわけだ。大阪地検はこれに応え、五月十日、三井部長を起訴するとともに、収賄容疑で再逮捕。三井部長はこれで、とんでもない「汚職検事」になったわけだが、暴力団関係者に各種捜査情報を提供する見返りに得たとされたわいろは、飲食接待四回(計約十五万円相当)とデート嬢との遊興二回(計十三万円相当)だけだった。
一回目の逮捕容疑に比べれば、三井部長が決して「立派な検事」ではなかったことを示す事実としては十分だが、普通なら懲戒処分の対象になるだけで、汚職事件としては立件されないようなケースだ。警察で同様の不祥事があったら、警察は懲戒処分にするとともに書類送検し、検察は起訴猶予にするだろう。ところが、三井部長は収賄罪でも起訴された。
起訴後、ある検察関係者が思わず漏らした言葉が今も忘れられない。
「大阪地検の捜査官が法務・検察を救ってくれた。批判に耐えられないような最初の逮捕容疑に、汚職を積み上げたのだから。ただ、それが将来の検察や日本にとって、本当に良いことだったのかどうかは分からない」
彼はそう言ったのだ。
三井部長を内部告発に駆り立てたものは、人事に対する不満だったとされる。七二年司法修習修了の二十四期。同期には法務省の大林宏官房長、中尾巧入国管理局長、特捜一筋の熊崎勝彦最高検検事らがおり、皆が検事正を経験し栄進していく中で、自分は検事正にもなれず不当に冷遇されているという思いがあったようだ。
昨春には、高松地検次席時代に知り合った高松市の情報紙編集者に、調活費流用に絡む詐欺罪で当時の加納駿亮・大阪地検検事正(現福岡高検検事長)らを最高検に告発させたが、昨年中に「嫌疑なし」で不起訴となり、加納氏は検事長に栄転。ますます絶望し、実名告発へと突き進んでいった。
断っておくが、筆者は三井部長を内部告発のヒーローとして称えるつもりは毛頭ない。むしろ、その動機には眉をひそめさせるものがあると思っている。ただ、組織内での地位や将来を失う可能性が高い内部告発に人を突き動かすには、単なる正義感だけでは足りない。諸々の不満がエネルギーになるのは事実であり、それを一概に否定もできない。検察もそんな内部告発を端緒にこれまで数多くの事件を立件し、「正義」を実現してきたではないか。他省庁に三井部長のような内部告発者がおり、その証言を得られたら、検察はそこから捜査のメスを入れ、不正を暴いただろう。それとは正反対に、三井部長を逮捕して口を封じた上、刑事被告人の地位に置いて今後の発言の信用性を低下させ、幹部と組織を守ろうとした今回の検察の姿に許すことのできない「犯罪的な不正義」を感じるのだ。
国民の信頼を決定的に失うことになりかねない現在の状況を招いた原因は、九九年の内部告発文書に対する対応の誤りにある。この時に、過去の非を認めて是正を約束した上で、幹部に調活費の私的流用分を返納させ、目に余る使い方をした幹部を処分していれば、問題をここまで引きずることはなかった。
当時、対応を協議した法務・検察首脳は、法務省側が事務次官・原田明夫(現検事総長)、刑事局長・松尾邦弘(現最高検次長)、官房長・但木敬一(現事務次官)、最高検側が総務部長・頃安健司(現名古屋高検検事長)ら。彼らは調活費問題をなかったことにする道を選び、内部告発文書が届いていた政党などに「事実無根」と釈明した。
当時を知る検察幹部OBが言う。
「あのころは、皆がどう対応するか頭を痛めていた。『事実無根』としたのは、結局、私も含めて大なり小なり、幹部は調活費に手をつけたことがあるからだ」
原田検事総長は盛岡地検、松尾次長は松山地検といった具合に、対応を協議した首脳陣は全員がその時点で検事正を経験していた。
ほかにもう一つ、理由があるように思われてならない。それは、前年の九八年に東京地検特捜部が摘発した大蔵接待汚職の余韻だ。
大蔵接待汚職は、銀行、証券業界からの飲食などの接待だけで、当時の大蔵、日銀官僚五人が収賄罪で起訴された特異な事件だった。それまで、接待だけでは汚職に問われないことが、「常識」になっていたから、東京地検特捜部の捜査に対しては「だまし討ちだ」「接待だけでも立件することを宣言して、その後の分に限ってやるべきだった」といった批判が法務・検察の内外から相次いだ。飲食などの接待をわいろと認定したばかりの検察で、公金を私的な飲食などに流用した幹部のスキャンダルが噴き出す。それは、どうしても避けたい事態だったのではないだろうか。
法務省関係者が、今も続く調活費問題隠蔽のための当局の懸命な努力を明かす。
「調活費を所管する法務省刑事局総務課の担当検事や事務官には、思想、信条に問題がなく、人事に不満もないエリートを配置するようになった。内部告発をされてはたまらないからだ」
何とも滑稽な話だが、まだある。この関係者が続ける。
「九九年度からは、調活費で裏金をつくる仕組みはなくなった。急に予算を返上したら不自然なので、『インターネットの活用で支出が激減した』なんて子供だましの理由で予算規模を縮小中(注:平成十年度は総額で約五億五千万円だったのが平成十二年度約二億三千万円)だが、今までまともに支出したことがない各検察庁は、裏金に回す以外にどうやって予算を消化したらいいのか分からない。本省はマニュアルを配ったり、問い合わせに応じたり、おおわらわだった」
このマニュアルは、各検察庁から外部に流出しており、筆者の手元にも一部ある。当局はマニュアルの存在も否定するが、そこに書かれている通り、急に馬鹿高い情報誌の購読を始めたり、マスコミ関係者に「何でもいいからレポートを書いてくれ、謝礼は出すから」と頼んだりする検察庁が増えていることを、どう説明するのだろうか。
法務・検察には幹部OBから
「いくらなんでも『事実無根』はないだろう。我々が調活費の流用に手を染めたのは事実だ。返納しろと言われるなら、返納してもいい」
という声が届いているし、現場の検事らの間にも
「調活費問題に対する対応といい、三井事件の捜査といい、最近の検察はおかしい」
という不満がくすぶっている。
検察権は司法に密接するとは言え、内閣が最終的な責任を負う行政権の一つだ。それが、今や公然の秘密になっている調活費問題について、法相の口を借りて「事実無根」と言い、週刊誌に抗議し、内部告発者を逮捕する。現代の日本でなぜ、こんなことがまかり通るのか。
その責任の一端はメディアにある。司法記者の中に、調活費問題を事実無根と思っている者は一人もいない。機密費詐取事件の外務省のように、これが法務・検察以外の省庁だったら、今ごろは洪水のような疑惑報道が新聞紙面を埋め、テレビニュースの時間を占めていただろうが、目をつぶり続けた。
司法記者の一人が打ち明ける。
「僕たちの評価は、どれだけ検察の捜査情報を取ってくることができるかで決まる。検察に敵対する記事なんか書けるわけがない。もし原稿を出しても、デスクたちに『こんなことをしている暇があったら、捜査ネタを取ってこい』と言われるのがオチだ」
何とも情けないが現実だ。
例を挙げよう。ある全国紙のことだ。その社内には調活費問題を熱心に追い掛けている記者がおり、系列の週刊誌も何度か追及記事を掲載している。そんな記事が出るたびに、その社の司法記者は法務・検察の幹部を訪ね、「あの記事に僕たちは関わっていません。なんであんな記事を書くのか、僕たちも困っているんです」と懸命に弁明して回っている。
そして他社の記者は逆に、足を引っ張るチャンスとばかりに「あんな記事を書くなんて信じられない。あの社はどうかしている。うちは違いますよ」と追従して回るのだ。
三井部長の逮捕後、法務・検察当局は狡猾にも、メディアの捜査情報一辺倒の体質を利用した節がある。三井部長の逮捕から一週間後の四月三十日には、東京地検特捜部が鈴木宗男議員の秘書らを逮捕し、五月二日には千葉地検が公共工事をめぐる競売入札妨害事件で井上裕・前参議院議長の秘書らを逮捕した。千葉地検の関係者は「もう少し内偵に時間が欲しかったのに、上からせかされた」とはっきり言っており、当局が事件で三井部長の逮捕や調活費問題をかすませようとした疑いが濃厚だ。実際、三井部長の逮捕直後は調活費問題と絡めて「口封じ」の可能性を指摘するものもあった報道が、いつもの捜査情報たれ流し報道に戻るのにそう時間はかからなかった。
刑事司法の世界で、検察ほどオールマイティーなカードを持つ存在はない。刑事事件のほとんどは、容疑者を逮捕するなどの必要な「一次捜査」を警察が担当する。その捜査結果を基に容疑者を起訴する「公訴権」を検察が持つことで、警察の暴走をチェックしているが、検察だけが他機関のチェックを受けることなしに一次捜査し、起訴する権限を握っている。
権力を独占する者が、権力を濫用してしまうことも歴史上の真理。自分が逮捕した容疑者を起訴したいと思うのは人情だし、メンツもある。三井部長のケースのように、検察自身が特別な目的を持った時、その濫用は頂点に達する。それが何よりも怖い。
「検察ファッショ」。十年以上前の検察幹部たちは、しばしばこの言葉を口にした。そう言われることを最も恐れていたし、そう言われないように検察権の行使に抑制を利かせていた。ところが、いまこの言葉を戒めとして口にする幹部はほとんどいない。「日本最強の捜査機関」は「最も危険で傲慢な捜査機関」に変貌したように見える。
検察は今や、一次捜査権と公訴権を安心して任せておける存在ではなくなった。一次捜査権を剥奪するか、検察が一次捜査した事件については、予審制度のように検察から独立した機関が、起訴、不起訴を決めるシステムを作るべきではないか。
検察は鈴木議員の事件処理を秋に終えた後も、新たな事件に次々に着手する意向とされ、ある現場の検事は
「調活費問題を吹っ飛ばすため、上は特捜部に走り続けるように求めている。特捜部が息切れした時が検察の倒れる時ということだろう」
とあきれる。
法務・検察の上層部は「事件で信頼を回復する」と言うつもりだろうが、自分たちの不正を総括しないまま、他人の不正を暴いても信頼は回復できない。
調活費を本当は何に使ったのか、各検察庁の事務局長らがつけていた裏帳簿は、上層部の指示で九九年に一斉に廃棄された。しかし、表の会計帳簿は残っている。調活費が検事正、検事長らの遊興用の財布になっていた最後の年、九八年度の会計帳簿の保存期限は二〇〇四年の春だ。まだ間に合う。架空の情報提供者に対する支出が記されたこの帳簿を基に調査すれば、不正はすぐに明らかになる。当局が「事実無根」と言い張るのなら、公正な第三者機関に帳簿を提出して監査を受けるべきだ。
不正を不正として認め、三井部長を逮捕した真相を明らかにする。それなくして、法務・検察が「信頼回復の道」の入り口に立つことはあり得ない。