読み物私的体験から考える検察裏金問題

▼バックナンバー 一覧 2010 年 3 月 15 日 魚住 昭

 原口一博総務相が検察の裏金問題の調査を指示したというニュースを聞いて、十一年前の苦い出来事を思い出した。
 当時、私は共同通信を中途退社して四年目、フリーライターとしては駆け出しのころだった。ある日突然、旧知の検察幹部から「役所に来てくれないか」と電話があった。
 その幹部は私が共同の検察担当だったときお世話になった人だが、もう何年も会っていなかった。何の用事かと訝りながら霞が関の検察庁に出向いた。
 広々とした個室を訪ねると、
「魚住君、レポートを書いてもらえないだろうか」
 と、彼は言った。
「エッ?何のレポートですか」
 と、私は尋ねた。 
「いや、何でもいい。テーマも分量も好きにしてくれ。とにかく定期的に提出してくれればそれなりの謝礼を払うから」
 フリーライターにとってはウマい話だ。だが検察がなぜ私のレポートを必要とするのか。肝心の理由が分からない。
「どうもよく事情が呑み込めないんですが、何のためにレポートを提出するんですか」
 と、私は重ねて聞いた。
「いや、君も知っていると思うけど、調活費の問題を一部マスコミが書いたもんだから…」
 私もその話なら聞き覚えがあった。調活費とは従来、検察庁が公安事件の情報収集や調査委託などをするのに必要な予算として計上されてきたものだ。
 だが、過激派の活動が下火になった1970年代から使い道がなくなり、検察幹部の交際費などにあてる裏金と化した。
 99年にその裏金づくりの手口の詳細と、検察幹部の遊興の実態を書いた内部告発文書が各メディアに送りつけられ、一部の新聞がそれを取り上げた。
 私が検察幹部に呼ばれたのは、その直後だったらしい。
「予算の使い道がなくなって余っている。それでレポートを書いてもらおうと思ったんだ」
 と、検察幹部は言った。
 実を言うと、当時の私は内部告発があったという話を聞いていただけで、裏金問題の真偽も全貌も知らなかったし、組織を揺るがす大問題になっているとは夢にも思っていなかった。
 ただ、その種の怪しげなカネをもらうと金輪際、検察批判ができなくなることだけは確かだった。私は侮辱されたような気がして、腹が立った。
 しかしその一方で、私の生活を助けてやろうという厚意も感じたので席を蹴って立つわけにもいかない。そこであれこれ理屈を並べて婉曲に断った。
 私がこのレポート話の背景事情を本当に理解したのは相当時間がたってからだ。仙台の市民オンブズマンが全国の検察の調活費を調べたら98年度には総額約5億5千万円が支出されたのに、問題が発覚した99年度は約3億2千万円、0年度はさらに約2億2千万円に減った。
 これは調活費が幹部交際費に流用されていたことを窺わせるデータだ。検察からすると、問題が発覚した以上、交際費には使えない。しかし支出が急にゼロになると、過去の流用を認めざるを得なくなる。そうならぬよういろんな策を講じたのだろう。そのうちの一つが私に持ちかけられた話だったというわけだ。
 内部告発文書が出回った翌年ごろから三井環・大阪高検公安部長が匿名で裏金の内部告発を始めた。だが、検事総長は裏金作りを全面否定した。業を煮やした三井部長は02年4月、テレビに登場して証言する決意を固めた。
 ところが、三井部長はそのテレビ収録当日の朝に呆れるような微罪で逮捕された。明白な口封じ逮捕である。私はそのニュースを聞いて足が震えた。
 三井氏の逮捕以来、検察の正義は地に墜ちた。内部のモラルハザードは年々深刻化し、その影響は小沢事件にも及んだ。
 私は冒頭の原口総務相の指示が徹底されることを切に望んでいる。それなくして検察の再生はあり得ないからである。(了)

(これは週刊現代「ジャーナリストの目」に掲載した原稿の再録です)