情況サブプライムから世界金融恐慌へ

▼バックナンバー 一覧 2009 年 5 月 18 日 伊藤 誠

4 世界恐慌はどのように進展するか

 住宅市場の投機的ブームに支えられていたアメリカ経済の拡大は、こうして住宅バブルの崩壊とともに反転し、二〇〇七年を境にサブプライム問題に端を発する金融危機をグローバルに深化させつつ、いまや景気下降への悪循環の連鎖に変転している。なによりもアメリカ経済の景気上昇をリードしていた金融業界に大幅な損失、倒産、整理、解雇の嵐が訪れている。住宅ブームで潤っていた建設、家具、家電産業にもきびしい不況が進行し、住宅価格の上昇に依拠して拡大していたホーム・エクイティー・ローンなどの消費者信用も反転縮小をせまられ、広く消費需要、企業収益、雇用の後退をもたらしつつある。こうして金融部門と非金融部門との相互作用が、世界最大の消費市場をほこっていたアメリカのマクロ経済の全体を大きく縮小させつつある。そのことがまた、金融市場のグローバルな連鎖的打撃とあわせて、日本、EU、中国などの輸出産業にも大きな影響を与え、世界恐慌の進行を実感させつつある。
 サブプライム問題が顕在化しつつあった二〇〇七年五月には、OECD(先進三〇ヵ国から成る経済開発協力機構)は、アメリカは景気後退がさけられないにせよ、ブームのバトンはヨーロッパにひきつがれるという経済危機のデカップリング(分離)シナリオを想定していた。それは先行する日本の巨大バブルの崩壊、アジア危機、アメリカのニューエコノミー・ブームの崩壊がいずれも世界恐慌へのおそれをいだかせながら、いわば局所的問題にとどまっていた経験の反復を期待する予測であった。しかし、その予測は大きくはずれている。いまやサブプライムから世界恐慌へ、危機の連鎖はあきらかにリカップリング(再統合)シナリオにそって進展しているとみなければならない。
 とはいえ、進行している世界恐慌がどの程度まで深刻化してゆくか、なお予測が困難なところが多い。ふりかえってみると、一九二九年にはじまる大恐慌も、三年あまりにわたり深化し続けたので、今回の危機もゆっくりと大崩壊に向かっているのではないかという見方もある。しかし、一九二九年世界大恐慌は、アメリカで株価の暴落から始まる金融恐慌が三三年春まで三次にわたり進展し全銀行の約四割、九〇〇〇行を倒産させ、失業率を二五%に高め、デフレスパイラルを深化して、世界農業恐慌をもたらし、再建金本位制による国際通貨体制を崩壊させてブロック経済を形成させ、経済生活の大崩壊を深化させ続けたのであって、同様の大崩壊がまた訪れつつあるのかどうか。むしろ、日本の巨大バブルの崩壊、アジア経済危機、ニューエコノミー・バブルの崩壊などについても、さらにそれを上回る今回の世界金融恐慌についても、対GDP比では二九年恐慌当時に匹敵するか、それを上回るとさえ考えられる膨大な金融資産が破壊されメルトダウンしながら、その打撃がこれまでのところ、世界的にも先進諸国についても経済システム全体にわたる二九年型の激発的で全面的な大崩壊がまがりなりにも回避されてきているのはなぜか。これもいま注目に値する問題をなしているのではなかろうか。その問題を解く鍵となりうる要因として、つぎの三点をあげておこう。
 すなわち、第一に、多国籍大産業企業が、自己金融化傾向を増強しており、内部留保資金も厚く保有しているケースが多いため、その生産活動は、銀行を中心とする金融危機の破壊力をさほど直接に受けるにいたらないことが多い。そのうえ、グローバリゼーションのなかで、国境をこえた大企業相互の競争圧力が強く働き、情報技術を活かした製品モデルの変化も加速されている。それらの結果、独占資本が不況に直面して独占価格維持のために生産と雇用収縮を大きく縮小した、一九二九年恐慌当時みられたような独占の弊害は、これまでのところあまり生じていない。そのため失業率は高まりつつあるが、二九年恐慌当時のような激発的悪化はなおみられていない。もっとも、消費市場の収縮にともない自動車産業のビッグスリーのような経営危機が他にも広がるおそれは多分にあって、そのゆくえには注目してゆかなければならないであろう。
 第二に、多国籍企業の対外直接投資の効果をふくむ中国その他の途上諸国の低賃金による経済活力と、そこからの低価格商品の流入、多国籍企業の投資収益などが、中枢先進諸国の経済危機のクッションとして直接間接に役立てられている。先進諸国の労働者大衆の経済生活も、安価な輸入品で支えられる側面があり、途上諸国への高度な工業製品の輸出や、それら諸国からの投資収益が先進諸国の大企業の支えとしても重要性を増している。同様に、膨大化しているオイルマネーの先進諸国への証券投資や不動産投資による還流も、金融恐慌へのクッション作用を果たしているといえよう。
 第三に、変動相場制のもとで、ドル暴落の恐怖に促された国際協力もふくめて、後続世代への負担の積み上げを財政赤字として積み上げながら、先進諸国が大規模な公的資金による金融諸機関の救済を競って実施し、景気下降を緩和する財政政策もあいついでおこなっていることが、かなりの程度機能しているのではないか。それは、新自由主義をかかげ、政策理念としてきた三〇年近い従来の経済政策方針には整合もしないし、むしろその自己否定にほかならない。また、今後に多くの宿題を残すところではあるが、その方向への実際的転換は、ニューディール期よりあきらかに速い。日本の失われた一〇年における政策介入が遅れて、後手に回った経験が他山の石として参照されているところもある。
 むろんこれら三点の諸側面にわたる相関連したクッション効果も、絶対視はできないところがあって、その点ではマルクスの重視していた資本主義的信用・金融システムに内在的な自己崩壊の強力な破壊作用に、それらの現代的諸要因がどこまで抵抗して緩和要因として作用し続けることができるか、今後の推移に注目してゆかなければならないところである。
 一九二九年型大崩壊に転化すればもとより、右のような諸要因によりそれをかろうじて回避することができたとしても、現在進行している世界恐慌は、おそらく日本のバブル崩壊後の失われた一〇年をさらに大規模にしたようなスロー・パニックとして長期世界不況をもたらし、そのなかでの企業と財政における経済的困難と負担を広い労働者大衆に転嫁し、ワーキングプアーを増大して、世界的にも国内的にもいっそう格差の大きな経済社会をもたらすおそれが大きい。そこからどのような政治経済的変転が世界に生じてゆくであろうか。
 ブッシュ政権は、二〇〇八年三月に大手投資銀行ベアスターンズの倒産の危機には公的資金を投じて救済にのりだし、JPモルガン銀行に買収させ、それ以降も金融機関救済に七〇〇〇億ドルの公的資金を用意する金融安定化法案を一〇月にかけて実現している。他方で、同じ〇八年の五月にはサブプライムなど住宅金融の負担で差し押さえの危機にある労働者大衆の救済に向けて公的資金三〇〇〇億ドルを投入しようとする民主党議員の提案によるニューディール型の法案が、共和党議員の一部の賛同も得て下院を通過したさいには即座に大統領署名を拒否すると公表した。この対照的な政策方針は不整合で不公平ではないか、税金による公的資金はだれのためのものか、といった論議がその後街頭デモなどでも問われ、その問題が今回の大統領選挙、議会選挙におけるオバマ民主党の勝利を招いた一因ともなった。
 ブッシュ政権とともに、世界の新自由主義の政策潮流はゆきづまり大きな反転期を向かえている。そして、ケインズ主義の再評価から、ニューディールや社会民主主義の復活に可能性が大きく開かれつつある。経済危機への政策対応についても、いまや世界的に選択の幅は、再考され、広げられつつあるといえよう。日本の総選挙にさいしても、その点が争点として明確にされるよう望みたい。
 そのさい、いうまでもなく社会民主主義にも多様な幅がある。マルクス派としてはそのステップの方向性を重視するとともに、さらに中南米などに広がる社会主義の新たな興隆や世界的なマルクス再評価の動向にも注目してゆかなければならない。日本でも、それらに呼応し、とくに働く人びとの社会的協力へ、非正規の組織化など、労働運動の再生発展の試みが、世界恐慌への生活防衛の観点からいちだんと強化されてゆく可能性に大いに期待してゆきたい。大きな社会経済的危機はつねに新たな社会運動、社会主義再生への好機をはらむと思われるからである。

「情況」 2009年1,2月合併号より転載

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