月刊日本保守論壇は、何故、かくも幼稚になったのか?

▼バックナンバー 一覧 2009 年 5 月 13 日 山崎 行太郎

保守論壇の「沖縄集団自決裁判」騒動に異議あり!!!
……保守論壇は、何故、かくも幼稚になったのか?   
山崎行太郎

■保守論壇は、何故、かくも幼稚になったのか?

昨年末の、「沖縄集団自決」において「軍命令」があったか、なかったか……を争う大江健三郎の『沖縄ノート』の記述をめぐる名誉毀損裁判に、訴えられている側(被告)のノーベル賞作家・大江健三郎が大阪地裁に出廷し、被告として証言したことから、この「沖縄集団自決裁判」問題が、マスコミや論壇だけではなく、教育界や政界をも巻き込んだ形で、あらためて話題になっているが、私も、かつて青春時代に決定的な影響を受けた大江健三郎という作家が被告として法廷に立つということでちょっと興味を感じ、遅ればせながらこの裁判の資料や大江健三郎の『沖縄ノート』、あるいは曽野綾子の『ある神話の背景』などを読み進めて行ったわけだが、読み進めて行くうちに、私はすっかりこの問題に魅入られてしまった。というのも、実は私は、自分の父親が、かつてすでに妻子持ちでありながら沖縄の「南大東島」に出征し、末期の沖縄戦に参加、沖縄全滅という噂から、ほぼ生存は絶望と言われながらも、病身を引き摺りながら、命からがら生き延びて帰還したという話や、薩摩半島の奥地に疎開していた母親が、米軍が薩摩半島南端の枕崎方面に上陸するのではないかと言う噂が流れたために、米軍機が飛来するたびに、乳飲み子を抱えながら、さらに山奥の避難所へ逃げ込むということを繰り返していたという、まさに沖縄集団自決の現場を連想させるような話を思い出し、この問題が、他人事ではないと実感しつつ、あらためてこの問題に深入りすることになったからだ。というわけで、すでに、この問題については、本誌の前月号(「月刊・文藝時評」)でも簡単に触れているが、しかし、そこでは紙数の制限もあり不充分な発言しか出来なかったわけだが、幸いにも本誌編集主幹より今月号の誌面をあらためて提供され、さらにこの問題に関して詳しい私見を述べよ、という申し出をいただいたので、批判や反論を覚悟の上で敢えて再論する次第である。
さて、日頃の私の「保守反動的」な言論からは意外かも知れないが、私は、「沖縄集団自決裁判」に関しては、多くの留保をつけた上でだが、原告側の旧帝国軍人や曽野綾子の主張よりも、本質的には大江健三郎の主張を擁護する立場に立っている。保守派を自称していながら、何故、左翼作家・大江健三郎を擁護するのか、と疑問に思われる方も少なくないだろうが、以下に私が書こうとしていることで、その疑問は解けるはずである。
今回、青年時代の読書体験を思い出しつつ『沖縄ノート』をあらためて熟読し、さらにそれを批判して、今回の裁判の切掛けになっている曽野綾子の『ある神話の背景』(『「集団自決」の真実』に改題、ワック)をもあらためて熟読、そしてその上で、保守論壇やその周辺で展開されている「大江健三郎批判」の言論をも読み較べてみたわけだが、そこで保守論壇に蔓延している「曽野綾子神話」と、「曽野綾子神話」を前提にした「大江健三郎批判」の無知無教養と論理的な出鱈目さに、私は、自称とはいえ保守反動派を自認しているにもかかわらず、愕然とした。愕然とした理由は単純である。それは、保守論壇の面々が、大江健三郎の『沖縄ノート』や曽野綾子の『ある神話の背景』をまともに読むこともせずに、噂話や伝聞を根拠に付和雷同しつつ気軽に議論しているという事実と、そもそもこの裁判は、『ある神話の背景』を書いた曽野綾子の「誤字・誤読」事件から、つまり大江健三郎が書いた「罪の巨塊」を「罪の巨魁」と誤読した事件……から始まっているという事実を発見したからである。さらに付け加えるならば、「曽野綾子神話」の根拠になっている曽野綾子の「現地取材主義」や事件当事者達への「直接取材主義」なるもの歴史的実証性に疑問を感じ始めたからである。そして、問題はむしろ、曽野綾子の発言や著書を正確に読むことを怠り、曽野綾子経由の歴史資料や伝聞情報を、言い換えれば一種の「曽野綾子神話」を、盲目的に信奉して議論している保守派や保守論壇の知的退廃と思想的劣化現象にこそあるのではないか、と私は考えるようになった。私は、政治的にも思想的にも、青年時代以来一貫して保守派や保守思想を支持しているつもりだが、しかし、明らかな誤解や誤読、あるいは無知無学、あるいは勉強不足に基づく、思想的レベルの低い堕落した保守思想や保守理論までをも擁護し、支持するつもりはない。むしろ、「愚かな保守からよりも、優秀な左翼から学ぶべし」というのが私の長年の持論である。というわけで、誤解を恐れずに、敢えて言わせてもらうならば、以下は、自称・保守派からの保守論壇批判であり、保守思想批判であり、より具体的に言えば、保守論壇に無批判的に受け入れられている「曽野綾子神話」への批判である。

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